2013-12

中国の防空識別圏拡大が意味するもの。

中国が防空識別圏を拡大したことで、東アジアの緊張が高まっている。そもそも防空識別圏とはなんなのか?そんなに中国の識別圏拡大が大変なことなのだろうか?

最近我が国では、中国や韓国を必要以上に敵視する雰囲気にあると思う。中国の覇権拡大の動向が、安倍政権の集団的自衛権行使容認論の理由の一つといっていい。

防空識別圏とは、英語ではAir Defense Identification Zoneといい、略称ADIZ(アジズ)。国の周辺を飛行する航空機の国籍、種類等を識別するために設ける空域。陸続きの国であれば国境選上だからあまり意味はないが、海岸線の場合は領海となる12海里(領地より22.2キロ)より遥かに広く設定されることになる。

ただ、アジズは国際法上確立された概念ではなく、各国が自由に設定していいことになる。したがって領空や領土の話に直接結びつくものではない。
自由に設定できるといっても、航空機の識別が可能な空域でなければ意味がないので、固定レーダーや空自がもつ大型レーダーを搭載した早期警戒管制機AWACS(エーワックス)のようなものでカバーできる範囲となる。

だから小笠原諸島などは日本のアジズ内には入っていない。ちなみに竹島も日本のアジズの外で韓国のアジズに含まれているのは余り知られていない。中国の拡大前もアジズが重なる空域もある。そんなものなのだ。

東アジアの各国のアジズ(図参照)は、米国が設定したもので、各国は異論なくこれまで従ってきた。それを初めて中国が独自に広げたわけだ。もともと国が自由に設定していい性質ものだから、中国の行為はしかたないともいえるし、日米の懸念に反応し元に戻すとも思えない。

IMG_2249

今の時期に尖閣諸島を含む空域にアジズを拡大したのだから、日本の懸念表明は当然だし、アメリカからしたらアメリカが決めた戦後秩序を勝手に変更するのは面白くないのは当たり前なのだ。

ただ中国はアジズの拡大と一緒に、圏内を飛行する場合は、飛行計画の通報を求め、従わない場合は防御的緊急措置を行うとした。防御的緊急措置がどんなことなのか判然としないが、中国的なちょっとした威嚇であることは間違いない。

アジズとは別に国際民間航空機関により設定された飛行情報区(FIR,Flight Information Region)がある。我が国では国交省の所管で、こっちは航空機の航行に必要な情報を提供することもあり、航行する航空機は事前に飛行計画の通報を各FIRに行っている。だから中国アジズへの通報もそんな大したことではないので、アメリカは念のために航行する民間航空機に通報を促すようにしたのだろう。これが冷え込んだ日中関係にある日本からすると、日本同様に中国に対して懸念を表明したのに、なんだ。ということになる。

結論から言って、今回のアジズ拡大で日中間に何か深刻な問題が惹起する可能性はないといっていい。
むしろ今回の中国側の措置は、日本に対するメッセージも込められているかもしれない。日韓、中韓、中米の二国間には不測の事態に備えての何らかの緊急的協議制度が確立している。不測の事態が大きな問題に発展することを防止するためだ。しかし日中間には存在しない。何かあったときの協議体制がないのだ。これは大きな問題。日中それぞれの政府が問題と考えている。

尖閣諸島の領有権をめぐっては中vs日米の構図であり、尖閣諸島はアメリカが決めた日本のアジズ内にある。中国からしたら対等な関係とはいいがたく、協議体制を議論するテーブルに着くには環境を変えておきたい。加えて尖閣諸島への中国側の出方を牽制する最近の米国の姿勢もある。
そんな中での中国のアジズ拡大は様々な政治的意図があると思って間違いない。

過剰反応し、協議の機会を失わないようにしなければならないと安倍政権に言っておきたい。総理は自らに「力の外交」のイメージを植え付けてしまった。冷静に対処しようとなると弱腰との印象を与えてしまう。とかく国のリーダーは、ちょうど今の朴韓国大統領のように内政がうまくいかなくなると、国外に国民の関心を誘うようにナショナリズムを煽る政策に出る傾向がある。

安倍総理は集団的自衛権行使容認、憲法改正、美しい国へという政策に代表されるように、国防や愛国心といったキーワードが似合う総理大臣だ。今の特定秘密保護法案強行採決後に、支持率低下となれば、中国のアジズの拡大を違った方向にうまくいかすかもしれないという不安がある。
ここは正確な情報を国民に提供し、冷静に対応しつつ、日中協議まで進ませることがベストの選択だ。そんな意味でも秘密保護法は問題なのである。

