日記

「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」を使って学習会をやってみた。

 福岡県本部のユース部学習会に呼ばれた。いつものことだが、若者が「政治に無関心、もしくはそんなに興味がわかない」の問題だ。そこで「関心を持つべきだ」論の話ができないか。これがオファーだった。容易なことではありません。この問題は。これまでどれだけ多くの人々がこの問題に長〜い間挑戦し続けているだろう。だが一向に若者の政治離れが改善されたという話は聞きません。
 さあどうしよう。何を話そう。と考えたわけであります。そんな時、ふと自宅に借りてあったDVD「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」を観てみた。面白い。
 非常に面白い。よしこれを使おうと思い立ったは良いが、2時間以上の大作。とても全部を紹介するわけにはいかない。何せ僕に与えられた時間は40分なのですから。かといって編集する能力は僕にはないので、結局は会場で早送りし、選んだシーンだけ観てもらうという戦術に決定した(笑)。
IMG_0560 さてこの映画、原題は「Where to invade next」。「次はどこを侵略しようか」という意味でしょう。ベトナム、イラク、アフガン等々様々な理由をつけ戦争をしかけるアメリカを皮肉っているのだろうが、今回は世界中の国で実践されているアメリカにはない常識をアメリカに持ち帰る、奪い取るという設定。だから「侵略」なのである。
 奪い取られる国々は、イタリア、フランス、フィンランド、スロベニア、ドイツ、チュニジアなど。
 例えばイタリアは、何とも羨ましいほどの有給休暇の使い方とそんな働き方を当たり前と考える世界的超有名企業の経営者。
 フランスはこれまた何とも贅沢な小学校の給食システム。給食は重要な食べることの教育の時間と考え、ちゃんとした手を抜かないコース料理を出す。それも落としたら割れる陶器やガラスの皿、コップを使って。もちろん学校に調理場がなければそんな提供はできない。面白いのは監督の取材スタッフの子どもにアメリカの高校生がいて、そこの給食写真を小学生に見せる。そしたら子どもたち思わず「オエー」。まるで家畜の餌だと言わんばかりの反応なのだ。
 この他、宿題をなくして子どもの成績を飛躍的に伸ばしたフィンランドだったり、スロベニアでは大学が完全無料。大学生は全員が無借金。唯一借金があるのがアメリカからの留学生といった笑えない話などなど、日本人が観ても羨ましい限りの世界の常識がいっぱい紹介されている。そのどれもが市場原理主義が席巻するアメリカではあり得ないものばかりなのだ。
 そしてそれは日本にも当てはまる。いつの間にかこの国はとことんアメリカナイズされてしまっていた。そのことに気付かされる。「カロウシ」を生み出した日本。単独校方式からセンター方式へ、そしてさらに民間委託へと給食を「食の教育の時間」から「喰らわす時間」に変える日本。授業料が上がり続け、奨学金もサラ金化させ、高等教育の場に市場原理を持ち込んだ日本。
 公共とはなんだとう。宇沢弘文(経済学者・故人)が提唱した「社会的共通資本」の考えを噛みしめる。空気、水、自然、教育などといった人が生きていくために必要なものをこう定義した。
「一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する。」のが社会的共通資本であり、国家的に管理されたり、利潤追求の対象として市場に委ねられたりしてはならず、職業的専門家によってその知見や規範に従い管理・維持されなければならないのだ。
 思えば平成30年でいかにこの社会的共通資本が市場化さていったか。自治体の現場はこの30年間その嵐に吹きまくられてきた。それは今、社会問題になっている地方の人口減、地方の疲弊と決して関係なくはない。
 学習会では10分そこそこ映画を観てもらったあとに、そんな話をした。そしてそのすべてに政治が密接に絡んでいると。さてどれだけ伝わったかはわからないが、僕の話よりこの映画を全編観た方がよっぽど勉強になったはずだが残念だ。
 マイケル・ムーア監督は、この映画で最後にこう述懐する。
「どれもこれも、かつてはアメリカが始めた制度だ。それぞれの国にできてアメリカにできないはずはない」と。
そう日本にできないはずはないのである。

2019-07-31 | Posted in 日記No Comments » 
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