日記

何も残さない「法の番人」。

 一昨年の7月1日。安倍内閣は戦後の全ての内閣が一貫して「憲法違反」であるとしてきた「集団的自衛権の行使」を容認する閣議決定を行った。国民の多くが反対、懸念する中での強行、しかも国会閉会中の蛮行であった。そしてその1年後、閣議決定にもとづいて安保関連法案が強行採決される。憲政史上の大転換であり、いまだ国民は納得していない。
 さてその「集団的自衛権の行使は憲法違反」との歴代内閣の姿勢の論理的主柱であったのが内閣法制局である。今回の安倍内閣の大転換に内閣法制局はどう対応したのであろう。集団的自衛権は「自国が攻撃されていないのに他国を攻撃すること」という「質」の問題であって、攻撃の「量」の問題ではない。このことは内閣法制局は熟知してはずである。しかし安倍内閣は「量」の問題にすり替えてしまった。この点に対してほぼ100%と言っていい憲法学者や内閣法制局元長官の面々が反対する。それだけの論理転換を内閣法制局は本当に「是」としたのか。
 私は、1月21日の決算委員会で7月1日の閣議決定に関する内閣法制局内の全文書の開示を求めた。翌週、内閣法制局が分厚い文書一式を持って部屋にやってきた。しかしその全部が安保法制懇と与党協議の際に主催者が配布した資料であった。つまり内閣法制局が作成した資料ではない。内閣法制局が作成した資料は一枚だけあった。それは件名「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目ない安全保障法制の整備について」ついて、とし「別添について、内閣官房国家安全保障局から照会があったところ、意見がない旨回答してよろしいか、決裁を願います」という決裁文書である。起案者名と横畑長官以下4名が印鑑が押されている。そしてその後ろに安全保障局が作成した、あの新3要件が含まれる8枚の閣議決定文書案が綴られている。一字の訂正も必要ないから「意見がない」とした。
 何度聞いてもこれ以外は存在しないと言う
 内閣法制局内でも様々な意見があってしかるべき最重要案件であるはず。無いはずがない。議論を進めることによって、「意見がない」旨の結論に至った。いや内閣法制局の意見を加味して閣議決定文書案が作られたはずではないか。しかし現実は、内閣法制局の意見や考えが全く残されていないことになる。一枚の決裁文書以外は長官の国会での答弁議事録しか後世に残らない。公文書管理法では、「国・・・の諸活動や歴史的事実の記録である公文書等が、健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得るものであること・・・国民主権の理念にのっとり・・・国・・・の有するその諸活動を現在及び将来の国民に説明する責務が全うされるようにすること」を目的に、法令の制定又は改廃及びその経緯、閣議・・・の決定又は了解及びその経緯がわかる文書を作成しなければならないとしている。内閣法制局の行為は、この法律に違反すると考えて当然だ。
 そう考えていると先週、朝日新聞の記者が来て「文書が内閣法制局に残されていた」という。コメントを求められたので述べた。その記事が17日の同紙朝刊の一面を飾った(それはこちらから→朝日新聞2月17日朝刊)。

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 これほど議論の経過を隠す理由はなんだろうと考えていると、一つの理由が浮かんでくる。7月1日の閣議決定に対する内閣法制局の責任回避。そう考えると辻褄があう。どう考えても憲法違反だし、将来違憲判決だって想定される。そんなやばい閣議決定に横畑長官らは関わりたくない。しかし官邸の政治力で関わらなければならなくなった。ではどうする。将来の歴史的批判だけは極力避けるようにしたい。すべて安倍内閣が強権的にやったもの。そのための徹底した証拠の隠滅。長官の国会答弁を詳細に読み直さなければならないが、閣議決定に対する内閣法制局の責任と読み取れる言質は残していないかもしれない。何れにしても国民の知る権利など毛ほども尊重していない我が国官僚の面々であることは間違いない。
 もうしばらく国会での内閣法制局の追求が続くだろう。

 

2016-02-19 | Posted in 日記No Comments » 
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