日記

風立ちぬ №9「本当の勇気とは」・・・なかにし礼の詩から

 69回目の8月15日、千鳥ヶ淵墓苑の追悼集会であいさつをしたとき、サンデー毎日(7月27日号)に掲載されたなかにし礼さんの「平和の申し子たちへ!泣きながら抵抗を始めよう」を引用した。
 集団的自衛権行使の必要性を語る時の安倍総理を初め容認賛成論者の口調。ヘイトスピーチに代表されるプチナショナリズム者のデモの叫びや巷に溢れる嫌中・嫌韓の本の言葉。
いずれも勇ましい。妙に勇ましい。しかし聞けば聞く程、読めば読む程心は渇く。君は本当にそれでいいと思っているのか?と問いたくなる。そんなに僕たちは強いのか?と。

「若き友たちよ!/君は戦場に行ってはならない/なぜなら君は戦争にむいていないからだ/世界史上初めて/69年間も平和がつづいた/理想の国に生まれたんだもの/平和しかしらないんだ/平和の申し子なんだ/平和こそ君の故郷であり/生活であり存在理由なんだ/平和ぼけ?なんとでも言わしておけ/戦争なんか真っ平ごめんだ/人殺しどころか喧嘩もしたくない/たとえ国家といえども/俺の人生にかまわないでくれ/俺は臆病なんだ/俺は弱虫なんだ/卑怯者?そうかもしれない/しかし俺は平和が好きなんだ/それのどこが悪い/弱くあることも/勇気のいることなんだぜ/そう言って胸をはれば/なにか清々しい風が吹くじゃないか/愛する平和の申し子たちよ!/怖れるものはなにもない/今こそ!/身を焦がす痛みに泣こう/泣きながら抵抗を始めよう/泣きながら抵抗しつづけるのだ/泣くことを一生やめてはならない/平和のために!」

 長い詩の最後の部分です。興味がある方はぜひ全文を読んでください。そして本当の勇気とは何かを見つけましょう。未来のために。・・・2014年8月19日記

 この年の7月1日、安倍政権は多くの反対を押し切って憲法違反といえる集団的自衛権行使容認の閣議決定を行った。国会での議論は尽きなかったが、国会を閉じ、その間隙を突いたような暴挙であった。戦後69回目の8月15日はいつもどおり暑かった。そしていつも以上に怒りが充満していたように感じていた。その日の戦没者追悼集会に立憲フォーラム代表で招かれ、あいさつをした。
 限られた短い時間、何を伝えようと考えた。すぐに頭に浮かんだのが、このなかにし礼さんの「平和の申し子たちへ!泣きながら抵抗を始めよう」の詩だった。反戦や平和を訴える私に浴びせられ続けてきた「平和ボケ」や「単独平和主義」といった罵声。どちらかといえば軟弱者扱いされ形見の狭い思いをしがちな私だが、それをどストライクで肯定し、抵抗とは勇気とは何だろうと考えさせてくれた。
 平和な時代に生まれ育った心やさしい若者たちに語りかける詩。軍事国家へと変貌しつつある日本の危険性を訴え、平和のかけがえのなさを歌い、弱き者が涙ながらに時代に抗うことを呼びかけた詩。何度読んでも勇気が湧く。
 そのなかにし礼さんも昨年12月23日に亡くなられた。82歳であった。私たちは、なかにし礼さんの思いをつなぐことができるだろうか。

ネット上で全文を探しました。こちらです。⇒「平和の申し子たちへ!泣きながら抵抗を始めよう」

2021-04-26 | Posted in 日記No Comments » 

 

