2015-09

「表札を母は外さず七十年」

9月11日の平和の句

広瀬 昭和(のりかず)さん(76)  愛知県みよし市

いとうせいこう  亡くなったご主人の名を掲げ続けたのだろう。それは誇りでもあり、意地でもあったろうか。弔旗のごとき表札の、その光を思う。

東京新聞より

誇りでも意地でもあったろうが、戦争を憎み、平和を願う思いもあったに違いない。時の流れとともに無条件に戦争を憎み平和を願う思いが、「それで国は守れない」「兵器も売り物。市場に参入するのが当然」といった声に押されだす。お母さんは70年間闘っていたのだ。表札を掲げ。

2015-09-11 | Posted in 日記1 Comment » 

 

「戦争の苦しみ滲む隅田川」

9月10日の平和の句

西村 実倖(みさち)さん(14)  埼玉県上尾市

金子 兜太  七十年前アメリカ軍機の大空襲で東京は焼け野原になり、隅田川に火傷の人がおおぜい飛び込んで死んだ。あの苦しみが今も見える。

東京新聞より

昨日につづき詠み人は中学生だ。70年前のことは誰かから聞かなければ知る由もない世代。受け継がれているから知っている。知識が血となり肉となり、戦争が嫌いな日本人をつくる。昨日の雨はすごかったが、ずぶ濡れになりながら反対を訴える人々はそんな日本人の代表なのだ。

2015-09-10 | Posted in 日記No Comments » 

 

もういいぞ。なりふり構うな。

 「もういいぞ。なりふり構うな」との指示が出されたようだ。自民党総裁選の立候補受付が昨日朝締め切られ、安倍さんの無投票再選が決まり、国会運営がさっそく乱暴になってきた。
 厚生労働委員会では午前中に派遣法が強行採決される、という情報が流れ国対が慌ただしく動いた。官邸のシナリオはこうだ。
 派遣法審議打ち切り動議を与党が出し、強行採決を謀る。野党は怒り、委員会を退席し国会は不正常状態となり、午後から予定されていた参考人質疑の(戦争法審議の)特別委員会も野党はボイコットする。野党が審議に応じないとの理由で特別委員会も審議をすっ飛ばし、素早く与党だけで強行採決する。
 図らずも参議院の自民党は厚生労働委員会で動議を引っ込め、休憩に応じたことで特別委員会は予定通り開催されることとなった。官邸ではシナリオの一部が狂ったとの思いかもしれない。16日には委員会採決を謀りたい官邸は、特別委員会終了後の理事会で緊急に中央公聴会を15日に開くことを提案。野党が怒る中で与党と一部野党の賛成多数で決定した。
 ここまで要所要所で官邸に抵抗しつつ委員会運営を進めてきた鴻池委員長もついに逆らえず、である。
 参議院の審議時間を見てみる。衆議院の審議時間は100時間を超えたが、うち93時間とほとんどが野党の質問時間だった。衆議院での特別委員会参加会派は与党と民主と維新のみで、与党は審議を速めるとの思いで質問時間を要求しなかったからだ。
 質問しなかったことで国民に与党の思いが伝わらなかったと勘違いした官邸は、参議院では一転質問に立つように指示。したがって昨日までの参議院での審議時間は77時間と衆議院とくらべてまだまだ少ないにもかかわらず、野党の質問時間となると59時間でしかない。衆議院に比べまだ34時間も少ない。
 仮に野党だけで質問するとして1日6時間やってもまだ5日以上かかる。特別委員会の開催日は今日もいれてあと6日しかない。どうやっても会期中には納まらないのだ。
 野田衆議院議員の立候補を権力を振りかざして押さえ込み、安倍さんの無投票再選を果たした官邸は強気の姿勢に転じた。しかしこの強気が安倍内閣の自壊を速めることになることは、以前にブログに書いた。

2015-09-09 | Posted in 日記No Comments » 

 

「きのこ雲二度と見ないぞあの日から」

9月9日の平和の句

菅野 恭輔さん(13)  埼玉県上尾市

金子 兜太  広島、長崎に原子爆弾が落とされ、きのこ雲の下でおおぜいの人が焼け死んだ。あんな雲は二度と見たくない。いや見ないぞ。

東京新聞より

人類史上初の惨禍は児らに引き継がれ、それが核戦争に対する人類普遍の忌避感となり世界平和に貢献している。その発信地の国民だから戦争の匂いには世界一敏感だ。それは当たり前のことで悪いことではない。中学生の心は安倍政治が核戦争へと道を開くかもしれないと拒否反応を示す。それで良い。

2015-09-09 | Posted in 日記No Comments » 

 

「戦争ごっこ知らない児らの昼寝かな」

9月8日の平和の句

多田 治周(じしゅう)さん(78)  福井県勝山市

金子 兜太  戦争ごっこの流行った昔が嘘のようだ。今は昼寝を楽しんでいる子供たち。

いとうせいこう  もう戦争ごっこも遠い時代の遊び。ずっとそうであってほしい。

東京新聞より

子どもたちが戦争ごっこを楽しんでいた時代があった。その頃の大人たちはそんな児らを見て何を感じていたろう。きっと何も感じていなかったかもしれない。それが普通だったのだろう。いやそんな時代は普通の時代ではなかったのだが、いつの間に普通になっていた。

2015-09-08 | Posted in 日記No Comments »