2019-10-07

第200回国会

 臨時国会が始まった。日本国憲法による第1回国会が召集されたのが、1947(s22)年5月20日。それから200回目の国会である。区切りの良い国会で、しかも令和に最初に始まる国会。
 区切りが良いことを何かにつけ強調したいのが人情。あの人もそうだ。
 10月4日の所信表明演説。具体性のない所信を綿々と述べたあと、「令和の時代の新しい国創りを、皆さん、共に、進めていこうではありませんか。その道しるべは、憲法です。令和の時代に、日本がどのような国を目指すのか。その理想を議論すべき場こそ、憲法審査会ではないでしょうか。私たち国会議員が二百回に及ぶその歴史の上に、しっかりと議論していく。皆さん、国民への責任を果たそうではありませんか。」で演説を終えた。
 与党議員には、憲法は国づくりの目標であり、国民の道徳規範であると考えている人が多い。彼もその一人である。立憲主義を西洋かぶれと批判もする。確かに八百万の神を基本とする神道では、一神教下で生まれた立憲主義を理解し難い。しかし今日、人類は民主主義以上の制度を見出してはいないし、同じように立憲主義以上に権力を拘束する制度も見つけていない。
 大日本帝国憲法も立憲主義が基本原則であった。この国では立憲主義思想が150年以上続いているわけだ。さてその立憲主義を面倒と考え、己の思想に近く、己の権力統制のために改憲したいと考える為政者は少なからずいる。最近ではトルコがそうだった。改憲されエルドアン大統領の独裁強権政治は続いている。
 我が国の「彼」が、いよいよこの200回国会を憲法改正に向けて動き出させると宣言した。どっちに転んでも「あの200回国会が」となるだろう。どっちに転ぶか。最初の論戦と決断の行方は言うまでもなく国会にかかっている。国会が向こうに転べば、最終判断は国民に委ねられる。結構、大変な200回国会だと思う。

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2019-07-31

「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」を使って学習会をやってみた。

 福岡県本部のユース部学習会に呼ばれた。いつものことだが、若者が「政治に無関心、もしくはそんなに興味がわかない」の問題だ。そこで「関心を持つべきだ」論の話ができないか。これがオファーだった。容易なことではありません。この問題は。これまでどれだけ多くの人々がこの問題に長〜い間挑戦し続けているだろう。だが一向に若者の政治離れが改善されたという話は聞きません。
 さあどうしよう。何を話そう。と考えたわけであります。そんな時、ふと自宅に借りてあったDVD「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」を観てみた。面白い。
 非常に面白い。よしこれを使おうと思い立ったは良いが、2時間以上の大作。とても全部を紹介するわけにはいかない。何せ僕に与えられた時間は40分なのですから。かといって編集する能力は僕にはないので、結局は会場で早送りし、選んだシーンだけ観てもらうという戦術に決定した(笑)。
IMG_0560 さてこの映画、原題は「Where to invade next」。「次はどこを侵略しようか」という意味でしょう。ベトナム、イラク、アフガン等々様々な理由をつけ戦争をしかけるアメリカを皮肉っているのだろうが、今回は世界中の国で実践されているアメリカにはない常識をアメリカに持ち帰る、奪い取るという設定。だから「侵略」なのである。
 奪い取られる国々は、イタリア、フランス、フィンランド、スロベニア、ドイツ、チュニジアなど。
 例えばイタリアは、何とも羨ましいほどの有給休暇の使い方とそんな働き方を当たり前と考える世界的超有名企業の経営者。
 フランスはこれまた何とも贅沢な小学校の給食システム。給食は重要な食べることの教育の時間と考え、ちゃんとした手を抜かないコース料理を出す。それも落としたら割れる陶器やガラスの皿、コップを使って。もちろん学校に調理場がなければそんな提供はできない。面白いのは監督の取材スタッフの子どもにアメリカの高校生がいて、そこの給食写真を小学生に見せる。そしたら子どもたち思わず「オエー」。まるで家畜の餌だと言わんばかりの反応なのだ。
 この他、宿題をなくして子どもの成績を飛躍的に伸ばしたフィンランドだったり、スロベニアでは大学が完全無料。大学生は全員が無借金。唯一借金があるのがアメリカからの留学生といった笑えない話などなど、日本人が観ても羨ましい限りの世界の常識がいっぱい紹介されている。そのどれもが市場原理主義が席巻するアメリカではあり得ないものばかりなのだ。
 そしてそれは日本にも当てはまる。いつの間にかこの国はとことんアメリカナイズされてしまっていた。そのことに気付かされる。「カロウシ」を生み出した日本。単独校方式からセンター方式へ、そしてさらに民間委託へと給食を「食の教育の時間」から「喰らわす時間」に変える日本。授業料が上がり続け、奨学金もサラ金化させ、高等教育の場に市場原理を持ち込んだ日本。
 公共とはなんだとう。宇沢弘文(経済学者・故人)が提唱した「社会的共通資本」の考えを噛みしめる。空気、水、自然、教育などといった人が生きていくために必要なものをこう定義した。
「一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する。」のが社会的共通資本であり、国家的に管理されたり、利潤追求の対象として市場に委ねられたりしてはならず、職業的専門家によってその知見や規範に従い管理・維持されなければならないのだ。
 思えば平成30年でいかにこの社会的共通資本が市場化さていったか。自治体の現場はこの30年間その嵐に吹きまくられてきた。それは今、社会問題になっている地方の人口減、地方の疲弊と決して関係なくはない。
 学習会では10分そこそこ映画を観てもらったあとに、そんな話をした。そしてそのすべてに政治が密接に絡んでいると。さてどれだけ伝わったかはわからないが、僕の話よりこの映画を全編観た方がよっぽど勉強になったはずだが残念だ。
 マイケル・ムーア監督は、この映画で最後にこう述懐する。
「どれもこれも、かつてはアメリカが始めた制度だ。それぞれの国にできてアメリカにできないはずはない」と。
そう日本にできないはずはないのである。

