日記

日本に三権分立は確立しているか。

 昨日弁護士の皆さんと立憲フォーラム役員とで、自民党が主張する「緊急事態条項」の憲法改正について意見交換をしました。
 もちろん「緊急事態条項」なんて必要無い。それどころか日本の権力構造の中で緊急事態条項の改正をやっちゃった日には、首相に権力が集中しすぎて政権交代できない独裁国家になること必至なのだ。
 さてその詳細は立憲フォーラムで「緊急事態条項なんていらない(仮称)」といった資料をつくろうと思っているのでそっちに譲るとします。
 ここではその時言った僕の意見を少し紹介することにします。
 世界の憲法はみんな緊急事態条項がある、などと自民党の連中は言うがこんな嘘に乗ってはいけません。実際に同盟国のアメリカの憲法には無いんだから。
 そして意外と知られていないのは、先進国では通常から個人の自由が最大限尊重されていること。緊急事態では「人身の自由」が制限を受けることになる。国家権力の優位を部分的一時的に認める。だから抑制的になる。例えばドイツ憲法の緊急事態条項では、「身体拘束の期間の限定」を1日から4日まで延ばすことができるとされる。たった3日間の延長です。
日本ではどうでしょう。我が国では通常の場合ですら警察は「23日」も容疑者を留置場で拘束できる。これが悪名高き「代用監獄制度」です。日本人はこれを何とも思っていないが、世界から見れば驚くべき長期間なのだ。アメリカは2日、イタリアで4日、フランスで6日、カナダに至っては1日である。日本と同じく際立って長いとされるイギリスはテロ事件のみ28日(日本も内乱では28日)で通常は4日である。
 日本の法律がいかに警察に力をもたせるように設計されているかがわかる。これって明治維新後の官僚システムのせい。富国強兵の国家主義の名残りが今なお残っているのです。日本の常識は世界の非常識なのだ。
 日本の常識が世界の非常識であるのは他にもある。
 それは日本では近代民主主義の常識である三権分立が確立しているようでしていないこと。外国では緊急事態が発動されても司法の権限はしっかりとさせ、そっちの側面から「個人の権利」を守ろうとしている。しかし我が国では最高裁長官は内閣が任命するし、行政府である法務省と裁判所の間は人事交流もあるほど密接な関係である。
極めつけは「統治行為論」という日本だけで通用する法理論があること。早い話が「極めて高度な政治的な判断」は最高裁ではしないという法理論。つまり政府の判断に任せるということである。
これってNHK会長が言った「政府が右ということを左というわけにはいかない」という考えと同じじゃないでしょうか?先の戦争法の議論の中で、政府が引用した「砂川事件」がこの「統治行為論」を使った判決の最たるものだ。
戦前の軍の独裁、戦争、敗戦という経験値が生きていた時代であれば、政治家や官僚の抑制も効いていた。あの中曽根政権だってまだそうだった。ところが小泉政権以降官邸の権限が強化され、小選挙区制になって党内派閥より党総裁の力が上になってしまった。結果自民党の党内抑制力も弱まり現状は安倍さん要する官邸が立法府である国会も支配するに至っている。
こんな権力構造で緊急事態条項なんて入れられてしまったら日本はどうなるかです。オバマ後のアメリカ大統領にヒットラーがなるようなものです。鬼に鉄棒持たせてしまったらまさに太刀打ちできなくなる。絶対に阻止しましょう!

2016-05-18 | Posted in 日記No Comments » 
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