2019-10

地に落ちる言論の府。

 台風19号の甚大な被害がいまだ明確にならない中、今週国会がスタートした。
 立憲会派は昨日、「災害対応を優先すべきでは」と今日からの予算委員会の延期を自民党に申し入れた。がしかし自民党は「延期ではなく、中止であれば受け入れる」とのこと。予算委員会で追求すべき事案は山ほどある。当然、官邸サイドは開きたくない。参議院規則に議員の3分の1の要請があれば予算委員長は予算委員会を開かなければならないとある。先の国会でその要請を行ったにも拘らず、金子委員長は予算委員会を今日まで開かなかった。規則違反は明白だが国会というところは、それも数の論理で正当化されてしまう。
 やっと開かれることになった委員会。「中止だったら開かなくてもよい」という本音は、「もう今国会中は開かない」ということ。参議院自民党は官邸の傀儡化してしまったようだ。言論の府も自民党のせいで地に落ちてしまった。
 自民党としては、やはり「災害対応を優先すべき」というこちら側の申し入れを断ったことに対する世論の反応を気遣ったのか、冒頭1時間は別枠で災害の質疑をやりませんかといってきた。そしてなんと、最初の10分間を総理から災害対応の説明をしてもらう、という。そんなもんは自民党議員の質疑時間内で総理答弁させればいいだろう。10分間も総理の自慢話を聞かされるのはたまったもんではない。
 結局、総理の説明時間は3分で折り合い予算委員会は開会された。
 冒頭、我が党の杉尾議員が、二階自民党幹事長の「まず、まず」発言について、総理の見解をただすと「詳細に承知していないから答えられない」という。自民党総裁が腹心の幹事長発言を知らない?そんなことはないでしょうと言いたいが、この二人、仲良さそうに見えて、この間ずっと話しもしていないほど無茶苦茶仲が悪いとの情報もある。
 総理は、「あの親父。また変な発言してくれて」と思っている。きっと。そして火の粉が自分に飛び火するのを避け、知らぬ存ぜんじを通すのだろう。答弁する時の苦々しい総理の顔がそう物語っていた、と思うのは私だけではないと思う。

2019-10-15 | Posted in 日記No Comments » 

 

与党、関電幹部の国会招致に応じず。予算委員会開会目処立たず。

 今一番国民の関心が高まっていると言って良い「関電幹部の金品受領疑惑」。原発マネーが回り回って電力会社幹部へ賄賂のように渡っていた。信じられないことだが、これまでも建設工事を巡ってその建設資金が様々な所に回っていた事件は枚挙に暇がない。当然、原発立地に関しても疑われてしかり。しかしそれでもその中身には唖然とする。原発マネーには税金や電気料金も還元している。当然、疑惑や疑問は国会論議で明らかにしなければ、国民の納得もいくまい。しかし民間会社は過去招致したことがないという理由にならない理由で、与党は野党の求めに応じない。必然、衆議院の予算委員会開会の与野党合意が整わない。整わないまま日が過ぎることは与党にとって悪いことではないのだ。
 昨日、参議院で自民党の代表質問に立ったのが、世耕前経産大臣。その日の夕方、世耕議員への件の元助役が関係する会社からの献金問題がネットニュースで配信される。配信がなぜ一昨日ではなく世耕議員の質疑が終わった昨日夕方だったのか?勘ぐれば勘ぐるほど関電問題は根が深いように思えてくる。他の電力会社は問題がないのか?令和最初の大疑獄事件に発展するかもしれない。だから与党は質疑を極力しないように仕向ける。第200回国会は冒頭から緊張感が高まってきた。

2019-10-09 | Posted in 日記No Comments » 

 

第200回国会

 臨時国会が始まった。日本国憲法による第1回国会が召集されたのが、1947(s22)年5月20日。それから200回目の国会である。区切りの良い国会で、しかも令和に最初に始まる国会。
 区切りが良いことを何かにつけ強調したいのが人情。あの人もそうだ。
 10月4日の所信表明演説。具体性のない所信を綿々と述べたあと、「令和の時代の新しい国創りを、皆さん、共に、進めていこうではありませんか。その道しるべは、憲法です。令和の時代に、日本がどのような国を目指すのか。その理想を議論すべき場こそ、憲法審査会ではないでしょうか。私たち国会議員が二百回に及ぶその歴史の上に、しっかりと議論していく。皆さん、国民への責任を果たそうではありませんか。」で演説を終えた。
 与党議員には、憲法は国づくりの目標であり、国民の道徳規範であると考えている人が多い。彼もその一人である。立憲主義を西洋かぶれと批判もする。確かに八百万の神を基本とする神道では、一神教下で生まれた立憲主義を理解し難い。しかし今日、人類は民主主義以上の制度を見出してはいないし、同じように立憲主義以上に権力を拘束する制度も見つけていない。
 大日本帝国憲法も立憲主義が基本原則であった。この国では立憲主義思想が150年以上続いているわけだ。さてその立憲主義を面倒と考え、己の思想に近く、己の権力統制のために改憲したいと考える為政者は少なからずいる。最近ではトルコがそうだった。改憲されエルドアン大統領の独裁強権政治は続いている。
 我が国の「彼」が、いよいよこの200回国会を憲法改正に向けて動き出させると宣言した。どっちに転んでも「あの200回国会が」となるだろう。どっちに転ぶか。最初の論戦と決断の行方は言うまでもなく国会にかかっている。国会が向こうに転べば、最終判断は国民に委ねられる。結構、大変な200回国会だと思う。

2019-10-07 | Posted in 日記No Comments »