2018-01-24

少々はしゃぎ過ぎの「自由で開かれたインド太平洋戦略」構想。

 安倍首相は先日の196回の施政方針演説で初めて「自由で開かれたインド太平洋戦略(Free and Open Indo-Pacific Strategy)」という言葉を使用した。
 首相がこの構想を発表したのはこれが初めてではない。2016年8月にケニアで開かれたでアフリカ開発会議(TICAD VI)の基調演説まで遡る。それ以後の3度の国会の施政方針演説ではこの言葉を使わなかった。なぜ今回使用に踏むきったのだろうか。
 そこにはトランプ米大統領の影がちらつく。昨年11月、アジアの国々を訪問したトランプ大統領は、「光栄にも自由で開かれたインド太平洋に向けたわれわれの構想を共有できた」と日本の「自由で開かれたインド太平洋戦略」をまるでアメリカの戦略のように表現した。安倍首相や外務官僚が「我が意を得たり」と手をたたいて喜ぶ姿が目に浮かぶ。
 アメリカのお墨付きをもらった首相が晴れて昨日の演説に盛り込んだと考えるのが妥当だろう。
 TICAD用の構想だったFOIPSは当然のごとくアジアとアフリカをその視野に置く。安倍首相がケニアで「太平洋とインド洋。アジアとアフリカの交わりを、力や威圧と無縁で、自由と、法の支配、市場経済を重んじる場として育て、豊かにする責任を担います」演説したように、FOIPS構想は、2つの大陸:成長いちじるしいアジアと潜在能力溢れるアフリカと、2つの大洋:自由で開かれた太平洋とインド洋(外務省HPより)を捉えた戦略であった。当然のこと中国の「一帯一路」構想を意識した日本の戦略であることは一目瞭然であろう。とは言ってもTICADは日本が主催する会議であるため、FOIPSは対外的にはまだ何の影響力もない内輪の戦略構想でしかなかった。
 そこにトランプが割って入った。自国のアジア戦略かのように持ち上げてみせた狙いは何か。大統領が活用したのはまるごとのFOIPSではない。彼が言及したのはアジア地域の安全保障に限ってであった。アフリカと経済連携の部分は抜け落ちている。そこにトランプ大統領の戦略を見て取れる。
 その狙いを、「インド太平洋戦略は日本の勝利か。不気味に響くトランプ氏の「米国第一」」として配信した記事が説明してくれる。昨年12月5日にこの記事を配信して懸念を示したのは、こともあろうに安倍派とも思える産経新聞である。「米国第一主義」とは、安全保障に関しても応分の負担を同盟国にも求め、これまでどおりの警察役を米国は担わない。それが米国の国益であるというものだ。そこで産経は、トランプ大統領の姿勢はこの「米国第一主義」の流れと通じると懸念し・・・米国が性急に負担軽減を求める形になれば、中国や北朝鮮に「米国は地域への関与から手を引きつつある」という誤ったメッセージを送りかねない。米国は2018年11月に中間選挙を控えており、トランプ氏がアジア戦略をめぐり、再び「米国第一」色を強める可能性は否定できない。米国が「自由で開かれたインド太平洋戦略」を採用したことは確かに日本外交の勝利ではある。しかし、トランプ氏がダナンでの演説で残した「いつも米国を最優先にする」という言葉は、勝利に酔いきれない響きを持つ。・・・とはしゃぐ官邸と外務省に苦言を呈してみせたのである。
 さすが産経の懸念の仕方は大したものだ(笑)。ただそんなに間違っているとも思わない。
 韓国は中国に配慮し大統領の「インド太平洋戦略」に慎重な姿勢を見せた。大統領は後に中国を訪問した時に「インド太平洋戦略」という考えに触れもしなかった。
 施政方針演説の「自由で開けれたインド太平洋戦略」は、航行の自由、法の支配に言及し、「アフリカ」の言葉が抜け落ちている。これはもはやケニアでのそれではない。むしろ大統領が求める中国包囲網の日本への肩代わり、言い換えれば応分の責任を日本に課す新たなアジアの安全保障戦略と言ってもいいだろう。果たしてその覚悟と力が日本にあるのか。そんな大国になることを国民は良しとするのか。問題は尽きない。
 対日、対中で姿勢を変える米国の外交戦略、ほぼ決まっていた日本からの潜水艦受注を中国に配慮しフランスに変えた豪州の思惑。各国のしたたかな外交の中で、トランプ支持に浮かれ喜々として施政方針演説で訴える安倍首相の姿に「少々はしゃぎ過ぎではないか」と懸念せざるを得なかった。「インド太平洋戦略」を推し進めます、と述べたあと、「この大きな方向性の下で・・・日本と中国は、地域の平和と繁栄に大きな責任を持つ、切っても切れない関係にあります」と中国に配慮してみせても何の意味もない。
 

2018-01-24 | Posted in 日記No Comments »