とんかじょんの「ふむふむ」

東京暮らしはきついのである。

 僕はカレーが好きで、イチロー選手のように毎日食べても良いが太るのでできない。福岡県に久留米という街があり、昔、そこの西鉄久留米駅にナイルカレーというお店があった。大きな皿の片方にご飯が盛られ、残り一面に黄色っぽい独特の色のカレーが薄く海のようにかけてあって、食物的固形物はどんなに探しても小さな肉片が一個だけで、味も独特でうまく言えないが、よく食べていたな。
 だからでもないと思うが、僕は結構長い間、加齢臭のことをカレー臭だと勘違いしていた。「かれい」の発音が「カレー」に聞こえ、そうインプットされていたからしかたがないのだ。だからカレーの匂いの体臭というのは如何なものかと想像し、カレー好きの体臭はカレーっぽい匂いがするのかもしれない、と考えたこともある。
 夏場は体臭が気になる季節でもある。駅なんかですれ違ったり、電車の中で変な匂いに遭遇することはしばしばで、ついついどの人だと犯人探しをしてまう。そしてほとんどが男性である。自分の匂いはわからないもので、僕もたまに「匂わない?」と連れ合いに聞いたりする。
そんな訳で出かける時はオーデコロンを使う(もう30年以上同じもの)。ある時先輩女史から「江崎くんコロンつけすぎ、くさい。あたし匂いに敏感なの」と言われがっくりと肩を落としてしまったことがある。僕の百倍もあろうか思うくらい匂いを振りまく外国人男性に遭遇したりもするが、加齢臭よりも良いと思うのです(日本人女性も最近なかなかもんです)。そんなに匂いに敏感ならこの時季さぞ大変だろうな、と同情する。鼻歪めながら電車に乗ったりしていて、我慢できずに「おたく少々匂いますよ」と隣の人に指摘したりしているかもしれない。
 匂う人は圧倒的に男性で、全国を飛び回っているから思うのだが、実は東京に多いと思う。人口が多いからなのか、一人暮らしの人が多くて洗濯に手間暇かけられないのかわからない。でも東京に戻ってくると犯人探しをする機会が多くなるのは間違いない。
東京暮らしがきついのは匂いからでもわかるのである。

 

金沢にいます。

東京を今朝立って金沢に来た。初めて乗る金沢までの新幹線だった。できるまではなんやかんや言うができてしまえばやっぱり便利である。なにせ東京から2時間半で着いてしまうのだから。
僕の地元の自民党議員は長いこと古賀誠さんだった(いまは藤丸さん)。古賀さんは建設族のドンと呼ばれていた(まだ小ドンくらいはあるようだ)。だからあの辺には誠橋とか誠道路とか「誠」がつく建造物がけっこうある。その代表格が有明海沿岸をぐるっと取り囲むように走る「沿岸道路」。着工するまでは、「そんな無駄な道路いらんくさ」とか「もったいなかね~ほんなこつ」と批判していた僕たちだった。しかし一部でも開通したらとたんに「やっぱ便利かね」、とちょっと後ろめたさを感じながらもついつい使ってしまう。つくづく便利とは恐ろしいものだと思う。このままではやっぱり東名間を結ぶリニアモーターもそうなるのだろうか。
本当に怖いなと思いつつ、金沢で開かれている事前会議会場を車で飛び回っている。

 

名物の話。

 全国を飛びまわっている仕事をしていると、土地土地のいろんな名物に出会う機会も多い。それが楽しみの一つでもある。
 石川県のある港の定食屋さんに入ると壁にかかった品書きに「きつね丼」とある。聞いたこともないから、もちろん食べたこともない。好奇心旺盛な僕は迷うことなく注文する。油あげを使ったものであることは想像できるが、さてどんな丼かなとわくわくしながら待つこと数分。お盆に蓋がかぶった丼が一つ乗ってくる。
 蓋を開けると、ご飯の上に切った油あげが乗っている。それだけであった。想像力など働かせるほどのこともない。江川のストレートのような真っ向勝負のきつね丼である。好みによって醤油をかけて食べる。考えてみるとこれは、おかずとご飯を注文した場合のご飯のエクストラバージョンなのだ。きっとご飯だけでは味気ないからと考案されたのだと思うが、だったらなぜ蓋をしておく必要がるのか。それは、油あげはわかるが、それをどう料理したものか。きっととき卵に混ぜてあるにちがいないとか、海苔か天ぷらかと想像させ、注文という行為を楽しませる主人の策謀であって、蓋を開けたときの驚きと失望も食の楽しみという深いこだわりか。本当のことはわからないが、食とは奥深きものだと思った。
 一方、滋賀県には「サラダパン」という名物があり、滋賀県民なら誰でも知っているとテレビ番組で滋賀出身のタレントが話していた。美味しいということなので、総務委員会のとき滋賀が選挙区である林さんに聞いてみたが、彼女は知らなかった。でも「こんど買ってきてあげるね」と優しかった。
 その後の総務委員会での話だ。彼女によると滋賀県でもある地域しか売っていないようで、日持ちがしないから、なかなか買えないのだそうだ。残念と思いつつそれでも待つこと数ヶ月。林さんから待ちに待った「サラダパン」が届いた。1個だけ届いた。あとで聞いたが、やっと1個だけ買えたとかで自分も食べていないそう。感謝です。
 一人で食べるわけにはいかず、どう?と秘書の鳥越くんと三木さんと三つに分けて食べてみた。コッペパンに細切れにした沢庵が挟んであったようで・・・・。何せ食べた量が少なかったから記憶も小さいのだ。
 実は今日、明日は滋賀県なのです。「サラダパン」に出会えるか。前回行った時は売り切れで出会えなかったのです。僕の中で中身も味もうすら覚「サラダパン」がすでに伝説になっていたのだった。