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2019-07-25

「風立ちぬ」

 僕は福岡県出身である。福岡県は北西を玄界灘、北東を周防灘に接する。南は筑紫次郎との異名を持つ九州の大河筑後川が流れ、広大な筑後平野を造っている。ちなみに大河三兄弟の兄は関東の坂東太郎「利根川」、三男が四国三郎「吉野川」。日本人は何かと三つを選ぶのが好きな民族だなと思う。例えば日本三大祭。京都の祇園祭、大阪の天神祭、東京の神田祭を言うが、さらに地域ごとに東北三大祭りとか江戸三大祭りとかを選んで自慢している。日本人の三大好きは結構昔からのようで、例えば「雲太、和二、京三」というのをご存知だろうか。昔の三大建造物のことで、雲太は出雲の出雲大社、和二は奈良東大寺の大仏殿、京三は京都平安京の大極殿と言われている。現在の出雲大社はそんなに大きくないのだが、太古の大社は相当大きかったらしく、最近の発見で96メートルくらいあったらしいとも言われている。日本人はそんな古いころから「三大何とか」を選んで楽しんでいたという訳だ。
 その筑後川が南に流れ、注ぎ込むのが有明海。その有明海に面した大川市というところで僕は生まれる。これを言いたかっただけなのだが、ちょっと遠回りしてしまった。そこから幼稚園のときに隣の三橋町に引っ越し、藤吉小学校に入学、卒業する。僕の小学校の後輩に俳優の妻夫木聡くんがいる。これも蛇足です。
 つまり僕は福岡出身で、出身県本部が発行する機関誌「自治労ふくおか」に「風立ちぬ」という僕のコラム欄がある訳で、それが、だいぶ書き溜まったので、このブログでも紹介しようと思ったということです。
 そこでコラム名をなぜ「風立ちぬ」にしたか、ということ。これは第1回で書いたのだが、今読み返すと紙面の都合で少々説明不足になってしまっている感あり、ですこし編集して紹介する。

・・・久しぶりに「自治労ふくおか」に連載を始めることになった。県本部書記長時代に書いていた「トンカジョン」以来だ。前回のは自分で言うのも何だが、結構読まれていたみたいで、読者の組合員の方から手紙までいただいた。さてその「トンカジョン」だが、議員となった今はブログ「トンカジョンの議員日記」で継続しているので、そちらも覗いていただいたらありがたい。トンカジョンという言葉の説明もそちらに譲ることとする。
 県本部から依頼の中に「このコラムのテーマも考えて欲しい」があった。それで「風立ちぬ」にした。「風たちぬ」は宮崎監督の最新作のテーマでもあるが(ゼロ戦を設計した堀越二郎をモデルにスタジオジブリが制作した「風立ちぬ」が当時公開中だった。)、もともと小説家堀辰雄が自身の小説に「風立ちぬ」を題した。宮崎アニメの「風立ちぬ」も堀のこの小説の影響を受けたようだ。小説「風立ちぬ」は、婚約者と付き添う「私」が主人公で、婚約者は重い病に冒されていて、この二人の限られた生活を描く。堀は、フランスのポール・ヴァレリーの詩「海辺の墓地」の中の言葉を「風立ちぬ、いざ生きめやも」と訳して小説の中で使う。そして小説の題にもした。
 病の彼女と「私」。二人は美しい自然の風景にも、頬撫でる風にも「生」を感じる。ふいに吹き立った風。その時「私」が発した言葉として堀は、「風立ちぬ、いざ生きめやも」を使った。「生きなければならぬ。でも生きれないかもしれない」。そんな不安な葛藤の表現ではあるが、「生きよう」という意思を強く感じるのは僕だけではなかろう。
 宮崎監督の「風立ちぬ」は観てはいないが、時代背景は戦争という不穏な風が舞っている頃だ。監督は、堀の思いに加え、もう一つ観る人に問いかけているのではないか。「風が吹き始めた。さあ立ち上がろう」と。
 僕らが生きる今、少々不穏な時代になりつつある。だから「風立ちぬ」にしてみた。
・・・
 2013年に書いたコラムだ。それから7年が経つ。そしてついこの間、参議院選挙が終わった。残念ながら時代の不穏さを吹き消す結果とはならなかった。「風立ちぬ、いざ生きめやも」である。

