日記

坂野潤治著「日本近代史」

昨年面白くて読みあさった本の著者に日本近代政治史研究の坂野潤治現東大名誉教授がいる。月刊誌中央公論の「発表!新書大賞2013 年間ベスト10」(3月号)で、坂野氏の「日本近代史」(ちくま新書)が第3位に選ばた。同書は、わが国の近代政治史を、明治維新の「改革」「革命」から始め、「建設」「運用」「再編」「危機」の6期に分けて論じている。最後の「危機」は1927年から始まる。ちょうどこの時期、わが国で初めて民政党と政友会の二大政党制が実現する。しかし1931年の政友会内閣の成立の翌年の515事件、同年の満州事変により、戦前の政党政治は終焉を迎え、36年の226事件を経て軍閥、大政翼賛会がわが国政治の形となっていく。その後、国民が政治に関与できるようになるのは、まさに日本が焦土と化した終戦後の総選挙からである。
近代政治史はあまりメジャーな部門ではない。むしろ戦後民主主義における研究では、大日本帝国憲法下の戦前の政治や民主主義運動を否定とは言わないが、余り評価してこなかった。著者が本書を執筆した理由の一つもそこにあると思う。
読んでみると、6期に分けられてはいるが、紆余曲折はあるものの政治の流れは明治維新以降、一つの流れをつくり、その時代時代で担う者それぞれが懸命の努力をしていることを発見する。戦前を戦後民主主義とはまるで別物の非民主的な時代と一括りに扱うことは到底できない。明治初期の政治が維新を牽引した数藩の幕藩体制に支配され、それに反対する勢力の中で自由民権運動や立憲政治が希求され、大日本帝国憲法が生まれる。天皇制の下に起草された憲法が封建体制から生まれ変わったばかりのよちよち国家の割には、以外と民主的であったし、その憲法下でさらに民主主義を深化させようと努力する先人たちの姿を発見するのである。それらの努力が「危機」の時代の二大政党制に結実するが、成熟しきっていない政党政治は、中国への進出を機に異常に台頭しつつあった軍の行動によって終焉を迎えるのである。
筆者はわが国の政治が政権交代可能な二大政党を中心とした政党政治に進化することを望む一人だ。しかしなぜに日本では保守と革新(急進)ではなく中道の政党が力を持てないのかを嘆きつつ、民主党の成長による政権交代可能な政治体制の現出を期待するのである。2010年3月に本書の執筆を決めたと「あとがき」にある。1931年以来初の本格的政権交代が実現した翌年である。同時期に学術文庫本として再販した著者の本に「日本政治「失敗」の研究」がある。その文庫本の「あとがき」に著者は次の一文を記した。
「昭和初年の政界では、自由主義政党(民政党)と社会民主主義政党(社会大衆党)とは、時とともに対立を深めていった。今日の日本では有力な社会民主主義政党は存在しないが、昭和初年の両者の対立は一つの自由主義政党(民主党)の内部で生じるかもしれない。「自由」と「平等」のバランスをとりそこなった戦前政治の「失敗」は、今日なお学ぶべき歴史的教訓として残っているように思われる」
戦前の失敗を繰り返さないための論議が今、党内で行われている。責任は大きい。しかしその議論に参加せず、相変わらずに批判を繰り返す、リベラルを標榜する政治家がいる。残念でならない。IMG_1127

 

2013-02-15 | Posted in 日記No Comments » 
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