とんかじょんの「ふむふむ」

いびきの話。

 僕はいびきをかくらしい。自分で自分のいびきは聞いたことがないからわからない。でもかくらしい。それも結構大きいらしい。
 もう一人の自分がいて自分の寝姿なんかを見れるとしたらどんな感じだろうと思う。きっと恥ずかしいに決まっている。
 考えれば人間、自分のことは結構知っているようで知らない。例えば自分の顔は絶対に自分では見れない。鏡だって右と左がひっくり返っている。だから人が見ている自分の顔は鏡の中の自分の顔ではない。見飽きている顔、そうだな、連れ合いなんかと鏡の前に並んでみるとよくわかる。鏡の中の彼女の顔はなんか違和感漂う。いつも見ているそれと右と左が入れ替わっているからなのだ。僕がいつも見ている顔が彼女の本当の顔であり、彼女が見ている自分の顔は僕が違和感を感じる方の顔ということになる。つまり鏡の中の自分の顔しか見たことのない僕が、本当の自分の顔を見たら違和感漂ってしまうことになる。だから写真や動画などの自分はなんかしっくりこないのも頷けるのだ。でもあれだってレンズを通してであり、その後も様々な電気的処理の後に見れるわけであるから、僕が連れ合いの顔を見るように見れているわけではない。つまるところ本当の自分の顔ではないのだ。
 人間、絶対に自分の顔は自分では見れない。同じようにお尻や背中も頭頂部も見れない。見れないと恥ずかしさもわかないのだろう。だからいびきも本当は恥ずかしいけど自分では聞けないし、かいている自分も見れないから恥ずかしくない。だから本当に直そうとはしないのだな。なんか哲学的になってきたな。
 でも申し訳ないと思うことはたまにある。今では少なくなったが旅館なんかに複数で、それも初めての人と泊まるときなんかはそうだ。2年ほど前、議員の先輩数人と和室に泊まることになった。楽しく酒を飲んで(お酒飲んだあとのいびきはとくにひどくなる。何せ悪いという気持ちもないから遠慮が無い)寝た。翌朝起きてみると、僕の枕の脇にタオルがある。そんなとこにタオルを置いて寝た記憶はない。聞くと、僕のいびきがひどいので隣に寝ていたS先輩議員がたまらずに僕の顔にかぶせたのだという。そしたらすぐに手で払ったそうで、そのタオルだった。睡眠不足の先輩は「濡れたタオルにするんだったな」とひどいことを言っていた。
 今でもかいているはずだが、それ以降誰かと一緒に寝る機会がないのでわからない。連れ合い?彼女なんかもうずいぶん前から先に気持ち良さそうないびきをかくようになっている。もちろん僕のに比べたら寝息のようなものですが、多分。

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