2012-07-06

「憲政史上初」とは。

東京電力福島原子力発電所事故調査委員会、略して「国会事故調」の分厚い報告書が事務所に届いた。今朝の全紙が昨日行われた同委員会の報告を一面トップで報道している。憲政史上初と言われるその報告書だ。述べ1100人を超え900時間以上に及ぶ参考人聴取、約2,000件の資料収集の上で事故調は、事故は「人災」であると指弾し東電と国の責任を明確にした。過去の事故調よりも質は高い。各紙も概ね評価する。調査はこれまで、東電、政府、民間がそれぞれ行った。東電や政府は事故原因を内包する組織の調査ある。報告の質は推察できたし、結果もそれ以上ではなかった。強い調査権限を有しない民間では限界もある。

国会事故調の設置は野党の要望から始まった。当初政府・民主党は設置に消極的だった。事故調が政局に利用されかねないという政府の思惑もあっただろう。しかし事故の原因やその後の対応責任を有する政府が、そのことを洗い出されかねない事故調の設置に前向きなはずはない。議院内閣制において政府・民主党と呼ばれるように行政府と一体の民主党も積極的になれるはずも無い。これが我が国のこれまでの政治の限界だった。ところが国会事故調設置の意見は民主党の中にも高まった。結果、法律を成立させ設置を決めるのである。

日本の国会は議院内閣制というイギリスのウエストミンスターモデルを参考にしている。それに戦後、アメリカ型の三権分立の仕組みが加えられるという特徴的な制度を持つ。我が国憲法は、その62条で両院に対して極めて権限の強い国政調査権を保障している。しかしこのシステムがこれまで本領を発揮したことは余り無い。両院とも調査権を使うには院もしくは委員会で多数が必要となる。当然政府の不利になるような調査は与党は否決する。イギリスにおいても議院内閣制と政党政治の定着後はそれほど利用されなていない。

国会事故調はアメリカ型の独立した調査委員会を模した言われる。アメリカ型の強固な三権分立的システムの中での立法府という存在。世界初の巨大原発事故に対する一連の政府対応に対する与党内からの異論。そしてなにより参議院で与党が多数の議席を有しないというねじれ国会状況が憲政史上初のことを遂行させと思う。

だがなぜ最初に政府・与党から国会事故調のような調査委員会設置の流れがつくれなかったのか。なぜ政府与党は野党の提案に積極的に臨めなかったのか。そしてなぜ国会事故調は最大の武器である「国政調査権」の発動要請までしなかったのか。「憲政史上初」の快挙であるということは、我が国はまだまだ未成熟な民主主義、未成熟な政党政治であること証明したことになるのではないかと思う。これほどまでの大事故を経なければ、ここまでたどり着けなかったいうことの方が問題なのかもしれない。

報告書は自らの限界を認めつつ国会に行政機関等から独立した新たな調査委員会を設置することを求めた。そしてこの事故からから学び、不断の改革の努力を尽くすことが、国会議員、国会、国民一人一人の使命であると結んでいる。

 

2012-07-06 | Posted in 日記No Comments »