日記

特定秘密保護法案に反対しよう!

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10月25日、公明党の妥協で特定秘密保護法案(特定秘密の保護に関する法律案)が閣議決定され、いよいよ衆議院の特別委員会で審議が始まる。与党は同法案を審議するため、衆院に「国家安全保障に関する特別委員会」を設置、「国家安全保障会議(日本版NSC)設置法案」とともに、今臨時国会での成立を目指すとしている。政府は日本版NSCとの関係で秘密保護法案が必要だと説明するが、そんなことはない。NSC 設置法は民主党政権時にも議論され法案が提出された。その時は、別に国民の知る権利を明記し、情報公開の内容を高める情報公開法改正法案も同時に提出した。やっと世界の情報公開の水準に近づくと期待もあった。しかし、自民党の反対で陽の目を見なかった。国家のインテリジェンス機能を高めることは、政府、官僚(特に外務省)の悲願だが、スノーデンの告発によってアメリカのNSCの国民管理の行為に批判が上がっているように、NSC先進国の問題に学ばなければならない。

もう一つの理由にアメリカの要請があるともいう。しかしこれも疑わしいというか、アメリカが日本に集団的自衛権行使を求めていたイラク戦争時のころだろう。アメリカは集団的自衛権行使を求める姿勢を表向きは崩していないが、中国の台頭による東アジアの安定が課題になってからは、むしろ慎重姿勢に転じている。集団的自衛権行使容認は外圧よりも、自民党を中心とする右的保守政治家の悲願といった国内問題だ。安倍総理はそんな政治家のサラブレッド的存在として権勢を振るっている。武器製造で一儲けしたい大手製造業の財界もこれをあとを押しする。産軍複合体の構造で戦争をし続けねばならない宿命が、オバマ大統領を苦悩させているが、まさに日本もミニアメリカの道を歩もうとしているのである。

さて秘密保護法案の問題に戻ろう。そもそも国民主権を原則とする民主主義国家として、政府が国民に対して「秘密」を持つこと自体に慎重でなければならない。国の持つ情報は本来国民のものであり情報公開の原則を徹底した上で、「秘密」は最小限かつ国民が納得出来るものに限定する必要がある。

しかし同法案が定める「特定秘密」の範囲は広範かつ不明確で、行政機関の判断でとめどなく拡大する。秘密保持の制度を持つ諸外国の場合は厳格な機密解除や監視制度の定め(アメリカでさえ独立性の高い国立公文書館情報保全監察局が機密指定の妥当性を監視し、原則25年以内に機密が解除されることになっている)があるが、同法案には個別の秘密指定の是非を監視する制度は存在せず、内閣の承認があれば永久に秘密にすることができるのだ。

違法な秘密や政府当局者の自己保身のための疑似秘密があっても検証は不可能であり、特定秘密を取り扱う者の「適正評価」の際のプライバシー侵害のおそれも強い。公安警察の肥大化、報道の萎縮による知る権利の侵害は進む。与党内の調整で「知る権利」や「取材の自由」盛り込まれたが、なにが秘密であるか自体が秘密となる同法案の構造の下では、実効性は期待できない。

また議員活動も大きく制限されることになるだろう。行政機関が国会等に特定秘密を提供した場合に、その情報を議員がどのように利用できるかも不明確であり、政府や官僚の国会軽視が進む。国会議員が行政を監視するのではなく、行政によって国会が支配されかねない構造となっており、立憲主義のあり方を根底から蝕むものといわざるをえない。官僚制度がさらに強化するのは間違いない。

様々に重大な影響を与える法案だが、概要が示されたのは9月上旬であり、パブリックコメントの期間はわずか2週間しか設けられなかった。にもかかわらず約9万件の意見が寄せられ、その約8割が反対意見であったことからみて、安倍政権の進め方は異常なのだ。その裏には先に説明したように、この政権の持つ極めて右翼的な体質がある。安倍人気のうちに悲願を達成したい。おそらく消費税が上がる来年の4月までに。

日本の公務員は情報公開を嫌う。これは国家公務員も地方公務員も本質的に大差ない。官尊民卑の思想は公務員という職業の中に刷り込まれている。しかし市民と直接に接する地方公務員の場合は、遥かに国家公務員よりも市民目線で判断できるはずだ。行政が持つ「情報は原則国民に公開されるべきもの」という視点に立って業務ができているかどうか。そうでないなら、秘密保護法案への批判は弱くなる。そうでないことを示さなければならい。立ち上がろう!まだ間に合う。

 

2013-10-24 | Posted in 日記No Comments » 
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