2015-10
興福寺。向こうに広がる奈良盆地。
余り知られていないが、奈良県庁の屋上からは奈良盆地が障害物も無く360度見渡せる。県庁以上の大きな建物がないから当たり前だ。
とにかく屋上から真南を向くとこんな景色になる。国宝五重塔と目線で対峙できるのだ。興福寺をこの地に移転建立した当時の超権力者、藤原不比等が知れば「我が寺院を見下ろすなどけしからん」と激怒し死罪必至の位置関係なのです。でも平安の時も遠くなり、藤原も滅亡。時の権力者は国民となり、その代表である首長は何でもできるから、奈良の景観を壊す地にこんな庁舎も建てられる。
とは言え屋上は解放されているので誰でも景色を楽しめる。時代が変わった証拠でもある。五重塔の向こうには奈良盆地の南がを見渡される。斑鳩や飛鳥の里はそう遠くない。霞がなければ大和三山の耳成山も見えるはずだ。
としばし悠久の歴史に思いを馳せつつこのブログを書いているのは、札幌へ向かう列車の中だから世は実に進歩したものだ。そろそろ札幌に着く。
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天王寺の空は秋晴れ。
旅先からのブログ。今朝は天王寺駅前のホテルにいる。ここんとこ晴天続きで今朝の14階のホテルの窓からの眺めも絶景である。遠くに低くたなびく雲がかかっていて、その向こうに何という連山だろうか?低くい山々が見える。しばし眺めつつぼんやりする。
一昨日の夜は和歌山県の南紀白浜空港に降り立った。二度目の紀伊田辺の夜だ。翌日、懐かしい皆々との再会を楽しみつつ紀伊半島の西を北上し、和歌山から大阪行きの「くろしお号」に乗った。電車に揺られ、ホテルに入ったのは夜8時半過ぎだった。
今日から初めて一緒に行動する藤田さんとロビーで待ち合わせ近くのはずの新世界まで、串揚げを食べに行くことにする。
あの通天閣が見えるから歩いて10分ほどかと思いきや、途中変な道に入り込み、暗いホテル街に出てしまった。そんなこんなで通天閣まで30分近くかかってしまった。おまけに目的の串揚げ屋は9時に閉店だった。
via PressSync
「虫のこゑ争う気になどなれぬ」
10月12日の平和の俳句
辻本 直子さん(47) 金沢市
いとうせいこう 確かにあの声を聞いて秋の夜長を過ごすとき、私たちは世のはかなさと静けさを感じる。争いのむなしさを。
東京新聞より
東京新聞では「平和の俳句」を募集しています。はがきの裏面に一句、同じ面に住所、氏名(ふりがな要、ペンネーム不可)、電話番号、年齢、職業とできれば俳句の背景にある体験や思いなどを記入し、〒100 8525 東京新聞文化部「平和の俳句」係へ。
皆さん応募してみませんか。
「手と足と平和の痩せて獄暑かな」
10月5日の平和の句
中内 亮玄(りょうげん)さん(41) 福井市
いとうせいこう そう、痩せるのだ。知恵と体験の結晶たる我々に肉化された平和が。
金子 兜太 比喩の効いた巧みな句で、平和が遠のけば熱中症患者が増えるぞと警告。
東京新聞より
難しい句ですね。批評できないな。今年の暑い夏の日に国会周辺にいた時の句か。自分の肉体が痩せ体力が落ちると酷暑が耐え難くなる。平和でなくなれば暑いなと感じた夏も暑さだけでなく地獄のように焼ける夏になる。戦闘が続くシリアの難民の映像に重なる。そんな印象の句です。
気持ちのよい季節になりましたね。
なんか毎年、この時季なると「良い季節になりました」と言ってますね。金木犀が好きなので、その香りで良い季節になったことを気づきます。大方の人がそうなんだろうか。一年の中でこの季節だけは嫌だと思う人もいるはず。中途半端で夏服と秋服の両方が要るから面倒とか、失恋した時のように何となくしんみりしていて寂しいじゃないかとか人それぞれだろうが、僕は好きです。
さてここ数日、珍しく体調を崩した。寝込むことはなかったが何となくその寸前まで行ってたような雰囲気だった。風邪のように熱っぽくなったり、突然お腹が痛みだしたり、その両方だったりでしばらく散々だった。空港で初めて医務室に行ったほどで、でも予定の便まで30分しかなかったので「それでは診察できません」と断られ結局今日まで医者にかからずである。強行採決で3日ほどまともに寝れなかった。その疲れが連休でとれたように思っていたがそうではなかったのだ、きっと。と自己診断しながら今日まで何とかやってきたけど、今日は久しぶりに清々しい気分。やっとトンネルを脱したようだ。
考えれば今週はメルマガを書いていなかったけど、今朝は洗濯してブログを書く余裕も出てきた。今日は午後から集会に参加する。さあがんばろう。