2019-10-15

地に落ちる言論の府。

 台風19号の甚大な被害がいまだ明確にならない中、今週国会がスタートした。
 立憲会派は昨日、「災害対応を優先すべきでは」と今日からの予算委員会の延期を自民党に申し入れた。がしかし自民党は「延期ではなく、中止であれば受け入れる」とのこと。予算委員会で追求すべき事案は山ほどある。当然、官邸サイドは開きたくない。参議院規則に議員の3分の1の要請があれば予算委員長は予算委員会を開かなければならないとある。先の国会でその要請を行ったにも拘らず、金子委員長は予算委員会を今日まで開かなかった。規則違反は明白だが国会というところは、それも数の論理で正当化されてしまう。
 やっと開かれることになった委員会。「中止だったら開かなくてもよい」という本音は、「もう今国会中は開かない」ということ。参議院自民党は官邸の傀儡化してしまったようだ。言論の府も自民党のせいで地に落ちてしまった。
 自民党としては、やはり「災害対応を優先すべき」というこちら側の申し入れを断ったことに対する世論の反応を気遣ったのか、冒頭1時間は別枠で災害の質疑をやりませんかといってきた。そしてなんと、最初の10分間を総理から災害対応の説明をしてもらう、という。そんなもんは自民党議員の質疑時間内で総理答弁させればいいだろう。10分間も総理の自慢話を聞かされるのはたまったもんではない。
 結局、総理の説明時間は3分で折り合い予算委員会は開会された。
 冒頭、我が党の杉尾議員が、二階自民党幹事長の「まず、まず」発言について、総理の見解をただすと「詳細に承知していないから答えられない」という。自民党総裁が腹心の幹事長発言を知らない?そんなことはないでしょうと言いたいが、この二人、仲良さそうに見えて、この間ずっと話しもしていないほど無茶苦茶仲が悪いとの情報もある。
 総理は、「あの親父。また変な発言してくれて」と思っている。きっと。そして火の粉が自分に飛び火するのを避け、知らぬ存ぜんじを通すのだろう。答弁する時の苦々しい総理の顔がそう物語っていた、と思うのは私だけではないと思う。

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2019-10-09

与党、関電幹部の国会招致に応じず。予算委員会開会目処立たず。

 今一番国民の関心が高まっていると言って良い「関電幹部の金品受領疑惑」。原発マネーが回り回って電力会社幹部へ賄賂のように渡っていた。信じられないことだが、これまでも建設工事を巡ってその建設資金が様々な所に回っていた事件は枚挙に暇がない。当然、原発立地に関しても疑われてしかり。しかしそれでもその中身には唖然とする。原発マネーには税金や電気料金も還元している。当然、疑惑や疑問は国会論議で明らかにしなければ、国民の納得もいくまい。しかし民間会社は過去招致したことがないという理由にならない理由で、与党は野党の求めに応じない。必然、衆議院の予算委員会開会の与野党合意が整わない。整わないまま日が過ぎることは与党にとって悪いことではないのだ。
 昨日、参議院で自民党の代表質問に立ったのが、世耕前経産大臣。その日の夕方、世耕議員への件の元助役が関係する会社からの献金問題がネットニュースで配信される。配信がなぜ一昨日ではなく世耕議員の質疑が終わった昨日夕方だったのか?勘ぐれば勘ぐるほど関電問題は根が深いように思えてくる。他の電力会社は問題がないのか?令和最初の大疑獄事件に発展するかもしれない。だから与党は質疑を極力しないように仕向ける。第200回国会は冒頭から緊張感が高まってきた。

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2019-10-07

第200回国会

 臨時国会が始まった。日本国憲法による第1回国会が召集されたのが、1947(s22)年5月20日。それから200回目の国会である。区切りの良い国会で、しかも令和に最初に始まる国会。
 区切りが良いことを何かにつけ強調したいのが人情。あの人もそうだ。
 10月4日の所信表明演説。具体性のない所信を綿々と述べたあと、「令和の時代の新しい国創りを、皆さん、共に、進めていこうではありませんか。その道しるべは、憲法です。令和の時代に、日本がどのような国を目指すのか。その理想を議論すべき場こそ、憲法審査会ではないでしょうか。私たち国会議員が二百回に及ぶその歴史の上に、しっかりと議論していく。皆さん、国民への責任を果たそうではありませんか。」で演説を終えた。
 与党議員には、憲法は国づくりの目標であり、国民の道徳規範であると考えている人が多い。彼もその一人である。立憲主義を西洋かぶれと批判もする。確かに八百万の神を基本とする神道では、一神教下で生まれた立憲主義を理解し難い。しかし今日、人類は民主主義以上の制度を見出してはいないし、同じように立憲主義以上に権力を拘束する制度も見つけていない。
 大日本帝国憲法も立憲主義が基本原則であった。この国では立憲主義思想が150年以上続いているわけだ。さてその立憲主義を面倒と考え、己の思想に近く、己の権力統制のために改憲したいと考える為政者は少なからずいる。最近ではトルコがそうだった。改憲されエルドアン大統領の独裁強権政治は続いている。
 我が国の「彼」が、いよいよこの200回国会を憲法改正に向けて動き出させると宣言した。どっちに転んでも「あの200回国会が」となるだろう。どっちに転ぶか。最初の論戦と決断の行方は言うまでもなく国会にかかっている。国会が向こうに転べば、最終判断は国民に委ねられる。結構、大変な200回国会だと思う。