2013-12-06 | Posted in 日記No Comments » 

 

日記219 国民は甘くない。

昨夜の本会議は予想に反して、日をまたぐどころか、午後10時30分には終了した。こちらが構えていた本会議での強行採決を与党は見送った。

なぜか?徹夜明けで疲れていたから。特別委員会での強行採決という横暴ぶりに、自らが恐れを為したから。両方あり。だが、ここに来ての世論の盛り上がりはすごい。今日も朝から石破幹事長がテロと恐れる声や太鼓が鳴り響き、その数は恐らく時間の経過ごとに増えるだろう。

昨日の強行採決の行為や繰り返しテレビで流れるその映像、ネットで無数に流れる写真や声に触発された人々が危機感を感じ始め、その熱は、まさに燎原の火のように広がり始めた。

そんな情況下での同日の強行採決を逡巡したのは事実ではないだろうか。この怒りは、心配していたが、単に一過性のものではないように思う。恐らく強行採決後も安倍政権批判となって世論の中核を占めることだろう。心せよ、安倍政権。世論、国民は貴方たちが考えるほど甘くないぞ。

2013-12-06 | Posted in 日記No Comments » 

 

日記218 今日にも強行採決か?官邸主導の恐怖。自公の横暴極まる。

昨日から今日未明にかけての参議院は、官邸の意向にそっての与党の横暴に唖然とするばかりでした。

委員長職権で強行採決を乱発する自公は、それができない民主党が持つ2つの常任委員会委員長の首をすげ替えるという荒技。昨日中にそれができれば、今日その委員会を職権で開催し、強行採決する腹でした。全野党がそんな暴挙に腹をたて、自公対全野党の対決となりました。委員会は前日に開催決定しなければならない国会ルールがあるため、日をまたいでしまえば、委員会の開催は最終日の6日となります。攻防は4日の24時まで委員長解任決議の採決、新委員長の選任を行ってしまいたい自公と、それを5日の今日まで引き延ばしたい野党の駆け引きです。

結局、公聴会から自公が帰ってきて再開した時点で時間的に自公の思惑は、ほぼ不可能に。だったら憲政史上に汚点を残す委員長解任決議の暴挙を取りやめればよいはず。しかし自公は面子にかけて強行。結果、5日の午前3時頃に2委員長の解任決議が可決し、自民党選出の新委員長が決まったのは4時前になっていました。

参議院で常任委員長の解任が決定したのは過去1回しかありません。昨年、川口環境委員会委員長が国会の意向を無視して渡航先の中国から帰国せず、自らが開催した環境委員会が開催できなかったことを理由に解任されたのみ。この場合は明らかに川口委員長に大きな瑕疵がありました。

今回は何の瑕疵もありません。数の力での横暴に国会は騒然とします。

三原じゅん子議員の解任動議の趣旨説明時には、その余りの内容に深夜にもかかわらず傍聴していた女性が、「国民はだまれないぞ。しっかりみているぞ」と自民党を罵倒し、衛士に強制退出させられるというハプニングもありました。

ここまでやる自公ですから、今日、職権で開催が決まった特別委員会で特定秘密保護法案は強行採決される可能性が高まってきました。

今日未明の本会議の終わり方は「散会」ではなく、「休憩」ですので、突然開会することができます。今日から明日未明にかけての強行採決も覚悟しなければならないかもしれません。

安倍総理の思惑どおり、民主主義の破壊が進んでいます。彼が目指す「美しい国」とは、そういう国なのです。

2013-12-05 | Posted in 日記2 Comments » 

 

耐えられない発言の軽さ。

東京にいると多分気づかない。それは騒音の凄まじさ。信号待ちしていると驚きの大音量が近づいている。何だと思いきや、人気グループの写真を全身にまとった目映いばかりにイルミネーションしたトラック。新曲のPRだった。興味のないわたしのような者にとっては「やっかいもの」でしかないが、どう考えても「テロと同じだ」という思いはまったく浮かんでこない。

同じように右翼の街宣カーも、暴走族の爆音も「うるさいな〜」とは思うが、「テロと一緒だ」とは誰も言わないと思う。

今も国会周辺の抗議の声や太鼓の音が会館の部屋に聞こえてくる。しかし先の例とは比較にならぬ程静かで騒音というのもはばかられるくらいだ。違うのは音に明確な意思があること。誰に対して何を表現しているかが明確であることだ。抗議の声や太鼓の音が発せられる相手、おそらく政府や国会議員、とくに与党の皆々だろうが、これらの当事者にとっては音量以上に神経を逆撫でさせられるに違いない。

