2016-01-27

歴史に学ばぬ者の奢り久しからず。

 今朝(26日)の東京新聞の社説は両陛下がフイリピンへの慰霊の旅に向かわれることだった。「悲しい歴史を見つめて」と題したその文は、陛下の戦争の歴史を正面から見つめる姿勢にふれ、「過去を忘れないように」との思いではないかと結ぶ。以前私もこのブログで「人はみな平和を背負う旅人なり」という題を付け陛下の慰霊の旅と戦争責任を負う天皇家の思いを書いた。
 「この一年を振り返ると、さまざまな面で先の戦争のことを考えて過ごした一年だったように思います。年々戦争を知らない世代が増加していきますが、先の戦争のことを十分に知り、考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なことと思います」。
 これは昨年12月の誕生日記者会見で話されたもの。「さまざまな面で、戦争のことを考えてすごした・・・」の「さまざま面」とは、当然安倍内閣の暴挙も含まれると思うのが普通だろう。天皇の怒りとも感じ取れる一文である。
 さてその安倍首相のことだ。彼は自民党幹事長時代の2005年、『Voice』という雑誌の対談で「ポツダム宣言というのは、アメリカが原子爆弾を2発も落として日本に大変な惨状を与えたあと、『どうだ』とばかり叩きつけたものです」と語っている。もちろんポツダム宣言は7月26日である。日本政府が同宣言への回答を後回しにした結果、原子爆弾が投下され、ソ連に戦争参加の時間を与えてしまった。これが史実。
 この認識のズレは恐ろしい。戦争に対する歴史感が決定的に違ってくる。しかも責任与党の幹事長にまで登りつめた政治家の認識である。立派な大人どころかいい中年になるまで、しかも国会議員になってまでそう思い込んでいたのだから罪は重い。
 天皇陛下の話は、国民ではなく安倍首相そのものに向かって発せられたようなものだ。そんな政治家が憲法改正を声高に唱える。恐ろしさの極みではないか。歴史に学ぶという知性を持ちあわせていない奢れるものの世は久しからず。いや「久しからず」にしなければならないのである。

2016-01-27 | Posted in 日記No Comments »