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2019-07-31

「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」を使って学習会をやってみた。

 福岡県本部のユース部学習会に呼ばれた。いつものことだが、若者が「政治に無関心、もしくはそんなに興味がわかない」の問題だ。そこで「関心を持つべきだ」論の話ができないか。これがオファーだった。容易なことではありません。この問題は。これまでどれだけ多くの人々がこの問題に長〜い間挑戦し続けているだろう。だが一向に若者の政治離れが改善されたという話は聞きません。
 さあどうしよう。何を話そう。と考えたわけであります。そんな時、ふと自宅に借りてあったDVD「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」を観てみた。面白い。
 非常に面白い。よしこれを使おうと思い立ったは良いが、2時間以上の大作。とても全部を紹介するわけにはいかない。何せ僕に与えられた時間は40分なのですから。かといって編集する能力は僕にはないので、結局は会場で早送りし、選んだシーンだけ観てもらうという戦術に決定した(笑)。
IMG_0560 さてこの映画、原題は「Where to invade next」。「次はどこを侵略しようか」という意味でしょう。ベトナム、イラク、アフガン等々様々な理由をつけ戦争をしかけるアメリカを皮肉っているのだろうが、今回は世界中の国で実践されているアメリカにはない常識をアメリカに持ち帰る、奪い取るという設定。だから「侵略」なのである。
 奪い取られる国々は、イタリア、フランス、フィンランド、スロベニア、ドイツ、チュニジアなど。
 例えばイタリアは、何とも羨ましいほどの有給休暇の使い方とそんな働き方を当たり前と考える世界的超有名企業の経営者。
 フランスはこれまた何とも贅沢な小学校の給食システム。給食は重要な食べることの教育の時間と考え、ちゃんとした手を抜かないコース料理を出す。それも落としたら割れる陶器やガラスの皿、コップを使って。もちろん学校に調理場がなければそんな提供はできない。面白いのは監督の取材スタッフの子どもにアメリカの高校生がいて、そこの給食写真を小学生に見せる。そしたら子どもたち思わず「オエー」。まるで家畜の餌だと言わんばかりの反応なのだ。
 この他、宿題をなくして子どもの成績を飛躍的に伸ばしたフィンランドだったり、スロベニアでは大学が完全無料。大学生は全員が無借金。唯一借金があるのがアメリカからの留学生といった笑えない話などなど、日本人が観ても羨ましい限りの世界の常識がいっぱい紹介されている。そのどれもが市場原理主義が席巻するアメリカではあり得ないものばかりなのだ。
 そしてそれは日本にも当てはまる。いつの間にかこの国はとことんアメリカナイズされてしまっていた。そのことに気付かされる。「カロウシ」を生み出した日本。単独校方式からセンター方式へ、そしてさらに民間委託へと給食を「食の教育の時間」から「喰らわす時間」に変える日本。授業料が上がり続け、奨学金もサラ金化させ、高等教育の場に市場原理を持ち込んだ日本。
 公共とはなんだとう。宇沢弘文(経済学者・故人)が提唱した「社会的共通資本」の考えを噛みしめる。空気、水、自然、教育などといった人が生きていくために必要なものをこう定義した。
「一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する。」のが社会的共通資本であり、国家的に管理されたり、利潤追求の対象として市場に委ねられたりしてはならず、職業的専門家によってその知見や規範に従い管理・維持されなければならないのだ。
 思えば平成30年でいかにこの社会的共通資本が市場化さていったか。自治体の現場はこの30年間その嵐に吹きまくられてきた。それは今、社会問題になっている地方の人口減、地方の疲弊と決して関係なくはない。
 学習会では10分そこそこ映画を観てもらったあとに、そんな話をした。そしてそのすべてに政治が密接に絡んでいると。さてどれだけ伝わったかはわからないが、僕の話よりこの映画を全編観た方がよっぽど勉強になったはずだが残念だ。
 マイケル・ムーア監督は、この映画で最後にこう述懐する。
「どれもこれも、かつてはアメリカが始めた制度だ。それぞれの国にできてアメリカにできないはずはない」と。
そう日本にできないはずはないのである。

