2012-07

日記97 移流霧というものでしょうか。

月曜日の朝9時から民主党福島復興会議に参加するため、前日の日曜日(7月8日)の夜に東京を発ち夜中に福島市のホテルに入りました。復興会議終了後、私はそのまま福島に残り自治労福島県本部の斉藤さんの案内で月曜の午後と火曜日一日かけて原発事故被災自治体を訪ねました。

やっぱり福島県は広いですね。火曜日は福島市から浜通りの広野町、楢葉町の往復で300キロ近く走りました。天気は快晴です。でも、いわきJCTで磐越自動車道から常磐自動車道に入り北上しだすと青空なのに周りは霧が立ちこめてきました。何と言う現象なのでしょう?斉藤さんに聞くとこの辺りではちょくちょく見る霧とか。その後東京に戻りPCで検索してみると「移流霧」と言うのではないかと思うのですが・・・。さて常磐自動車道を広野インターで降りると目の前にこんな景色が。東京電力広野火力発電所の二本の煙突の先だけが霧の中から見えていました。

訪問した内容は後日報告します。

2012-07-12 | Posted in 日記No Comments » 

 

日記96 福岡県の筑後市職労が来訪

出身の柳川市と隣接する筑後市の仲間が東京の事務所を訪ねてくれました。当選後初めてです。国会は初めての人が結構多く、案内してくれた衛視さんの解説も楽しかったようで、「面白かった」と好評でした(^.^) 夜の懇親会の会場はイタリアンの落ち着いた店。しかし、「ばってん」や「なんち言よっとかい」など、ちっご弁(筑後弁)丸出しの会話で、楽しみました。また、こ(来)やんばい。

2012-07-11 | Posted in 日記No Comments » 

 

「憲政史上初」とは。

東京電力福島原子力発電所事故調査委員会、略して「国会事故調」の分厚い報告書が事務所に届いた。今朝の全紙が昨日行われた同委員会の報告を一面トップで報道している。憲政史上初と言われるその報告書だ。述べ1100人を超え900時間以上に及ぶ参考人聴取、約2,000件の資料収集の上で事故調は、事故は「人災」であると指弾し東電と国の責任を明確にした。過去の事故調よりも質は高い。各紙も概ね評価する。調査はこれまで、東電、政府、民間がそれぞれ行った。東電や政府は事故原因を内包する組織の調査ある。報告の質は推察できたし、結果もそれ以上ではなかった。強い調査権限を有しない民間では限界もある。

国会事故調の設置は野党の要望から始まった。当初政府・民主党は設置に消極的だった。事故調が政局に利用されかねないという政府の思惑もあっただろう。しかし事故の原因やその後の対応責任を有する政府が、そのことを洗い出されかねない事故調の設置に前向きなはずはない。議院内閣制において政府・民主党と呼ばれるように行政府と一体の民主党も積極的になれるはずも無い。これが我が国のこれまでの政治の限界だった。ところが国会事故調設置の意見は民主党の中にも高まった。結果、法律を成立させ設置を決めるのである。

日本の国会は議院内閣制というイギリスのウエストミンスターモデルを参考にしている。それに戦後、アメリカ型の三権分立の仕組みが加えられるという特徴的な制度を持つ。我が国憲法は、その62条で両院に対して極めて権限の強い国政調査権を保障している。しかしこのシステムがこれまで本領を発揮したことは余り無い。両院とも調査権を使うには院もしくは委員会で多数が必要となる。当然政府の不利になるような調査は与党は否決する。イギリスにおいても議院内閣制と政党政治の定着後はそれほど利用されなていない。

国会事故調はアメリカ型の独立した調査委員会を模した言われる。アメリカ型の強固な三権分立的システムの中での立法府という存在。世界初の巨大原発事故に対する一連の政府対応に対する与党内からの異論。そしてなにより参議院で与党が多数の議席を有しないというねじれ国会状況が憲政史上初のことを遂行させと思う。

