日記

日記237 あれから3年。

あれから3年。

昨日、国立劇場で追悼式が開かれ、参議院議員として参加しました。毎回ですが、遺族代表の方々の追悼の辞には涙します。

地震直後、元気に行ってくるといって職場に戻った25歳の娘さん。そのまま津波に飲み込まれ犠牲になられました。責任ある心が自らの命を捧げることになりました。

地震発生後すぐの原発事故のため全員が着の身着のままで避難せざるを得なかったお嬢さん。しばらく立ってから自宅の下からお父さんが遺体で見つかりました。あの時、まだ生きていたのではないか、助けられたのではないか、と自問自答されます。

それぞれかけがえのない人を亡くされ、力を振り絞って3年間、生き抜いてこられたのです。おそらく全てのご遺族の方々がそうなのだと思います。

なかなか思う通りに進まない復興。それに加えて原発事故の福島は復興が置き去りにされつつあります。

地震と大津波という自然災害は、自然の前で人間の無力さをまざまざと見せつけました。どうしようもない環境の中で、どんなに人と人のつながりが大切かを学び、「絆」という言葉が使われるようになりました。

原発事故は絶対の「安全」は無いことを教え、自然災害が多く、狭小だけど人口密度が高い島国での原発事故が、どれほどの甚大な影響を与えるかを学んだはずです。

人間とは本当に大変な生き物です。「絆」を大切にしたいと思いつつ、「他人事」にできる力もあります。

東京の都知事選では原発事故が争点にはなりませんでした。

2020年の東京オリンピック招致成功は、東京新開発を生み、被災地から復興のスピードを間違いなく奪っています。

景観や自然を破壊するような巨大新国立競技場が建設されようとしています。などなど・・・

まるで「他人事」だからできるような事があちこちで起きだしました。決して2年前では許されなかったこと。

あれから3年。意識をもって「絆」の方を大切にしなければならないと思います。

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2014-03-12 | Posted in 日記3 Comments » 

コメント3件

 坂井智明 | 2014.04.08 23:46

福岡市職労港湾支部の坂井です。自治労港湾連絡協議会(議長は神戸市職労の東さんで、事務局は川崎市職労)の幹事もしています。港湾法の改正時(民間の港湾運営会社の導入と、それへの国の関与など)には、その問題点について、えさき議員には、大変ご尽力いただきありがとうございました。また2012年の6月頃、自治労港湾連絡協議会を福岡市の博多港センタービル(マリンメッセの先で、釜山行のフェリーや高速船のビートルが発着している博多港国際ターミナルの道路を挟んで反対側にあるビルで福岡市港湾局が入居しています)で開催したときは、来賓として挨拶もいただきありがとうございました。そのとき、えさき議員と記念写真を撮らせてもらったのが私です。自己紹介はそこそこにして、このメールの本題です。単なる漢字の変換ミスの件だけです。本文中、最初の方に「地震発生後すぐの原発事故のため全員が着の身着のままで非難せざるを得なかったお嬢さん」とありますが、「非難」は「避難」て変換ミスだと思いますので、訂正が可能であれば、されておかれた方がよろしいかと思います。以上です。

 福岡市職労 港湾支部 坂井智明 | 2014.04.08 23:52

先のメールが正しく送信されたどうか、わかりませんでしたので、再度、要点のみコメントさせていただきます。本文中、「地震発生後すぐの原発事故のため全員が着の身着のままで非難せざるを得なかったお嬢さん」とありますが、「非難」は「避難」の変換ミスと思われます。以上です。

 etakashi | 2014.04.18 12:02

ご指摘ありがとうございます。訂正します。すいませんm(_ _)m

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