2015-08

新潮文庫とギリシャの話。

 村上春樹と安西水丸という人の共著である「村上朝日堂」という新潮文庫を東京から高崎行の新幹線に乗る前に東京駅で買った。別に大した意味はなく、ただ単に面白そうだったから買った。第6感というやつである。当たった。まっこと面白い。文章が実に軽妙なのだ。
 エッセイだから最初から丹念に読み進める必要はない。たまたま開いたところから読める。
 関東甲地連のバレーボール大会のレセプションが前橋で開かれた。それに参加し帰る電車の中でたまたま開いたページがギリシャの話だった。
 著者がギリシャにいるときの生活は、朝起きて飯をくって泳いでまた飯を食って昼寝して散歩して酒飲んで飯食って寝る。という暮らしを延々と繰り返したそうだ。ギリシャに行ったことはないが、イタリアには行ったことがある。あの気候、風土ではと楽に想像できる。ダークスーツに身を包みソリッドのネクタイをピシリと締めたバンカーなどは全く似合わない。存在そのものが似合わない。
 ボタンを二つほど外した派手なシャツを着て胸元からは胸毛もチラチラ。パンツはやはり白のヨレヨレの綿かリネンだろう。
 さてさてそんなギリシャが今大変だ。EUからもっと節約して借金返せの大合唱である。特に真面目で金持ちのドイツはうるさい。
 しかしさしものドイツも気候と風土で培われたギリシャ人の天性の陽気さには勝てないと思う。ゼロか半分かと居直られたら、半分でも金返してもらった方が良いに決まっている。多分そんなことになる。

 

「もう渡るまい大東亜という虹の橋」

8月5日の平和の句

並木 孝信(81)さん  神奈川県厚木市

金子 兜太  「大東亜共栄圏」という美称のもとに戦争に駆り出されたことを忘れはしないぞ。集団的自衛権の行使が残酷な戦死を伴うことも。

東京新聞より

戦争は常に為政者が創りだしてきた。大東亜という表現も実は欧米列国に変わって日本が支配するための方便だが、そんな事実は隠蔽され渡らされたののは普通の国民だった。

2015-08-05 | Posted in 日記No Comments » 

 

楽しきかな誕生日。

 8月は僕の誕生月である。もう随分と記憶がない。誕生日の8月11日を誰かに祝ってもらった記憶がとんとないのだ。
 夏休み真っ盛りの8月は友だちと会うこともないから、おめでとうと言われることもなかった。学校が始まる頃は僕自身ももうとうに誕生日のことは忘れていて、新学期に再開した悪ガキたちとの間で話題にのぼることもなかった。
 ところで息子の誕生日は2月14日である。かみさんは3日違いの17日なので、子どもの誕生日のついでにかみさんの誕生日も家族で祝うことになる。しかしそれから半年後となるとこれまた二人から忘れさられてしまうのだ。
 息子の誕生日はバレンタインデーだ。というか息子がバレンタインデーにたまたま生まれた。誕生日がそうなので母親は我が息子にチョコレートをプレゼントしている。そのついでに彼女は僕にも必ずチョコレートをくれる。まあ子どもがメインなのは仕方ないが、悪い気はしないのである。
 でもふと考えることがある。母親以外から誕生日のプレゼントもチョコレートももらわないとなると男にとって最悪の2月14日ではないか。もう24歳だが、そんな年があったかどうかはまだ聞けないでいる。
 さて我が方は最近、来年は多くの人が誕生日を祝ってくれるからね、と強がりを言うことにしている。8月11日が国民の祝日の「山の日」に決められた。言う自分が情けないが、良いのだ。来年から誕生日は朝から一人でビールを飲んで祝うことに決めているのだ。

 

「入道雲静かな葦も立ちにける」

8月4日の平和の句

棚瀬 史恵(35)さん  岐阜県各務原市

金子 兜太  「静かな葦」は平和を愛し戦争に反対の人々。その声を大切に。

いとうせいこう  その夏の大きな雲の前で、私たちは考える葦である。しなやかに立つ。

東京新聞より

入道雲のようにモクモクと危険な雲が立ち始めたが、私たちもどっこい立ち上がった。

2015-08-04 | Posted in 日記No Comments » 

 

「さくらんぼ誰のものでもなき平和」

8月3日の平和の句

岡田 良子(67)さん  三重県亀山市

いとうせいこう  その果実が小さく輝くのは奪い合っていなからだ。奪い合って食べるのならば、その果実は甘いだろうが輝きにきづけない。

東京新聞より

たくさんあるのか。少しなのか。量は問題ではないようだ。皿に盛られたさくらんぼが笑っている。誰が食べてもいいと。

2015-08-03 | Posted in 日記No Comments »