2019-07-25

「風立ちぬ」

 僕は福岡県出身である。福岡県は北西を玄界灘、北東を周防灘に接する。南は筑紫次郎との異名を持つ九州の大河筑後川が流れ、広大な筑後平野を造っている。ちなみに大河三兄弟の兄は関東の坂東太郎「利根川」、三男が四国三郎「吉野川」。日本人は何かと三つを選ぶのが好きな民族だなと思う。例えば日本三大祭。京都の祇園祭、大阪の天神祭、東京の神田祭を言うが、さらに地域ごとに東北三大祭りとか江戸三大祭りとかを選んで自慢している。日本人の三大好きは結構昔からのようで、例えば「雲太、和二、京三」というのをご存知だろうか。昔の三大建造物のことで、雲太は出雲の出雲大社、和二は奈良東大寺の大仏殿、京三は京都平安京の大極殿と言われている。現在の出雲大社はそんなに大きくないのだが、太古の大社は相当大きかったらしく、最近の発見で96メートルくらいあったらしいとも言われている。日本人はそんな古いころから「三大何とか」を選んで楽しんでいたという訳だ。
 その筑後川が南に流れ、注ぎ込むのが有明海。その有明海に面した大川市というところで僕は生まれる。これを言いたかっただけなのだが、ちょっと遠回りしてしまった。そこから幼稚園のときに隣の三橋町に引っ越し、藤吉小学校に入学、卒業する。僕の小学校の後輩に俳優の妻夫木聡くんがいる。これも蛇足です。
 つまり僕は福岡出身で、出身県本部が発行する機関誌「自治労ふくおか」に「風立ちぬ」という僕のコラム欄がある訳で、それが、だいぶ書き溜まったので、このブログでも紹介しようと思ったということです。
 そこでコラム名をなぜ「風立ちぬ」にしたか、ということ。これは第1回で書いたのだが、今読み返すと紙面の都合で少々説明不足になってしまっている感あり、ですこし編集して紹介する。

・・・久しぶりに「自治労ふくおか」に連載を始めることになった。県本部書記長時代に書いていた「トンカジョン」以来だ。前回のは自分で言うのも何だが、結構読まれていたみたいで、読者の組合員の方から手紙までいただいた。さてその「トンカジョン」だが、議員となった今はブログ「トンカジョンの議員日記」で継続しているので、そちらも覗いていただいたらありがたい。トンカジョンという言葉の説明もそちらに譲ることとする。
 県本部から依頼の中に「このコラムのテーマも考えて欲しい」があった。それで「風立ちぬ」にした。「風たちぬ」は宮崎監督の最新作のテーマでもあるが(ゼロ戦を設計した堀越二郎をモデルにスタジオジブリが制作した「風立ちぬ」が当時公開中だった。)、もともと小説家堀辰雄が自身の小説に「風立ちぬ」を題した。宮崎アニメの「風立ちぬ」も堀のこの小説の影響を受けたようだ。小説「風立ちぬ」は、婚約者と付き添う「私」が主人公で、婚約者は重い病に冒されていて、この二人の限られた生活を描く。堀は、フランスのポール・ヴァレリーの詩「海辺の墓地」の中の言葉を「風立ちぬ、いざ生きめやも」と訳して小説の中で使う。そして小説の題にもした。
 病の彼女と「私」。二人は美しい自然の風景にも、頬撫でる風にも「生」を感じる。ふいに吹き立った風。その時「私」が発した言葉として堀は、「風立ちぬ、いざ生きめやも」を使った。「生きなければならぬ。でも生きれないかもしれない」。そんな不安な葛藤の表現ではあるが、「生きよう」という意思を強く感じるのは僕だけではなかろう。
 宮崎監督の「風立ちぬ」は観てはいないが、時代背景は戦争という不穏な風が舞っている頃だ。監督は、堀の思いに加え、もう一つ観る人に問いかけているのではないか。「風が吹き始めた。さあ立ち上がろう」と。
 僕らが生きる今、少々不穏な時代になりつつある。だから「風立ちぬ」にしてみた。
・・・
 2013年に書いたコラムだ。それから7年が経つ。そしてついこの間、参議院選挙が終わった。残念ながら時代の不穏さを吹き消す結果とはならなかった。「風立ちぬ、いざ生きめやも」である。

2019-07-25 | Posted in 日記No Comments »