風立ちぬ №7「わがまま坊っちゃんに率いられる不幸」2014/5/26

 オバマ大統領がやってきました。そして瞬く間に韓国に行ってしまいました。安倍、オバマの共同記者会見の全てがYouTubeにUPされています。通訳無しなのが残念ですが。
 見られた方は感じられたと思います。安倍総理が耳障りなほど「バラク」「バラク」と大統領をファーストネームで呼んでいたことです。彼に取っては、大統領との信頼関係をそんなことで表現したかったのでしょう。しかし、失礼なほど「バラク」を使う安倍総理が滑稽かつ情けなく思えてしまったのは私だけではないと思います。それに応える大統領の方が「シンゾー」とは言わず、「プライムミニスターアベ」や「ミスターアベ」と返していたから、なおさらです。
 大統領訪問が安倍政治に一石投じてくれることを期待していましたが、残念ながらそうはなりませんでした。というか大統領は記者会見の中で相当踏み込んで話をしていますが、我が宰相の方がてんで意に介していないのです。例えば、躍起になっている集団的自衛権については、安倍総理が「歓迎、支持すると大統領が言ってくれた」と話すのみで、大統領の口からは一言も聞かれませんでした。むしろCNNの記者から「中国への武力行使は?」は問われて、「レッドラインはない」と武力行使を否定しました。加えて日本では「尖閣の安保条約5条適用を大統領が言ったことは、画期的」と興奮しますが、「尖閣の領有権については関知しない」と大統領自らが突き放しています。大統領訪日ではっきりしたのは、「尖閣問題で中国を刺激するのはやめてくれ、何かあっても俺は知らないからな」と大統領が安倍総理を諭していたこと。しかし、総理は意に介さず、極めつけは記者会見の最後に「靖国」のことで持論を展開したことです。何とも情けない我が国の宰相の姿があらわになってしまいました。 ・・・2014年5月26日

2021-04-13 | Posted in 日記No Comments » 

 

風立ちぬ№6 「大統領の訪問」

 先だってワシントンD.C.に行ってきました。
 やはり安倍首相の行動や発言は、「日本は戦後体制を否定したいの?」と映っていました。集団的自衛権も、アメリカの国益のためには「行使可能」にこしたことはありませんが、それよりも東アジアの安定ですよ、といった具合です。「アメリカの普通の知識人は(安倍首相の行動や発言に)不快感を持つだろう」とまで言われたら、もうどうしようもありません。
 靖国参拝や「侵略の定義は無い」と開き直るのは戦前の日本の国策を肯定するようなもの。河野・村山談話の見直し論も同じです。サンフランシスコ講話条約を「嫌だ」と、戦後70年経っても、だだをこねる。そこで今の日本に対して使われる言葉が、「東アジアでの孤立」。近い隣国だけではなく、遠い隣国からもそう思われはじめているという実情は、国内には届かないし、日本のマスコミもそんな論点で記事をあまり書きません。
 戦後秩序を未だに苦々しく思っている頓珍漢勢力の行動や発言が、結果として日本の孤立を招いています。少しやばいと思った安倍首相は大統領訪日前に「河野談話は見直さない」と方向転換に躍起です。ところが22日、靖国神社の春の例大祭に首相の腹心である新藤総務大臣ほか多数が参拝しました。大統領訪日直前です。唖然としてしまいす。頓珍漢な人々が行う頓珍漢な行動が日本を混迷に導いています。
 130年前の黒舟派遣で日本を開国させ、70年前に敗戦に追い込み日本に民主主義を導入させたアメリカ。このままでは東アジアで孤立の道を歩むしかない今の日本。そんな日本の政治に一石を投じるかもしれないオバマアメリカ合衆国大統領が、明日、日本にやって来ます。さあどうなるか。      ・・・2014年4月22日

 オバマ大統領訪日前の2014年3月30日から4月4日まで、立憲フォーラムの仕事で米国のワシントンD.Cを訪問し、米国の議会関係者、政府関係者、オピニオンリーダー、メディアの方々と率直な意見交換を行った(詳細は→オフィシャルHPを参照してください)。彼の地ではサンフランシスコ講和条約以降の世界秩序を否定するかのような安倍首相の行動や発言が相当印象悪く捉えられていた。さて期待されたオバマ大統領の訪日だったが、余りたいした成果はなかった。この後、安倍首相とオバマ大統領との会談は2016年5月の伊勢志摩G7サミットでもう一回実現する。
 時は流れ、米国大統領はオバマからトランプに変わり、今はバイデン。そしてオバマ大統領の回顧録「約束の地」がこの2月に日本でも出版された。
 ジャーナリストの高野孟さんは、新聞広告に日本人の登場人物例として唯一「鳩山由紀夫」の名が出ていたので期待して読んだそうだが、「その部分はわずか23行だけで、しかもそのうち18行は天皇皇后に会って強い印象を受けたことに当てられていて、鳩山首相との会談については『経済危機、北朝鮮問題、沖縄の米海兵隊基地の移転案について協議した。話し上手ではないが感じのいい鳩山は、日本ではここ3年足らずのあいだで4人目の首相であり、私が就任してからは2人目。……その7カ月後には彼も首相の座を去った』とい程度の記述で、この前後の6代にわたりほぼ1年ごとに首相が交代した日本の有様にシラケ気味であることが窺える。というのも、この後の初めての中国訪問をはじめ、ロシア、インド、トルコ等々についてはかなり詳しく印象を語っていて、観察眼の鋭さと問題理解力の深さが感じられるのだが、日本初訪問に関してはそれがない。」と少々失望している。
 今回発売の回顧録は上下2巻だが「回顧録1」。安倍首相が登場するとすれば「回顧録2」を待たねばならない。
 「私の予想では、オバマは安倍にはあまり好意を持っていないはずで、それは16年11月にトランプが当選するや否や安倍が『50万円のゴルフクラブ』とかを土産に就任前のトランプに会いに行くという前例のない無礼を働き、当時ホワイトハウス広報官が『米国には大統領は1人しかいない』と不快感を示したからである。さあて、『回顧録2』で安倍はどう描かれているのだろうか」と高野さんは興味津々である。きっと大した記述はないと思っている。

