2010-10-26

親友に贈る

暑かった今年8月下旬のこと。なんとなく夜中に目を覚ます。ホテルの時計を見ると午前2時あたり。とんでもないときに目が覚めたと思いつつ、再び寝入った。26日から開催される自治労本部の大会に参加するため徳島市に僕はいた。前日の夜8時くらいに入り、酒宴を3つばかり参加しての夜遅くの就寝だった。

翌朝、大会会場入口であいさつをしていると、大分の村田さんと盛迫さんが突然前に現れ、「簑手が昨夜逝った」と。言葉をなくし盛迫さんの大きな体をつかみながら嗚咽する。

簑ちゃんとは彼が大分県本部の書記長になったときからの付き合いだった。回りの簑手評は「緻密で頑なで真っ向勝負型」が多いが、それと合わせ持つ「視野の広さと柔軟性や遊び心」が僕は好きだった。2007年春、その彼を突然の病が襲った。ただの風邪だと思っていたものが、余命数ヶ月と告げられた時の本人と家族の思いを計れるはずもない。それから簑手の真骨頂とも言える闘病生活が始まる。今から思うと正に病との闘いは彼の「真骨頂」であった。

そして今年の7月。選挙が終わってすぐに彼に電話した。体がきついはずなのに選挙結果の反省とこれからの課題を話し、僕に「がんばってよ」という彼の声はかすれていた。とにかく会いたい。盆開けすぐに柳川から車をとばして大分の病院に行く。彼は元気だった。握手をする。僕の手を握って「あったけえな」という。村田さんと奥さんを交えて4人でしばらく話す。ひょっとしてまた復帰できるかもしれない・・・とその時は彼の姿を見て思った。帰りにもう一度僕の手をにぎり、彼は「あったけえな」とまた言った。その言葉が妙に心に残った。

彼が逝ったのが今日の夜中の2時だと聞く。目が覚めたあの時刻ではないか。僕はこの会場に「彼」が来ていると直感する。この広い会場のどこかであいつは見ていると。そう思うと、用意していたあいさつなど吹っ飛んでしまった。最初に見舞ったとき「俺も本部へ行きたかった」と彼は呟いた。蓑ちゃんは今のままの自治労運動はだめだと思っていた。一緒にやりたかったとも言った。僕は、壇上に立ってそのことを思い出していた。

一昨日、どうしても参加したかった大分の偲ぶ会の会場であの夏以来の奥さんと会う。「簑手は徳島に行ってたんですよ。大会開催の日をまるで選んだかのように逝ったんですよ」と僕が口にする前に奥さんが言う。

その話を聞いて初めて奥さんに、夜中の2時に目を覚ましたことを伝えた。誰にも言わなかったが初めて口にした。「徳島に行ったんだ」と思っている奥さんと「徳島に来ていた」と思っている僕のそれぞれの思いが、確信に変わったときだった。

自治労運動をいや、国や大分や人々の幸せを本当に願う一人の男が逝った。その志を引き継がねばならない。「一緒にやりたかった」と言った蓑ちゃんの思いを・・・と誓う。

さようなら簑手弘。

2010-10-26 | Posted in 日記No Comments »