2013-06-06

憲法を学んでこなかったツケは大きい。

昨日の参議院憲法調査会に交替で参加した。余りにも議論が面白い。加えて私もはじめ権利意識の希薄さ、憲法に関する様々な無知さがさらけ出される思いがする。会での議論を記憶なかで再現する。登場するのは、前回の立憲フォーラムで招いた筋金入りの改憲論者の小林節慶大教授と、氏から一括される憲法を変えたいと思っている自民党参議院議員である。

まず96条改正について問われると、
「天下国家のあり方に関わる問題だから、権力は公正で正々堂々としていなければならない。表現は悪いが、権力者が突然勉強するのが嫌だから裏口入学を考えるようなもので、ざまがない。権力は正々堂々として品があるもの。品がない権力なんて権力じゃない、暴力だ」とまず一刀両断、小林節(「ぶし」と読んでください。まあ名は体を表すとはこのこと)炸裂だ。

改憲派の自民党のA議員の質問
「96条改正は現実を見据えた上での理想を持った話。この60年、憲法発議すらされてこなかった。審議会が開かれたのもここ最近。そこでこの96条改正を皮切りに、国民に憲法を考えていこうという論議を巻き起こすという現実を見据えたプロセスで。(改正が)国民の手で否定されてもいい。そうやって国民がこの憲法は我々の手に落ちたと実感できるのではないか」。

国民が憲法のことを余り考えていないから、勉強してもらおうというなんか上から目線の意見。これに答えて、                        「ゲームの前にゲームの当事者がルールを有利に変えようという禁じ手。現実的で生臭く、現実をみてもこんなことすべきでないという次元の問題。過去ずっと議論されてこなかったのは、改憲政党として結党しておきながら逃げ回っていた自民党の責任」 とこれもまた切ってすてた。

続いて、日本古来の歴史と価値観が最も大事とする価値観を持つ改憲派の自民党のB議員の質問
「私は、憲法というのは国家権力を縛ると同時に国家権力を授けるものであり、また国柄や歴史、文化というものを国民の皆と、未来に生きる人々も含め共有するものではないかと思う。日本というのは今から2673年前、橿原宮で神武天皇が詔を発せられるわけで、そこで3つの建国の理念を語られる。一つは一人ひとり大切にされる国。もう一つが、徳を持って道義国家をつくりたい。もう一つが家族のように世界が平和で仲良く暮らせる国をつくりたいということ。これは今の日本人の心情からしてみても違和感はないのではないか。そして私たちが好きな(聖徳太子の)17条の憲法というのもある。また日本人は道というものを求めて生きてきた国民。何か国柄に立った上での書きぶりとか工夫というものが大切ではないか」とすごい話がでてきた、なにせ神武天皇だから。しかし自民党にはこんな価値観の人は結構いる。でもあきれ顔の自民党議員もいた。

さあ、これに答える小林教授。

「縛るだけでなく同時に国に権力を授けるもの。これはよく自民党の人が使うこと。国に権力を授けるから、もらって何をしようがかってだろとなっちゃう。授権というのは、それを頂ける、だからそれ以外使うなという、制限規範。歴史、文化、国柄を共有というのは、法律の仕事でしょうか?家族仲良くなんて、だれも仲良くしたくないなんて思っていません。でもそんなことを最高法規で説教されたくない。法は道徳に踏み込まず、これは古来の法格言。つまり世界の常識。17条の憲法は確かにあの時代の憲法。公務員の服務規律。真面目に仕事しろよ、私服肥やしたりしちゃいけないなどまさに権力者を縛る憲法」

結構はっとするところがある。これまでの不勉強を恥じざるを得ない。

2013-06-06 | Posted in 日記No Comments »