2013-12

ポスト安倍は以外に早いか。

昨日、安倍総理が靖国神社を突然参拝した。新聞報道では、官房長官にも数日前に打ち明け、党幹部も一部しか知らせれておらず、周到に準備された、とされている。これは周到というよりも、秘密裏にゲリラ的やらざるを得なかったということの証でもある。言えば止められたであろうし、マスコミに知られれば批判は免れなかった。すべての朝刊は一面で扱ったが、安倍擁護の姿勢が強かった日経新聞でさえ批判的論調に終始していることからみても、そのことは明らかだと思う。

玉ぐし料は個人で支払ったから公式ではないと言い張っても、内閣総理大臣とどうどうと肩書きを書き添えた以上、詭弁でしかない。国内でもそんな言い訳は通用しないし、ましてや海外にとっては理解できない言い訳だろう。もともと安倍総理はどうどうと公務として参拝したいと思っている。それを許さない憲法だから改正したいのだろうが・・・。

さて日経の論調をみても総理にとっては予想以上の批判ではなかっただろうか。特にEUや頼みの米国から批判されたのでは、まさに孤立無援に追いこまれた感じではないかと思う。日経が批判したのは、まさに経済を中心にしているからだ。世界のGDPの上位をしめる東アジアの国々。中でも中国、韓国は経済的に日本とのつながりは年々深くなっている。政治よりも経済が世の国際関係の基底になった。安倍総理の靖国参拝で中国、韓国との関係が深刻になれば厳しくなるのは経済界であることは間違いない。だから日経が批判した。日本の輸出入において中国との関係が極めて大きいのは承知のこと。その中国ではあらゆる産業が台頭しようと躍起になっている。そんな中で中国国内の政治的な理由による不買運動などは中国や日本以外の国々の企業にとっては、ありがたいことこの上ない。

安倍さんは、政治的タカ派として存在感を持っている。日本のタカ派とは、面白いことに中国や韓国との対応にのみのタカ派である。極めて矮小化されたタカ派なのだが、その対象国の中国が世界の産業の行く末を左右するところまできている。

安倍さんは戦後のタカ派の象徴的存在であることは、間違いない。ただちょっと時代錯誤のタカ派という印象は、ぬぐえない。その意味で言えば、安倍さんは純粋なのであろう。彼はその政治家としての出自、あるいはそのことを政治家としてのパフォーマンスとしてなりたたたせてきたがゆえに、もう後戻りはできない。日本的タカ派の象徴としてしか彼の政治家としの存在価値はないののではないだろうか。

彼の思想や行動が地政学的にマッチしていない。だからこそこの時期に靖国に参拝ができるのであろう。しかしそれが、世界の常識の範囲を超えたものであり、経済的にマイナスであれば彼の存在はいつでも変えられ得る。

良い悪い別にして、ポスト安倍の議論は早くなるかもしれない。

 

2013-12-27 | Posted in 日記No Comments » 

 

日記223 クリスマスです!

今日はクリスマスイブですね。昨年の今は、総選挙の敗北感をかみ締めつつ、安倍政権誕生の首班指名、そして民主党代表選とあわただしい年末を東京で送っていました。

結果、年末年始は東京にいることになりました。クリスマスとなると、あちこちにイルミネーションが輝き、まるでアメリカやヨーロッパの国にいるかのように賑やかで華やかな街が東京です(アイキャッチの写真は、今はもう取り壊されて無くなった、赤坂プリンスホテルです)。それが終われば一転、大晦日まで、ばたばたと正月の支度やら買い物で賑やかな江戸の街となります。

こんなに12月25日を境に世間の雰囲気も暮らす人々の気持ちも一変する国は、おそらく日本だけじゃないでしょうか。面白いですね。

加えて、昨年末から今年正月にかけて初めて東京にいたので経験しましたが、年末、大晦日とあれほど慌しかった街中が正月を迎えると、また一変し、車も人通りもない眠ったような街になります。特に宿舎のある麹町はオフィス街ですから極端です。これまた面白いです。

私は今週は郷里に戻り、1年の体のメンテナンスとして、ドック入りです。何も無いことを祈りますが(^-^)

皆さん、楽しいクリスマスと良いお年をお迎えください。

PS 日記222は「年賀状」は都合により削除しました。議員というのはいろいろ縛りがあります(。´_`。)

2013-12-24 | Posted in 日記No Comments » 