 

サッカーの話(2)

 前回のサッカーの話の続きです。後日談です。母校伝習館のサッカー部は5年に一度OB会を開いている。昼間試合をして夜は交流会となる。
 昼の試合で何と僕が得点を挙げた。気持ちの良かったこと。
 OB会といっても創部45周年なので還暦過ぎから今年卒業した青年までと年齢差は親と子以上だ。それなので還暦越えの超OBはその世代で1チームつくることになる。最初のその超OBチームの試合ではなく、次の若い世代の試合に出番が回ってきた。何人か老け顔がいたので歳を聞いたらそれでも46歳だった。後輩諸君は来年還暦の僕に「先輩。センターフォアードやって点とって」と気をきかせてくれた。早い話が僕らが動くから前でじっとしてていいですよ、ということである。
 それでもついつい頑張るのが僕の良いところ。自分なりに走り回っていると、右サイドをドリブルで駆け上がった例の46歳の福山くんが速いグラウンダーのパスを出す。ゴール前にいたもう一人の46歳の永尾くんがこれをなんとスルーする。僕の前にボールが転がってきた。もうやるしかありません。若者のディフェンダーより一瞬早く僕が蹴った。というかうまく右足に当たった。ボールはキーパーの左脇をすり抜け見事ゴール右隅に決まったのだ。この試合3対0で僕らのチームが勝った。もちろん得点を決めて気を良くしていた僕は20分間フル出場したの言うまでもない。
 さて試合はその後も続くが、グラウンドは夏の太陽が照りつけ、20分の試合をこなした還暦超えの皆々にとってはもう限界だ。
「この天気じゃもう一回だな」と先輩。それでもあと一回と思うところがサッカー好き。いくつになっても変わらない。
 年齢に配慮した10分の超短時間試合が始まった。相手もOBだが20歳代の若者主体のチームだから試合にならないことは先刻承知のこと。がしかしだ、まるでスローモーションだった。みんな懸命に頑張ってはいるが足がもつれ倒れるし、蹴ってもまともにボールが飛んでくれない。運動会の駆けっこで気持ちのように足が前に出ず、元気よくぶっ倒れるお父ちゃんたちのあの姿に通ずる。僕も同じなのだがやはり笑ってしまう。まあそれでも後輩の思いやりに助けられつつ何とか頑張ってみた10分間であった。
 夜の交流会ではOB会会長の木下さんのはからいで僕もあいさつをさせてもらった。人生最後の得点をお膳立てしてくれた二人にもお礼を言った。
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 スローモーションのような動きではあったがやっぱりサッカーは格闘技だった。試合時間はトータルたった30分だったのだが、翌日の体全身の痛みはたいへんだった。足の裏が筋肉痛なんて普通はありえないのです。やはり歳はわきまえなければなりません。

 

サッカーの話。

 昨日で僕は満59歳になりました。来年還暦です。よくまあ生きてきたなあと思います。
 ところで「気持ちは若い時のままだよ」なんて良く言いますが、じゃあその若い時っていつのころなのか。良く考えたら良くわからない。小学生の時のままと言ったら変に思われるし、大学生のころとすればなんか魂胆ありそうと女性から警戒される。
 それで僕の結論ですが「若いころのまま」って特定の年代を指して使っているのではない。つまりぼや〜っと若いころなのです。昨日までの58年と365日の時間の積み重ねの記憶をぜ〜んぶひっくるめて、今の自分がそれを若いころと称している。とすると人間の脳ってすごい。そう思います。皆さんはどうでしょう。
 でも肉体はそうではない。歳を重ねたから足の筋肉が大きくなったなどということは絶対にない。良く考えれば当たり前のことなのだがこの現実を受け止めたがらない僕がいる。横断歩道を渡ってる途中で信号が点滅しだしてもすぐに走れないときの情けなさ。後ろ姿が写っている写真の頭頂部を見て、これは俺じゃないぞ認めたがらない自分がいる。
 若いころのままと思うことのできる心と確実に衰える体の内なる葛藤からくる心と体のずれ。どっちに責任があるか。これは人生の永遠のテーマです。
 以前シニアサッカーの試合に備えてアップしてるときに、ふくらはぎの筋肉をブチっと切ってしまったその時、心と肉体の誤差の結末の痛さを感じたのでした。
 さて明後日の14日には母校柳川の伝習館高校サッカー部のOB会に参加し、何と試合に出るつもりでいる。心と肉体の誤差は歳を重ねるごとに大きくなる。無理しないことが一番だが、ついついってこともあるな。用心用心と言い聞かせるのでした。猛暑日も続きます。皆さんご用心。