2013-02-04

リベラルとは

1月31日の読売新聞朝刊に「民主「綱領」堂々巡り」という見出しで、綱領案を巡って党内議論が混乱し、紛糾しているようにとれる記事が掲載された。この記事の内容は事実と違う。その議論に参加していたから間違いない。むしろ真摯に民主党の立ち位置、方向性が本音で議論され、認識が共通されつつあった。
私もグループを代表して、次の様な主に3つの意見を述べた。
① 民主党の立ち位置を示す表現として「リベラル」という文言を入れるべき。日本では「リベラル」というと左翼的に感じられがちだが、世界で認識される本来の定義は違う。世界標準としての「リベラル」、資本主義下において自由と平等を追求する価値観としての「リベラル」をめざすべき。民主党は保守の自民党と対峙しなければならないし、社民党化してもならない。

② 格差是正という方向性を明確に表現すべき。格差を是正し、国民生活を立て直すことを明確にし、「弱い立場に置かれた人への暖かいまなざしを忘れない」という意味が少々不明かつ上から目線の表現は削除する。

③ 憲法に関して、これまでの「国民主権、基本的人権の尊重、平和主義」の基本精神の具現化の考えを明記すべき。

民主党には、どちらかと言えば保守の側の人、私のように労働界出身の人、正真正銘のリベラル派など多士済々の顔ぶれがそろう。私の意見のあと「リベラル」の表現をめぐって多くの議員が、自らの歴史を語りながら異口同音に「リベラル」的表現の必要性を述べた。新聞記事に書かれている「リベラル保守」はその中の一人が、自分の選挙区で自らが使っている言葉として発言したもので、綱領に書くべき言葉として述べたものではない。

リベラルの定義は難しい。一般的に保守とは、伝統的なその国の価値観と国家を重んじる。当然、レズやゲイの権利や人工中絶を認めない。その対比としてリベラルを表現すれば、自由で多様な価値観、人それぞれを大切にし、人があって国家があるという考え、になろうか。これが日本では単純にリベラル=革新という感覚が定着している。その理由には、冷戦構造の国内版ともいえる55年体制にある。我が国では、世界のリベラル的価値観の醸成を無視し、資本主義派の自民党、社会主義派の社会党を両極にする政党政治が続いた。リベラル的思想性は資本主義or社会主義の体制選択的議論の中に埋没する。保守の自民党からすれば、リベラルなどの価値観は社会主義的となり革新的色合いを強める。アメリカでは保守の代表が共和党ならば、リベラルは民主党となるが、労働組合も支持するアメリカの民主党が社会主義体制派だとは誰も思っていない。イギリスも保守党と対峙する政党はストレートに労働党だが、内実は「第3の道」に代表されるようにリベラル的思想が強い。

フランスでもアメリカでもリベラル派が政権を取った。世界は右傾化する保守に対して危機感を強めながら、新自由主義=ネオリベラリズムとの距離も置きつつあるように思う。日本も本気で55年体制の呪縛から抜け出し、政党政治を深化させなければならない。そのためには国民に選挙という選択する機会を通じて、個々の価値観に磨きをかけてもらわなければならない。

前述したように民主党には、様々な思想性の人が揃う。その価値観を集約する場が、今の新綱領議論となる。議論はその後、民主リベラル、民主中道などいろいろ意見が出た。表現は違ってもこれまで曖昧であったリベラルや中道の価値観が、議論の中で収斂されると期待している。

 

 

2013-02-04 | Posted in 日記4 Comments »