日記

江戸時代もあった東京一極集中。

 東京一極集中は日本人の性癖なのか。DNAに組み込まれた遺伝子がそうさせるのか。あの江戸時代も江戸一極集中が問題となっていたそうだ。
 今日の朝日新聞朝刊の特集「耕論」の「東京の大学めざすな?」が面白い。歴史学者の藤田覚(さとる)さんが寄稿した「江戸時代に失敗した政策」を読んでなるほどと思った。
 多すぎる首都の人口を減らす、ことがかつてこの国で政策課題に上った。それは天保年間(1831〜45)の老中・水野忠邦の頃で、なんと「人返しの法」として実施されたというからすごいではないか。江戸に出ていた農民を村に返し、逆に農村から江戸への流入も禁止した。
 当時の江戸は人口110万人の世界一の都市だった。仮に当時の国の人口を3000万人とすれば、3.7%が江戸に住んでいたことになる。110万のうち約半分がその日暮らしの下層町人という。ひとたび飢饉や大火事等の大惨事が起きれば、とても対応できないと幕府が考えたのも合点がいく。「天保の大飢饉」を何とか乗り切った矢先なので緊急性もあったのだろう。江戸に人が集まることは、主に職を求めての農民層が中心となれば、農村では人口減が進むことになる。封建社会だから農民が減ればその分年貢収入も減る。これも幕府にとっては大変なこと。「人返し法」は江戸の治安上の問題と農村の生産力回復という2つの目的を持っていたと藤田さんは書いている。
 さてでは「人返し法」は成功したのか。実は効果が上がらなかった。藤田さんの話にはあの遠山の金さんも登場する。実は当時江戸町奉行だった金さんは、この法に反対した。理由は、農民が江戸に出てくるのは「過重な年貢負担を強いるからだ」と主張。地方の実情を考慮せずに江戸の人口抑制に取り組んでも、成果は上がらないという訳である。実際そのとおりだった。
 現代の東京一極集中はどうか。東京都の人口は約1300万人。実に全人口の約1割が東京都に集まってしまった。天保の時代よりはるかに深刻な一極集中なのである。人が多い分、高齢者の人口も多い。千葉県、神奈川県なども入れると関東圏の65歳以上の人口は1000万人を超えている。当然高齢化の進行でもっと増える。施設が足りるわけがない。地価がこんな高いところで、高齢者施設の経営は成り立たない。地主や企業は効率が良くもっと儲かる活用しかしない。必然的に東京では普通の高齢者が入居できる施設は不足する。同じことは保育にも言える。
 どうするつもりだろう。ある時、官僚に聞いてみた。その回答は、「出ていってもらうしかないですね」。お金を持たない高齢者は自己責任で東京からどこかに引っ越すしかないということなのだ。つまり策がないのである。
 「人返し法」といった実力行使をやった江戸時代の方が、江戸一極集中や農村人口減を深刻に考えていたのかもしれない。
 江戸時代も現代も、必要なのは地方が今より魅力的になり、暮らしも充実すること。そのためのあらゆる政策を戦略的に進めていかなければならない。例えば地域に人が住む以上絶対必要な公共サービスである保育、教育、医療、介護などを充実させ、そこに従事する人を増やすことで雇用を生むことも一つの政策だ。権限財源移譲も本気で進めなければなるまい。やることは一杯ある。選挙目当てのような地方創生やふるさと納税といった政策に時間と労力を費やしている場合ではないのだ。

2019-05-22 | Posted in 日記No Comments » 
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