日記

日記225 つなみてんでんこ

民主党の震災復興推進本部は毎月、東北の各地を訪問しています。復興の現状を確認し、課題や問題を解決するためです。本部長は安住元財務大臣、私は事務局次長として参加しています。

先月は宮城、今月は岩手県宮古市田老地区に行って来ました。田老地区は2005年に宮古市と合併した旧田老町です。田老町は、明治29年(1896)6月15日に津波に襲われ、夜であったこともあり1,859人という地区のほとんどの人が犠牲となりました。昭和に入り、8年(1933)3月3日の津波で911人が犠牲になりました。そして今回の犠牲者は181人です。なんと100年くらいの間に3度の大津波に襲われた地区なのです。

田老には「つなみてんでんこ」という言葉が代々伝わっています。てんでん、ばらばらに逃げなさいという意味と合わせて、「それぞれ自分の命は自分で守りなさい」という防災教育の意味もあると教わりました。

田老地区の人口、世帯数は今度が一番多く、そこを一番大きな津波が襲いました。家の強度も今回が一番強いはずですが、壊れた家屋数を見ると明治が336戸、昭和が911戸、そして今回が1,691戸と桁違いに多い。それにもかかわらず犠牲者数が一番少ないのは、まさに「つなみてんでんこ」という文化のおかげです。

今では観光の名所となっている「たろう観光ホテル」。年間万単位の人が訪れ、市が専門の観光スタッフを置いているほどです。それは、ここでしか観れない映像があるからです。ホテルの松本社長が、とてつもない揺れの地震に津波を予感し、ホテルの6階の部屋から撮影し続けた映像を撮影したその部屋で公開してくれています。

見せてもらいました。凄まじいものでした。ホテルの4階までは津波が襲い2階までは骨組みしか残っていない状況ですから、自身も飲み込まれると覚悟するくらいのところまで津波は迫ってきたと思います。その津波はすぐ裏の山にぶつかり駆け上ろうとします。その遡上高が約40mといいますから想像を絶します。

映像を観ていて、本当にこの犠牲者数で終わったのは「つなみてんでんこ」の言い伝えのおかげであることを痛感します。みんながてんでんばらばらに逃げたのです。

ホテルは宮古市と松本社長の計らいで津波を知るモニュメントとして保存することになりました。ビルとその一室で観るその部屋から撮られた映像は、言葉ではない新しい「つなみてんでんこ」として後世に伝わることとなります。

地域の言い伝え、歴史や文化にもう一度私たちは向かい合う必要があると思いました。そう考えると、平成の大合併で「ひらがな」や今風の言葉や新たな造語に変わった自治体名が数多くあることは、少々残念です。成長や発展に心奪われ、競い合うように画一化、都市化していく流れを、そろそろ変えてみないかと、昔の人が諭しているような響きが、「つなみてんでんこ」にあるような気がします。

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2014-01-18 | Posted in 日記No Comments » 
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