2013-12-15

日記221 宮城県へ。帰ったら風邪です。

12日に民主党復興対策本部の仕事で、宮城県へ行ってきました。石巻市は2011年5月以来二度目の訪問です。

石巻の漁港には水産加工業の会社がたくさん戻って来ていました。工場も建ち並び、前回とは驚くほど活気があります。工場の社長さんたちも笑いがでるほど明るいのです。まだまだ厳しいのですが、前に進む思いとその実感があるからなのでしょう。

前回は避難所になっていた渡波中学校を訪問しました。このことは、2011年5月7日のこのブログに「がんばろう日本(クリックすれば飛びます)」に書きました。校舎に「ありがとう」と書いた旗がはためいていましたが、その場所はすでに更地になっていて、中学校は移転していました。学校があった地域にはもう建物は建てられないのです。

その後、女川町に行きました。女川町は牡鹿半島をはさんで石巻市の反対側になります(地図参照)。半島の付け根に大きく入り込んだ「万石浦」という入り江があります。

img_1296341_20326545_8万石浦と女川湾の距離はわずか二㌔弱。標高もさほどありません。実は万石浦は、昔から「絶対に津波は来ない」と言い伝えの残る地区。3.11の時も石巻側からの津波の被害は全くありませんでした。なぜだかはっきりしないそうです。万石浦はちょうど土瓶の形。入り口は細く、そこを抜けると大きく広がっています。津波のエネルギーが入口が小さいのでそこで拡散し、小さくなったエネルギーは突然広がる万石浦で拡散されるのでしょう。

逆のことが女川側で起きました。女川湾を襲った津波は、そのまま陸地を襲いました。万石浦に向かって細く谷間になっている空間を昇り続け、反対側の万石浦まで少ない量ですが到達しています。万石浦の奥の地域は石巻側と女川側の両方から津波が到達したことになります。

地形のちょっとした違いで被害の大きさが極端に違うのが津波の特徴です。万石浦から女川町側に入った途端に風景は一変します。IMG_2255写真は女川側に唯一無傷に残る高台に建つ医療センターです。しかしここにも津波がきました。ちょうどの建物の色が濃い茶色の部分まで津波が到達しています。いかに女川側の津波が高かったか。驚きです。でもここでもしっかりと復興が始まっていました。まだまだですが、槌音は響いています。

しかし気になることがあります。アベノミクス、東京オリンピックの効果で人員不足、資材高騰が被災地の復旧復興を直撃しているのです。生コンなどは3割アップだそうです。想定されたことですが。このままでは間違いなく復旧、復興の遅れが問題になります。

さて視察を終え東京に戻り。昨日の夕方から一泊二日で事務所のみんなと一緒に温泉旅行です。国会が終わったので一年のお疲れさんの思いで山形へ行ってきました。ところが木曜日の夜から体がおかしい。風邪のようです。おかげでせっかくの温泉宿の夕食は途中リタイアで早めの就寝となりました。残念。

2013-12-15 | Posted in 日記No Comments »