2021-04-06 | Posted in 日記No Comments » 

 

風立ちぬ№5 「戦後3番目」

 戦後3番目の早さだそうです。来年度予算案成立の早さです。今年は3月20日でした。
なぜそんなに早かったか。答えは衆議院の予算審議が早く進んだためです。参議院の民主党は成立を3月3日までずれ込ませるように、衆議院にエールを送っていました。予算案は衆議院で可決されてから30日たてば、参議院の審議がどうであろうと自然成立します。自然成立日を4月にずれ込ませれば、予算を担保にいろいろなことができる。民主党が与党のときもこの手で自民党から揺さぶられました。ねじれ国会のときは補正予算を組むこともザラにありました。
 ところが今の衆議院の予算委員会理事会は民主党はたった1人という超劣勢です。加えて与党にすり寄る維新の理事もありで、野党共闘も不発。与党のいいように仕切られ、2月28日に可決、即参議院に送付されました。これで勝負あり。野党がどう抵抗しようが、与党は粛々と審議を進め時間切れを待つだけでいいのですから、とにかく余裕です。
 前代未聞の3万件を超す意見が寄せられ、その7割以上が抗議である失言王の籾井NHK会長。普通だったらとっくに辞任ですが、首をとるまではいきそうにありません。そこまで追い込めないのです。NHK予算案に反対しても、予算案と同じで成立は確実。問題は、これまで全会一致が通常だったNHK予算案に野党が反対することの重みですが、安倍首相や籾井会長がそんなこと気にするはずもない。
 選挙という民主主義の過程を経た国会で民主主義が機能しなくなってしまう。議院内閣制下での一党独裁の恐ろしさを痛感するのは、まだまだこれからです。   ・・・2014年3月25日執筆

・・・ちょうど今2021年度予算の審議が参議院で行われています。衆議院から送付されたのは3月2日。年度内自然成立の状況で今年も送られてきました。菅総理大臣の長男が絡んだ東北新社の接待と違法認可疑惑、綻びだらけの新型コロナウイルス対策、森組織委員長辞任に絡むオリンピックのゴタゴタ、誤字脱字満載のまま提出されたデジタル法案などなどツッコミどころいっぱいの予算委員会でしたが、なぜか衆議院はさしたる混乱もしませんでした。このまま行けば参議院での予算案成立は3月26日あたりでしょうか。
 このところの予算審議は毎週木曜日発行の文春砲を題材に追求されるのが常となっています。閣僚も官僚も、イライラするような同じ答弁、明らかに嘘だろうと思われる「記憶にございません」答弁などで時間を使い、追求をかわすのに長けてきました。2014年当時に比べ答弁も質問も緊張感も劣化してきています。自民党も力が落ちていますが、それ以上に野党の劣化は深刻だと思います。確かに審議のネタが週刊誌情報ではどうしようもありません。
 明治政府は英国議会を手本にした議院内閣制を導入しました。そして戦後、アメリカにならって三権分立が憲法に明記され権力の分散が図られたと国民は教えられました。ところが現実は、強力な官僚制度と政権交代がない自民党一党支配政治によって三権分立は機能していません。英国型の議院内閣制がその機能を発揮するのは政権交代ができる政党政治が基本です。未熟な政党政治の日本で英国型議院内閣制が機能するはずもないのです。
 コロナ対策の失敗で東北大震災のときもそうだったように、有事においては日本の統治機構(政治、行政)が機能しないことがはっきりしました。これからどうなるのか。無責任のようですが本当に憂いています。

