日記

がんばろう日本!

5月4日、5日の二日間で宮城県仙台市、岩沼市、名取市、石巻市に行ってきました。大震災の爪痕は深く、心締め付けられるばかりですが、復興に向けて立ち上がっている皆さんをみると私の方が元気を貰います。自治労の支援部隊もそんな中で元気に活動中でした。

 

犠牲者が一番多かったのが石巻市です。その被災地を一望できる日和山には、被災場所を向いて祈られたのでしょう数多くの花束が備えてありました。

 

 

 

避難所や市役所ロビーには、伝言や安否確認のための掲示板が設置されています。名取市では被災者でもある職員がみんなを勇気づけるために書いた一文の前で、しばらく動けませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

日和山から眺めた被災地に降りてくると焼けこげた車や瓦礫の大地がどこまでも広がっています。そんな中を車が砂埃をあげて行き交います。まるでテレビで見る戦場のような光景です。

 

 

瓦礫と砂埃の世界に元気に泳ぐ鯉のぼりが目につきました。そこで黙々と後片付けをするご夫婦に会いました。鯉のぼりは少しでも元気づけに、看板は瓦礫の中から被災した仲間と拾ってきて自分たちで描いたとご主人が話してくれました。ここで水道屋さんを営んでいたそうです。奥さんは第1波の津波で家の二階に避難しましたが、2波、3波と容赦なく襲う津波で家は流され、一緒に2階に避難していた近所の方は犠牲になり、奥さんは九死一生を得ました。「全て無くなったが、やるしかない」と決意を語るご主人に、防災服の民主党のマークを見せて参議院議員の江崎であることを名乗りました。全力で頑張ることを誓ってご主人と握手したのでした。

 

 

 

 

 

未だにライフラインが復旧しない渡波中学校には40人を超える人が不便な避難生活を送っています。この避難所運営を自治労の仲間が支援していました。避難所運営は24時間体制。夜勤も交代で勤めています。その渡波中学校の屋上でたなびく旗をよく見ると国旗ではありません。手書きで描かれた「みんなありがとう」の文字が。どこまでも素晴らしい東北の人々、日本人です。(写真をクリックすれば拡大できます)

 

 

避難所は中学校の3階です。2階まで水がきた印が校舎の壁に残っていました。この地区ではこの中学校だけが生き残った建物。皆さんは命からがらここに逃げ込み、避難生活が始まりました。けっして便利ではない避難所ですが、仮設や旅館等の安定した避難所がみつかるまでここで暮らすしかありません。他の避難所の生活も決して楽では有りません。訪問してそのことを確認できました。仮設住宅の一刻も早い建設が必要です。

2011-05-07 | Posted in 日記No Comments » 
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