2012-06-15

修正協議という民主主義。

いつかこの欄で原子力規制委員会と規制庁の設置について、政府案よりも野党案の方が良いところもあるといったことを書いた。その法案の修正協議が昨日与野党間でまとまった。
議論の柱であった規制委員会の位置づけは野党案で落ち着いた。環境省の外局とする独立性の強い3条委員会とするものだ。政府案は環境省の内部に設置し、首相の管理監督権限を強くイメージしていた。私は独立性が強い方が良いと考えていた。この2年間のほどの様々な議案の作成に携わってきて感じるのは、与党の法案はどうしても現実的になってしまうということだ。予算、人員、他省庁や他機関、他の法律との関係などなどの条件を整理していくと現実的にまとまらざるを得ない。そうやってできた法案を与党はなるべく無修正で成立させることが使命と思っている。一方野党は政府案の不備や問題を見つけて少しでも修正協議し、手柄としたいと思うのが常だ。
ついこの間もこんなことがあった。私は消費者問題特別委員会に所属している。ある法律案の説明を受けたとき、「なぜ○○ではだめなのか?」と担当に問う。すると先述の条件のように「こんな、こんなハードルがあるので難しい」と言うのである。さて、そんなに問題はないだろうと予測していたその法案だった。ところが意に反して野党の抵抗が強い。様々な修正要請が出される。中でも大きなポイントが私が説明の際に指摘したところだったのだ。結局、野党の意見通りの法案修正がなされ、最近やっと委員会で成立の見込みとなった。
今、問題の社会保障と税の一体改革の関連法案の修正協議もそう思って見てみると、野党案の良いところも取り入れられつつあるのではないだろうか。もともと消費税や年金や医療などの大きな問題は与野党でしっかり協議すべきものだったはず。民主党案だけで突っ走れるはずもない。ましてやマニュフェストに書いたからと固執していては事は進まない。民主党の政策を基本に野党の意見も取り入れつつ政策を進めるしかない。それが本来の国会のあるべき姿ではないのだろうか。
55年体制下においては衆参両方で自民党は多数を占めていた。参議院で否決される恐れがないので、野党との修正協議は顔を立ててやる程度で良かった。衆議院から送られてくる法案が参議院で修正されることもなかった。参議院は衆議院のカーボンコピーだと言われることになる。これまでの国会の有り様の方が民主主義から距離を置いていたと言えないだろうか。
上院にあたる日本の参議院は同じ2院制を要する諸外国の上院と比べて格段に権限が強い。衆議院から送られてくる法律を参議院で独自に審議して修正成立させることもできる。むしろ憲法はそんなことを想定して衆参両院を設置した。
政府与党の法案を否決できるだけの勢力が参院にあることによって、初めて日本の2院制の仕組みが活きてくる。ねじれ国会がむしろ日本的議会制民主主義のような気がしてならないのである。
マスコミは「何も決まらない政治」と揶揄する。しかし議論すれば時間がかかるのは必定。会議は踊りつつも前に進んでいる。民主党が与党でのねじれ国会が現出してまだ2年だ。しかし55年体制よりも遥かに真摯に議論されている。強力な与党がいて、その考えで突っ走るような一党独裁よりも、今がよっぽど民主的な運営だと思うのはまだまだ私が青臭いからだろうか。

2012-06-15 | Posted in 日記No Comments »