 

日記221 宮城県へ。帰ったら風邪です。

12日に民主党復興対策本部の仕事で、宮城県へ行ってきました。石巻市は2011年5月以来二度目の訪問です。

石巻の漁港には水産加工業の会社がたくさん戻って来ていました。工場も建ち並び、前回とは驚くほど活気があります。工場の社長さんたちも笑いがでるほど明るいのです。まだまだ厳しいのですが、前に進む思いとその実感があるからなのでしょう。

前回は避難所になっていた渡波中学校を訪問しました。このことは、2011年5月7日のこのブログに「がんばろう日本(クリックすれば飛びます)」に書きました。校舎に「ありがとう」と書いた旗がはためいていましたが、その場所はすでに更地になっていて、中学校は移転していました。学校があった地域にはもう建物は建てられないのです。

その後、女川町に行きました。女川町は牡鹿半島をはさんで石巻市の反対側になります(地図参照)。半島の付け根に大きく入り込んだ「万石浦」という入り江があります。

img_1296341_20326545_8万石浦と女川湾の距離はわずか二㌔弱。標高もさほどありません。実は万石浦は、昔から「絶対に津波は来ない」と言い伝えの残る地区。3.11の時も石巻側からの津波の被害は全くありませんでした。なぜだかはっきりしないそうです。万石浦はちょうど土瓶の形。入り口は細く、そこを抜けると大きく広がっています。津波のエネルギーが入口が小さいのでそこで拡散し、小さくなったエネルギーは突然広がる万石浦で拡散されるのでしょう。

逆のことが女川側で起きました。女川湾を襲った津波は、そのまま陸地を襲いました。万石浦に向かって細く谷間になっている空間を昇り続け、反対側の万石浦まで少ない量ですが到達しています。万石浦の奥の地域は石巻側と女川側の両方から津波が到達したことになります。

地形のちょっとした違いで被害の大きさが極端に違うのが津波の特徴です。万石浦から女川町側に入った途端に風景は一変します。IMG_2255写真は女川側に唯一無傷に残る高台に建つ医療センターです。しかしここにも津波がきました。ちょうどの建物の色が濃い茶色の部分まで津波が到達しています。いかに女川側の津波が高かったか。驚きです。でもここでもしっかりと復興が始まっていました。まだまだですが、槌音は響いています。

しかし気になることがあります。アベノミクス、東京オリンピックの効果で人員不足、資材高騰が被災地の復旧復興を直撃しているのです。生コンなどは3割アップだそうです。想定されたことですが。このままでは間違いなく復旧、復興の遅れが問題になります。

さて視察を終え東京に戻り。昨日の夕方から一泊二日で事務所のみんなと一緒に温泉旅行です。国会が終わったので一年のお疲れさんの思いで山形へ行ってきました。ところが木曜日の夜から体がおかしい。風邪のようです。おかげでせっかくの温泉宿の夕食は途中リタイアで早めの就寝となりました。残念。

2013-12-15 | Posted in 日記No Comments » 

 

君よ。驕り続けよ。

今週月曜日の朝。国会が閉会したこともあり、会館周辺は不気味に静かだった。12月6日の夜を知っているから必要以上にそう感じたのかもしれない。

あの日、夜が更けるにしたがって人々の数は増え、決して減ることはなかった。取材のヘリコプターも頭上を舞い、エンジン音を響かせていた。怒る人々が発する音と声と熱。それらが相俟って国会周辺は異様なほど騒然としていた。石破がテロ呼ばわりしたが、彼らにとっては「恐怖」を感じていたに違いない。

その光景からすれば、月曜日の朝は普通の朝かもしれないが、不気味に静かだった。安倍総理は「国会周辺は騒々しかった」「一夜明けて静かになったね」と発言したことが、新聞に載った。この政治家は「思慮」という言葉と無縁なのだろう。自分の行動が正しいと思っていたとしても、あれほどの怒りをあらわにした人々に対して余りにも無礼ではないか。石破のテロ発言と同様の感覚なのだ。というか今の政権の中心にいる面々の感覚と言っていい。AS20131122000255_comm

火曜日になって週末の世論調査の結果が報道された。共同では内閣支持率が第二次安倍内閣発足以来初めて5割をきり、47.6ポイントまで一気に10p下げた。不支持も38.4pとこれも10p以上上がった。特定秘密保護法成立を支持し続けた読売でも、同じ結果だった。特徴的なのは支持しない理由が、「自民党政権だから」が26pから40pへ急上昇したことだ。