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2019-05-22

江戸時代もあった東京一極集中。

 東京一極集中は日本人の性癖なのか。DNAに組み込まれた遺伝子がそうさせるのか。あの江戸時代も江戸一極集中が問題となっていたそうだ。
 今日の朝日新聞朝刊の特集「耕論」の「東京の大学めざすな?」が面白い。歴史学者の藤田覚(さとる)さんが寄稿した「江戸時代に失敗した政策」を読んでなるほどと思った。
 多すぎる首都の人口を減らす、ことがかつてこの国で政策課題に上った。それは天保年間(1831〜45)の老中・水野忠邦の頃で、なんと「人返しの法」として実施されたというからすごいではないか。江戸に出ていた農民を村に返し、逆に農村から江戸への流入も禁止した。
 当時の江戸は人口110万人の世界一の都市だった。仮に当時の国の人口を3000万人とすれば、3.7%が江戸に住んでいたことになる。110万のうち約半分がその日暮らしの下層町人という。ひとたび飢饉や大火事等の大惨事が起きれば、とても対応できないと幕府が考えたのも合点がいく。「天保の大飢饉」を何とか乗り切った矢先なので緊急性もあったのだろう。江戸に人が集まることは、主に職を求めての農民層が中心となれば、農村では人口減が進むことになる。封建社会だから農民が減ればその分年貢収入も減る。これも幕府にとっては大変なこと。「人返し法」は江戸の治安上の問題と農村の生産力回復という2つの目的を持っていたと藤田さんは書いている。
 さてでは「人返し法」は成功したのか。実は効果が上がらなかった。藤田さんの話にはあの遠山の金さんも登場する。実は当時江戸町奉行だった金さんは、この法に反対した。理由は、農民が江戸に出てくるのは「過重な年貢負担を強いるからだ」と主張。地方の実情を考慮せずに江戸の人口抑制に取り組んでも、成果は上がらないという訳である。実際そのとおりだった。
 現代の東京一極集中はどうか。東京都の人口は約1300万人。実に全人口の約1割が東京都に集まってしまった。天保の時代よりはるかに深刻な一極集中なのである。人が多い分、高齢者の人口も多い。千葉県、神奈川県なども入れると関東圏の65歳以上の人口は1000万人を超えている。当然高齢化の進行でもっと増える。施設が足りるわけがない。地価がこんな高いところで、高齢者施設の経営は成り立たない。地主や企業は効率が良くもっと儲かる活用しかしない。必然的に東京では普通の高齢者が入居できる施設は不足する。同じことは保育にも言える。
 どうするつもりだろう。ある時、官僚に聞いてみた。その回答は、「出ていってもらうしかないですね」。お金を持たない高齢者は自己責任で東京からどこかに引っ越すしかないということなのだ。つまり策がないのである。
 「人返し法」といった実力行使をやった江戸時代の方が、江戸一極集中や農村人口減を深刻に考えていたのかもしれない。
 江戸時代も現代も、必要なのは地方が今より魅力的になり、暮らしも充実すること。そのためのあらゆる政策を戦略的に進めていかなければならない。例えば地域に人が住む以上絶対必要な公共サービスである保育、教育、医療、介護などを充実させ、そこに従事する人を増やすことで雇用を生むことも一つの政策だ。権限財源移譲も本気で進めなければなるまい。やることは一杯ある。選挙目当てのような地方創生やふるさと納税といった政策に時間と労力を費やしている場合ではないのだ。

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2019-05-21

福山駅前はバラで一杯でした。

 昨日、党の用務で福山市へ行ってきました。福山市って何県にあるか知らない人が多い、と以前福山市の人が言っていました。広島県です。広島県といえば広島市があまりに有名なので、確かにかすんでしまうのかもしれません。県東部に位置し、人口46万人の大きな都市なんです。
 福山駅を出ると、なんかいい匂いがします。そんな思いで何気なく花のアーケードを通ると、匂いの主がわかりました。薔薇です。バラのアーケードなのです。そう気づくと花壇の花もぜ〜んぶバラ。あとで聞けば一昨日までバラまつりが行われていたそう。福山市はバラで有名なんです。
 調べてみると、戦争中の空襲の惨禍を悼み、荒廃する街を憂いた福山市民有志が、1956年に市内の空き地にバラの苗約1000本を植えたことが、福山市とバラの起源のようです。あと、宮崎アニメの「崖の上のポニョ」で有名になった「鞆の浦」も福山市です。IMG_0491

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