2013-12-27

ポスト安倍は以外に早いか。

昨日、安倍総理が靖国神社を突然参拝した。新聞報道では、官房長官にも数日前に打ち明け、党幹部も一部しか知らせれておらず、周到に準備された、とされている。これは周到というよりも、秘密裏にゲリラ的やらざるを得なかったということの証でもある。言えば止められたであろうし、マスコミに知られれば批判は免れなかった。すべての朝刊は一面で扱ったが、安倍擁護の姿勢が強かった日経新聞でさえ批判的論調に終始していることからみても、そのことは明らかだと思う。

玉ぐし料は個人で支払ったから公式ではないと言い張っても、内閣総理大臣とどうどうと肩書きを書き添えた以上、詭弁でしかない。国内でもそんな言い訳は通用しないし、ましてや海外にとっては理解できない言い訳だろう。もともと安倍総理はどうどうと公務として参拝したいと思っている。それを許さない憲法だから改正したいのだろうが・・・。

さて日経の論調をみても総理にとっては予想以上の批判ではなかっただろうか。特にEUや頼みの米国から批判されたのでは、まさに孤立無援に追いこまれた感じではないかと思う。日経が批判したのは、まさに経済を中心にしているからだ。世界のGDPの上位をしめる東アジアの国々。中でも中国、韓国は経済的に日本とのつながりは年々深くなっている。政治よりも経済が世の国際関係の基底になった。安倍総理の靖国参拝で中国、韓国との関係が深刻になれば厳しくなるのは経済界であることは間違いない。だから日経が批判した。日本の輸出入において中国との関係が極めて大きいのは承知のこと。その中国ではあらゆる産業が台頭しようと躍起になっている。そんな中で中国国内の政治的な理由による不買運動などは中国や日本以外の国々の企業にとっては、ありがたいことこの上ない。

安倍さんは、政治的タカ派として存在感を持っている。日本のタカ派とは、面白いことに中国や韓国との対応にのみのタカ派である。極めて矮小化されたタカ派なのだが、その対象国の中国が世界の産業の行く末を左右するところまできている。

安倍さんは戦後のタカ派の象徴的存在であることは、間違いない。ただちょっと時代錯誤のタカ派という印象は、ぬぐえない。その意味で言えば、安倍さんは純粋なのであろう。彼はその政治家としての出自、あるいはそのことを政治家としてのパフォーマンスとしてなりたたたせてきたがゆえに、もう後戻りはできない。日本的タカ派の象徴としてしか彼の政治家としの存在価値はないののではないだろうか。

彼の思想や行動が地政学的にマッチしていない。だからこそこの時期に靖国に参拝ができるのであろう。しかしそれが、世界の常識の範囲を超えたものであり、経済的にマイナスであれば彼の存在はいつでも変えられ得る。

良い悪い別にして、ポスト安倍の議論は早くなるかもしれない。

 

2013-12-27 | Posted in 日記No Comments »