2013-06-03
日本の未来のために・・・「もし日本国憲法がなかったとしたら」
高名な憲法学者である樋口陽一さんの本「いま「憲法改正」をどう考えるか」を読んでいると、「もし日本国憲法がなかったとしたら」という仮定の講演をした、ローレンス・ビーアさんの話があった。1995年に東京で開かれた国際憲法学会世界大会での講演の一部だ。ビーアさんはアジアの憲法の専門家である。その内容は以下のとおり。
「衆議院、家制度、貴族院はそのまま残ったと思われます。裁判所は、柔軟かつ啓発的に憲法問題を扱うことができるような広い司法権を得ることはできなかったでしょう。・・・
天皇は、主権の神秘的な中心のままで、現実政治の指導者による党派的な政治よって操られていたでしょう。・・・
要するに、国体は、国家の基本として、また、言論の自由やそのほかの精神的自由を厳しく制限し、国家に対する絶対的服従を要求するための基礎として維持されたでしょう。・・・弁護士は、人権侵害事件を扱うのに臆病になっていたかもしれません。なぜなら、そのような事件の弁護をするのには、経済的にバカげているばかりか、政治的には危険であったからです。
地方政治は、大地主によって支配されていたでしょう。・・・
日本はアジア有数の軍事国家になったでしょう。そして、韓国人の日本に対する強い憎しみは、両国の同盟国であるアメリカと日本の関係を複雑なものとしたでしょう。・・・
日本は戦術的及び戦略的核兵器を保有したでしょう。若者には、天皇のために何年も奉仕することが義務づけられ、日本列島は、軍事基地にあふれ、最新兵器が配置されていたでしょう。・・・
政治的暗殺がしばしば起きたであろうと考えられます。そのような殺人の大部分は、超国家主義者かヤクザによってなされたでしょう。被害者は、国家政策を批判したり、国体に敬意を示さない政治家、大学教授、弁護士、社会評論家、労働運動指導者そして新聞記者であったでしょう。公衆は、そういったことを快く思わないでしょうが、暗殺の動機が「誠」に基づいているとみれば、暗殺者に対して寛大であったでしょう。・・・
日本人はアジア人と考えられたくないので、他のアジア人を見下したでしょう。それにもかかわらず、世界は、日本人をアジア人としてみたでしょう。・・・
こうした50年のシナリオはあり得べからざることだと思われるかもしれませんが、実際に起こったことは、それ以上にあり得ないようなことだったのです。」
引用したあと樋口さんは、「憲法が日本国の基本法となり、そうあり続けてきたことによって「実際に起こったことは」は、もし憲法が無かったら「あり得ないようなこと」だった、というビーアの認識は、大筋で当たっていた」と評している。
憲法改正自民党草案を「馬鹿げた代物」と片付けるわけにはいかない。「個の確立」を基盤とする現代民主主義(それが西洋から輸入されたものであろうとも)に対する確信的挑戦であることを肝に銘じておかなければならない。でなければいつかとって代わられる。戦後民主主義によって培われたはずの個々の力が試される時代に入った。