その結果を見て驚いたのか、一転して反省の弁を述べる総理。「もっと私が説明をしっかりすれば良かった」など平気でとのたまう。衆参の両委員会には僅かの時間しか出てこなかったし、参議院での採決の強行は、その言葉がウソであることを物語っている。この人は、反省を装う発言をすることで、また国民を愚弄していることに気づかないでいる。その程度の政治家なのだ。

総理だけではない。この法律をあれほど早急にまとめあげようとした面々(菅や石破や森大臣など)が急に反省を述べだした。野田聖子自民党総務会長に至っては、「秘密」という言葉がネガティブで、看板も大事にしないといけない、という。何なんだこの人たちは。

あげくに、年明けて自民党、公明党の面々が、秘密の内容を国会が監視する制度について、米国、英国、ドイツを訪問するそうだ。空いた口が塞がらない。再三の国会監視制度の導入の意見を頑なに拒否し続けたのは君たちではなかったか。世界から異様な法律であると違和感を表明されたのは、君たちが強行に成立させた法律そのもではないか。「なぜ今頃」と訪問国の政治家から質問されるかもしれない。日本の政治家の質の低さを露呈する様な行動だが、しかしそれでも勉強しないよりも良い、かもしれない。

彼らのここへ来てのとって付けた様な反省の弁と行動は、いかにこの法律が杜撰に拙速につくられ、成立させられたかの「証拠」の何ものでもない。

12月6日の夜。国会周辺は怒りの「気」で満ち満ちていた。あの怒りが一夜明けて雲散霧消したとは私には到底思えなかった。月曜日の朝に感じた不気味さは、色づく銀杏の木陰や塀にへばりついて、そこに留まっている人々の怒りの「気」を感じるからだろう。怒りは決して消えても治まってもいない。日本中の空気の中にしっかりとけ込んでいる。

君よ。君たちよ。驕り続けよ。

表面だけ繕ってみても無駄なのだ。君たちの本質を見抜いてしまった。あとはその怒りをどこで爆発させるかだ。日本の国民は、民主主義は、こうやって強くなっていく。AS20131205000645_commL

2013-12-11 | Posted in 日記2 Comments » 

 

日記220 一夜明けて。

あと数十分で日が変わるという深夜、特定秘密保護法が参議院本会議で可決成立しました。わかっていたことですが、無念です。2日の会期延長もわずか30分ほどを使っただけで、今国会は閉じました。

数の力を持つ政党であれば、やろうと思えばここまでやれるのだ、ということをあらため思い知らされました。振り返れば、すべてが自民党、安倍政権の思うがままの国会運営でした。国会終盤の公明党は、完全に自民党の保管勢力になったと感じます。これにみんなの党の一部、維新の会が加われば、さらに思うがままのことができることになります。

ただ国会を取り囲んで反対の声をあげる人々の数は、日増しに多くなり、時間も深夜までとなりました。そして昨日はヘリコプターも飛ぶ異様な雰囲気でした。ふと、こんな雰囲気の中で自民党は強行できないかもしれないという気持ちになったのも事実です。

一夜明けました。5時間ほど眠ったでしょうか。静かな土曜の朝です。昨夜の喧騒がうそのようで、工事現場の車の音、鳥の声が聞こえてきます。

民主党はがんばりました。参議院に移ってからは、心一つに廃案目指して闘いました。しかし何かが足りなかった様な気がします。数ではありません。衆参の連携、参議院議員58名の使い方やガバナンス、運動のあり方などに我が党が克服すべき課題があります。

国会に連日集まった人々、全国で声をあげてくれた人々の運動は外国メディアも注目することとなりました。現実にわたしも外国の記者から「こうも長く反対運動が続くのは珍しい。なぜか。」と質問されました。

この運動が一過性ではなく、新たな民主主義の萌芽であって欲しいと願います。そうなるようにわたしたちも闘わなければなりません。

ほとんどヤジや大声を出してこなかったわたしですが、今回は他の議員も驚くほどに声を出していました。議員経験も4年目。もっと積極的に流れをつくっていけるように気持ちを新たにしています。

力及ばず。本当に申し訳ありません。しかし目線を上げ、進みます。

2013-12-07 | Posted in 日記No Comments »