2016-01-04

「去年今年(こぞことし)貫き通す決意です」

2016年1月4日の平和の句

神崎 伸子(70)さん  静岡県磐田市

いとうせいこう 高浜虚子は「貫く棒の如きもの」を年のまたぎに感じたが、作者も決意を貫こうという。その気持に「です」をつけたところに妙。

東京新聞より

今年も東京新聞では「平和の句」を続けている。あっぱれ!年初にあたり,行く年来る年を感慨を込めていう語が「去年今年」。感慨を込めて闘いぬく決意を虚子に習って表現した。

2016-01-04 | Posted in 日記No Comments » 

 

新年に思う。

 明けましておめでとうございます。月並みですが、皆さんにとって今年が良い年でありますよう。
 さて新年にあたり昨年から少し思考して来たことをお話しします。
 人類の歴史は「自己実現」で積み重なっていると思います。私たちの祖先が誕生し、これまで様々な数奇な運命的出来事を経験しつつ、私たちは「自己実現」するために歩んできた。自己実現とは様々です。現代風だと金持ちになりたいとか、人を助けたいとか、銀行マンになりたいとか。生きることさえ過酷であった昔であれば、生きることそのものだったかもしれません。
 一人一人に「自己実現」の思いはあるのですが、小集団の中で力の強い人がいたらその人が他を抑制して(他人の自己実現を犠牲にして)、自分の自己実現を達成することになります。しかしいつかは他人の自己実現を抑制することはできなくなります。他の人がそれをいつまでも許す訳が無いからです。長い年月かけていつかそうなる。つまり人類の歴史は常により多数者の自己実現ができるよう進化してきた。
 そう考えると、日本の歴史も合点がいきます。士農工商から解き放された明治以降からより多くの者が自己実現できるようになる。戦後の高度経済成長もより多くの自己実現が可能になったので、余り人々の不満も醸成されなかった。
 共産主義国家は多くの国民の自己実現が抑圧されたため、崩壊するしかなかった。ソ連崩壊を言い当てたフランスの学者エマニュエル・トッドは、その理由の一つに「文字の読み書き」率の上昇を挙げていたと思います。
 さてそう考えてくると現在はどうでしょう。昔の資本主義経済は前述した日本のようにより多くの自己実現を可能にするものでした。しかし今の市場原理主義の資本主義経済のもとでは、かつての共産主義と同じような状況が生まれつつあります。格差が生じ比較的優位に自己実現できる人の数よりも自己実現できない人の数が増えています。おそらく今の市場原理、グローバル経済の流れは何処かで止まり、違うシステムが生まれてくるはず。
 先のトッドは、「パリの同時多発テロは衝撃的であったが、今は人口統計学の立場では歴史的に暴力で死んでいる人の数は最も少ない」とし、(シリアの情勢など憂慮すべきことは多いのですが)間違いなく世界は今ほど平和的な時代はなかったと指摘します。僕もそう思うのです。
 格差が拡大し一部の富者が増大する社会は必ずうまくいかなくなる。そしてより多くの人々の自己実現が可能な社会へと私たちは歩みだすはず。そのことは現代を築いた人類の歴史が証明しています。ただそこには、紆余曲折や少々の遠回りを伴います。「今ほどの平和」も二度もの世界大戦を経験しなければ実現しませんでした。そこに政治の責任があります。どれだけの紆余曲折と遠回りをさせるか。政治の責任は重大です。
 本当に今年が良い年になりますように。

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