石破自民党幹事長が自らのブログに、国会周辺の抗議行動をテロと同じといった趣旨の意見を書き込んだ。おそらく石破さんにはわたしたちが感じるよりも、遥かに大きい音に聞こえていたのではないか。発信者の明確な抗議の意志が音以上の鋭さとなって石破さんに刺さりつづけていたに違いない。彼に取っては本当にテロと一緒の感覚だった。だから思わず、そう表現してしまった。以外と素直な方かもしれないが、権利意識、感覚の低さを露呈してしまった。政治家の耐えられない発言の軽さである。

「ナチに学べばいい」と言った麻生財務大臣。「慰安婦は必要だった。もっと風俗を使うべき」と言った橋本市長。政治家の耐えられない発言の軽さが今年も繰り返された。

安倍首相はアメリカのハドソン研究所でのスピーチで、「私を右翼の軍国主義者と呼びたかったら呼べばいい」と言い放った。首相にはその発言の重さが感覚として理解できないのであろう。彼は自分自身がほかの誰かから右翼の軍国主義者と思われているであろうことを前提に表現している。そう思われること自体が恥ずべきことのはずだが、彼の感覚の中にある「右翼の軍国主義者」のイメージは多分一般のそれとは違う。もっと良いイメージなのだ。育った環境がそうさせた。

安倍首相の祖父、岸信介の反動的・戦前復古的な姿勢への国民的拒否感こそが、60年安保闘争の政治的敵対性を高めた。1960年5月20日の日米安保条約の強行採決から一挙に運動は広がりを見せる。強行採決が「民主主義の破壊」と国民に広く受け止められたからである。しかし6月19日の条約自然成立の1ヶ月後に岸内閣が総辞職すると、運動は急速に収束する。その結果、同年11月に行われた総選挙では、安保闘争の流れで革新政権が樹立されるのではという期待に真っ向から反して自由民主党が勝利する。岸やその周辺にいた戦前復古派はこの総辞職を持って力を失った。変わって台頭したのが池田勇人、大平正芳、宮澤喜一らのいわゆる「経済成長重視派」だった。(現代思想12月「2013年の民主主義」木下ちがや)より

1960_Protests_against_the_United_States-Japan_Security_Treaty_07

その後の流れが高度経済成長に繋がり、バブル崩壊を経て、つい最近の自民党政治までつながるのは承知のとおりである。冷戦構造の中で生まれた戦後政治の流れは、安倍首相の祖父を政治的に葬り去り、戦前復古につながる価値観よりも成長を優先させて今の日本をつくりあげる。

しかし、戦後は日本だけでなく世界も変えた。仮にドイツのメルケル首相が「私をナチスと呼びたければ呼べばいい」と言ったらどうであろうか。おそらく政治生命を失うだろう。近隣国にとって「ナチス」とはそれほどの言葉ではないだろうか。安倍首相のさきの発言は同じ意味合いを持つ。祖父の意識を自らの意識の奥底に持つ安倍首相の「右翼の軍国主義者」のイメージは推察できる。しかし、我が国の最高権力者のなんと耐えられない発言の軽さであろうか。

わたしは安倍首相に代表される同思想の人たちを、「遅れてきた復古主義者」と呼んでいる。約半世紀の時を経て亡霊のごとく蘇った面々。しかし彼らの想像以上に時代は変わっている。良いも悪いもない。世界は戦前より遥かに民主主義が浸透し、人権思想が高まり、リベラル的価値観が広がっている。日本の政治だけが、復古主義的に戦前思想に戻ることは不可能だ。

国会周辺は60年安保のような雰囲気だ。デモ参加者が埋め尽くしているわけではない。しかし、特定秘密保護法案の危険性を感覚として感じる人々がうねりをつくりつつある。広がりつつある。約半世紀前、岸首相が行った強行採決が、「民主主義の破壊」とされ、運動が広がり、首相の座を追われる。国民は戦前復古を許さなかった。孫の安倍首相が一両日中に行う同じ蛮行は、きっとこの時代も「民主主義の破壊」と非難される。

昔よりも時間がかかるかもしれないが、これからわき起こるであろう運動が、きっといつの時代か、あの時が新しい政治の萌芽だったと評価される時がくる。耐えられないほど軽い発言を繰り返す政治家が、長く居座れるほど日本の政治は甘くない。国民は甘くない。きっと甘くない。

2013-12-03 | Posted in 日記No Comments »