2021-03-22 | Posted in 日記No Comments » 

 

風立ちぬ№4 「懸念が現実に」

 NHKの人事を批判していたら、心配していたことが起きてしまった。籾井新会長の発言は、橋下市長の発言以上に問題といえる。ジャーナリズムには、国民の知る権利の保障、表現の自由、権力との対峙といった普遍的な価値観が求められる。そうやって世界のジャーナリズムは進化してきた。英国のBBCに代表される公共放送も同じだ。むしろ世界に情報発信する公共放送だからこそ、なおさらなのである。NHK会長発言は日本を代表する人の発言と言っても過言ではあるまい。
 そのBBCでさえ、サッチャー政権時代に、経営委員11人中10人が首相によって承認され、政権側の圧力で放送が中止させられた苦い経験を持つ。
 NHK経営委員会はBBCのそれをモデルにしている。相次ぐ不祥事で信頼回復が急務だったNHKは、経営委員会機能を強化し、会長の人事権も持つようになる。その経営委員に安倍総理に価値観も歴史観も近い4人が加わり、12人中5人が安倍ファミリーとなった。目的はサッチャー政権と同じ、公共放送への圧力であることは誰にでもわかるし、狙いの次期会長人事も思惑通りと思われても仕方がない。
 なぜ籾井氏に絞られたかは、これからの国会論戦で徐々に明らかになっていくだろう。問題は、会長の資格要件である「政治的中立」「人格高潔」を自ら否定した籾井会長、その人事を企てた安倍政権の存続を国民が認めるかどうかだ。さっそく素直な人々の意思が問われることになった。

・・・2014年1月27日に書いた原稿。2日前の25日に籾井新NHK会長の就任記者会見があり物議を醸す発言が飛び出した。以来何回も籾井さんとは総務委員会で議論をすることになる。籾井さんはその在任時代常に公共放送の政治的中立性や見識を問われ続けた会長だった。だが安倍政権のNHK介入としては会長人事よりもむしろ2013年10月の経営委員会人事の方が問題だったと思う。作家の百田尚樹さんや哲学者の長谷川三千子さんは安倍総理待望論を堂々と発言する筋金入りの「右より保守」であり、特に百田さんの方は籾井さんとは比較にならないほどの過激な発言を再三行っていた。また批判されたキャスター人事や報道内容の変更等の確信犯は官邸、特に当時の菅官房長官との近さを疑われていたNHK理事であったのではないか。むしろ籾井会長は自ら退任の折にこの理事を更迭する人事を行ったように思う。籾井さんはいろいろ話題は豊富だったが、今思えばそれほど官邸と近かったとは思えないのだ。
 先日、2021年度NHK予算の説明の席で前田現NHK会長にキャスター人事について質問してみた。またぞろ官邸忖度人事ではないかとの報道があったからだ。前田会長はきっぱりと「私はそういうことは絶対にしない」と言い切った。さてどうだろう。公共放送と政治権力との関係は永遠の課題である。英国でも争いは絶えない。イギリスとアルゼンチンが戦争にまで発展したフォークランド紛争で、あのサッチャー首相が現地からの戦争報道を続けるBBCに「報道を控えるように」と圧力をかけた。国民の厭戦意識が高まることを懸念してだ。政権からすれば「国益を損なう」という訳である。
 当時のイアン・トレサワンBBC会長は「イギリスのような民主主義とアルゼンチンのような独裁体制の違いの一つとして、われわれ国民が真実を聞くことを希望するならば、たとえどのように不愉快であろうと真実を聞くことができることである」(「イギリスにおける放送の公平性ーーサッチャー政権とBBCからの一考察ーー」水野道子名古屋大学大学院国際言語文化研究科)として報道を続けたという。その国の公共放送のあり方は国民の意識と関係が深いと思う。素直な国民が良いとばかりは言えない。民主主義は「素直」では守れないのだ。

2021-03-08 | Posted in 日記No Comments »