2015-11-24

大阪の選択が意味するもの。

 大阪府知事選と大阪市長選挙での有権者の選択が決まった。結果は世論調査で予想されていたとおりである。5月の住民投票では反対派が競り勝ったが、今度はそうならなかった。再び都構想が蘇るという人もいるが、そう簡単ではないと思う。一度「反対」が出た結論を再議論させるには、それなりの論理の転回がいる。大阪市が無くなるか否かの選択を迫る都構想にそんな技術的幅はない。
 住民投票では政党の枠を超えての戦いに結集することができた。しかし今回は首長を選ぶ選挙。もともと中央では反発しあっている与野党なのだから、今回は様々な思惑が入り混じっていた。だから前回ほどの結束ができなかった。それが敗因の一つといっていい。
 橋下という人は頭の良い人のように思う。政治家を続けるということはそう簡単なことではない。まして国政の場で影響力を持つようになるまではそれなりの時間と労力と財力が必要だ。加えて日本では世襲という制度が力を持つ。これまで自力で権力を持つまでになった人がどれだけ消えていったことだろう。彼はその辺の打算性は持っているのではないか。そう思うから国政への転身は選択しない。むしろかっこいい引き方が今の彼の思いではないか。住民投票での敗北はその最大の機会であったはず。しかし党内の予期せぬごたごたでそれができなかった。つまり橋下的スマートなタレントへの転身ができないと彼は判断したのではないだろうか。
 そう考えると今回の二つの選挙での勝利は格好の引き際であると思う。もちろんこれは僕の推測である。さてどうなるだろう。
 さて当選した首長も冒頭の理由で大変だが大阪維新の会も維新の党もこれからが大変だ。前述のように国政とはそんな甘いものではない。加えてこれから維新の政治信条である市場原理主義や新自由主義のような政治思想は終焉を迎える時期にある。これから維新の漂流が始まるだろう。そんな船におそらく橋下さんは乗らない。
 今度の選挙勝利は維新なる物の本当の苦難の始まりだ。そしてこの党の流れは早晩いきどまる。選挙結果を過大評価しない方が良いと思うのだ。期待を込めての推測である。

2015-11-24 | Posted in 日記No Comments »