だがなぜ最初に政府・与党から国会事故調のような調査委員会設置の流れがつくれなかったのか。なぜ政府与党は野党の提案に積極的に臨めなかったのか。そしてなぜ国会事故調は最大の武器である「国政調査権」の発動要請までしなかったのか。「憲政史上初」の快挙であるということは、我が国はまだまだ未成熟な民主主義、未成熟な政党政治であること証明したことになるのではないかと思う。これほどまでの大事故を経なければ、ここまでたどり着けなかったいうことの方が問題なのかもしれない。

報告書は自らの限界を認めつつ国会に行政機関等から独立した新たな調査委員会を設置することを求めた。そしてこの事故からから学び、不断の改革の努力を尽くすことが、国会議員、国会、国民一人一人の使命であると結んでいる。

 

2012-07-06 | Posted in 日記No Comments » 

 

日記95 いろんなことが起きます。

先日、中央労福協の大塚さんが会館に来られました。話は、貸金業法の改正を民主党の作業チームが検討しているとのこと。検討しているのは財務金融部門の改正貸金業法検討WT。

貸金業法の改正は2006年に与野党合同で成立し、2010年6月に完全施行されています。改正の背景には、多重債務者の増加という社会問題がありました。当時中央労福協の会長で連合の会長でもあった笹森さん(故人)の大変な努力で、300万人以上の署名を集めて政治を動かせ実現しました。高金利、過剰与信、過酷な取立てのサラ金三悪を、金利引き下げ、総量規制(貸付限度額の設定=年収の1/3)、行為規制・参入規制で是正するものでした。これにより多重債務者は激減し、採算が取れなくなり業者も減りました。郷里柳川の駅前は一時ほとんどがキラキラしたサラ金業者のネオンでしたが、それが一変しました。法改正の効果は確実にありました。

ところが世も代わり、残った消費者金融はほとんどが大手銀行の傘下となりました。政治への圧力も加わります。当座の資金繰りにサラ金を利用していた消費者や個人事業主等がヤミ金融に流れているとの情報も流されます。確実な根拠は無いようですが。

規制緩和へ再度の法改正というのがWTの目的のようです。まだ完全施行後2年です。なぜこの時期にあえて改正しなければならないか疑問に思う方が圧倒的多いのではないでしょうか?不可解なことが起きるものです。そのWTに今日初めて参加します。どうなることやら。

 

2012-07-05 | Posted in 日記No Comments » 

 

日記94 虚脱感を乗り越えて。

今日の東京は暑い夏日です。そのせいではないのですが、何となく虚脱感ありで、だいぶ更新を怠っていました。

あの嵐の夜から2週間足らず。党は分裂という最悪の事態となりました。せっかく政権交代を実現した党が分裂しなければならないのか。なぜこういう状況にまで発展するのか。本当に納得がいきません。どう考えても全うな理由がみつかりません。

政権交代が可能な二大政党をつくることを目指して自民党を離れた小沢さんです。我が国にそんな状況を作り出した矢先にその政党から出て行くことは決して本意ではないはず。一方で昨年の代表選挙で勝利したあとの演説で「もうノーサイドにしましょう」と言った野田総理の言葉も真実だったと思います。

離党がはっきりしたあと、執行部に近い人の言葉として「離党ではなく脱皮だ」という表現が新聞に掲載されていました。その表現は昨年夏のある会派の会合で聞いた言葉と同じ匂いがしました。その会合で大先輩のある議員は小沢グループとの関係を、「民由合併以来の宿痾だ」と表現しました。「宿痾(しゅくあ)」とは治らない病気のこと。2003年の民主党と自由党の合併は、それほど相容れない者同士の合併だったということでしょう。しかし乗り越えられる壁だったし、乗り越えねばならなかったはずです。情けない限りです。

しかしこれが我が国の政党政治の現実です。振り返ってもしょうがない。私も、えも言えない虚脱感を乗り越えなければなりません。がんばりましょう。

2012-07-04 | Posted in 日記2 Comments »