日記

日記38 久しぶりに・・・鳥肌が。

11月13日午後。冠雪の富士が眩しい太平洋クラブ御殿場コース17番、ショートコース。距離228ヤード。石川遼が手にしたクラブは4番アイアンだった。力強い回転で振り抜いたアイアンから弾かれたボールは、ややドローしながらアゲインストの風に乗ってグリーン中央手前にオン。ボールは飛んできたそのままの軌道でグリーン左に切ったピンに向かって転がる。絶妙の転がりだった。鮮やかな緑の絨毯上に軽いフックラインの白い奇跡を描き、そして・・・ボールは消えた。ホールインワンだ。うそだろう!と叫んでしまった。ティーグラウンドから放たれた瞬間から、まるで誰かが穴の中からボールを引っ張っているような数秒だった。久しぶりに鳥肌がたった瞬間だった。

その瞬間は⇒http://youtu.be/9BpNzhD1zfI                                                   17番でボギーとしたアマチュアの松山英樹。2位とは一打差。最終18番ロングホール。ドライバーで打った第1打は320ヤード超えていた。残り、177ヤード。松山が手にしたクラブは8番アイアン。前方の木が少し邪魔をしている。しかし松山には関係なかった。渾身の振りで弾かれたボールは高い放物線を描きながら、ピン横50センチに落ちた。この状況でこの球を打つか!また鳥肌が立つのがはっきりわかった。松山に石川が持つ「何か」を感じたのは僕だけではあるまい。圧巻のイーグルで初優勝。倉本、石川に継ぐアマチュア優勝の快挙だった。

驚きはこの二人の年齢。石川が1991年9月生まれ、松山が1992年2月生まれ。つまり同学年なのだ。松山の優勝でこれから日本のゴルフ界はこの二人を中心に動いていくと予感した人は多いのではないだろうか?以前にもこのような転換期があった。というかゴルフ界が最も華々しかった時代、それは誰に聞いても青木功(1942年生)、尾崎将司(1947)、中嶋常幸(1956)のAON時代と応えるだろう。倉本昌弘などの大学生プロが出て賑やかになった時もあったが、3人を超えることはできなかった。1980年代を中心に一時代を築いた3人。その時代はこの国のバブル期と重なる。先の二人はその時代の雰囲気も生のAONのプレーも知らない世代である。

青木も尾崎も中島も戦後の復興期を終え、「もはや戦後ではない」といった時代を今の石川や松山の年齢で迎えてる。そしてそれまでの日本のゴルフのスケールを変えた。日本が上昇する中で全盛期を迎えたAON。方や戦後もバブルも、そしてバブルの崩壊も知らない世代の石川や松山。彼らに当時のAONとも似た何がしかの可能性やスケールの違いを感じる。いや、彼らならAONができなかったマスターズや全英オープンでも勝てるかもしれないといったもっと大きなスケールさえ感じる。

青木と松山の年齢差は50歳。作家の半藤一利氏は歴史は40年周期で動くという。「人の世代交代と共に価値観や常識など社会意識が大きく変容するのが、ちょうど40年ではないか」という。考えてみれば石川や松山の世代は物心ついた時からテレビや車は当然のこと、携帯やインターネットも当たり前の時代に育っている。バブルまでの日本を知る世代とそれを全く知らない世代とはまるで世界観が違って当たり前なのかもしれない。日本もやっとここまで来たのだ。

戦後の高度経済成長が残した糧で今を生きる日本。社会システムを変えなければと多くの人が思いつつ、変え切らない私達世代がいる。しかし、昨日のゴルフの試合を見ていて日本の次の時代は必ず来ると思ったのだ。時代を変えうる人物を排出するのは何もゴルフ界だけではないはずだ。きっとあらゆるステージで彼らのような日本人が育ち始めている。今の時代に責任を持つ私達がやるべきこと。それは、できる限り良い形で彼らに引き継ぐこと。それが時代を生きる私たちの最低限の責任なのだ。

そう思うとまた鳥肌がたった。

 

 

 

2011-11-14 | Posted in 日記No Comments » 
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