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2019-07-25

「風立ちぬ」

 僕は福岡県出身である。福岡県は北西を玄界灘、北東を周防灘に接する。南は筑紫次郎との異名を持つ九州の大河筑後川が流れ、広大な筑後平野を造っている。ちなみに大河三兄弟の兄は関東の坂東太郎「利根川」、三男が四国三郎「吉野川」。日本人は何かと三つを選ぶのが好きな民族だなと思う。例えば日本三大祭。京都の祇園祭、大阪の天神祭、東京の神田祭を言うが、さらに地域ごとに東北三大祭りとか江戸三大祭りとかを選んで自慢している。日本人の三大好きは結構昔からのようで、例えば「雲太、和二、京三」というのをご存知だろうか。昔の三大建造物のことで、雲太は出雲の出雲大社、和二は奈良東大寺の大仏殿、京三は京都平安京の大極殿と言われている。現在の出雲大社はそんなに大きくないのだが、太古の大社は相当大きかったらしく、最近の発見で96メートルくらいあったらしいとも言われている。日本人はそんな古いころから「三大何とか」を選んで楽しんでいたという訳だ。
 その筑後川が南に流れ、注ぎ込むのが有明海。その有明海に面した大川市というところで僕は生まれる。これを言いたかっただけなのだが、ちょっと遠回りしてしまった。そこから幼稚園のときに隣の三橋町に引っ越し、藤吉小学校に入学、卒業する。僕の小学校の後輩に俳優の妻夫木聡くんがいる。これも蛇足です。
 つまり僕は福岡出身で、出身県本部が発行する機関誌「自治労ふくおか」に「風立ちぬ」という僕のコラム欄がある訳で、それが、だいぶ書き溜まったので、このブログでも紹介しようと思ったということです。
 そこでコラム名をなぜ「風立ちぬ」にしたか、ということ。これは第1回で書いたのだが、今読み返すと紙面の都合で少々説明不足になってしまっている感あり、ですこし編集して紹介する。

・・・久しぶりに「自治労ふくおか」に連載を始めることになった。県本部書記長時代に書いていた「トンカジョン」以来だ。前回のは自分で言うのも何だが、結構読まれていたみたいで、読者の組合員の方から手紙までいただいた。さてその「トンカジョン」だが、議員となった今はブログ「トンカジョンの議員日記」で継続しているので、そちらも覗いていただいたらありがたい。トンカジョンという言葉の説明もそちらに譲ることとする。
 県本部から依頼の中に「このコラムのテーマも考えて欲しい」があった。それで「風立ちぬ」にした。「風たちぬ」は宮崎監督の最新作のテーマでもあるが(ゼロ戦を設計した堀越二郎をモデルにスタジオジブリが制作した「風立ちぬ」が当時公開中だった。)、もともと小説家堀辰雄が自身の小説に「風立ちぬ」を題した。宮崎アニメの「風立ちぬ」も堀のこの小説の影響を受けたようだ。小説「風立ちぬ」は、婚約者と付き添う「私」が主人公で、婚約者は重い病に冒されていて、この二人の限られた生活を描く。堀は、フランスのポール・ヴァレリーの詩「海辺の墓地」の中の言葉を「風立ちぬ、いざ生きめやも」と訳して小説の中で使う。そして小説の題にもした。
 病の彼女と「私」。二人は美しい自然の風景にも、頬撫でる風にも「生」を感じる。ふいに吹き立った風。その時「私」が発した言葉として堀は、「風立ちぬ、いざ生きめやも」を使った。「生きなければならぬ。でも生きれないかもしれない」。そんな不安な葛藤の表現ではあるが、「生きよう」という意思を強く感じるのは僕だけではなかろう。
 宮崎監督の「風立ちぬ」は観てはいないが、時代背景は戦争という不穏な風が舞っている頃だ。監督は、堀の思いに加え、もう一つ観る人に問いかけているのではないか。「風が吹き始めた。さあ立ち上がろう」と。
 僕らが生きる今、少々不穏な時代になりつつある。だから「風立ちぬ」にしてみた。
・・・
 2013年に書いたコラムだ。それから7年が経つ。そしてついこの間、参議院選挙が終わった。残念ながら時代の不穏さを吹き消す結果とはならなかった。「風立ちぬ、いざ生きめやも」である。

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