日記

「どの畦のどこ曲がっても平和です」

9月15日の平和の句です。

島田 章平さん(68) 高松市

金子 兜太  童謡のようにこころに染みてくる。田のように広がる平和。

いとうせいこう  そうであった日本が消えてしまう。私たちの豊かさは一気に奪われる。

東京新聞より

 まさに「平和ボケ」と安保法制推進派に酷評されそうだな。でもこれで良い。
 昨日の特別委員会で北沢元防衛大臣が質問に立った。戦後の70年をその前の70年と比較した。1875年からの70年はどんな時代だったか。2年前の73年には徴兵令が公布され、74年には台湾へ出兵する。すでにこの頃から日清戦争開戦論が政府内でおきていた(板野潤治著「日本近代史」)。西軍、南軍で13000人の戦死者をだした最大の内戦、西南戦争は2年後の1877年。1880年に入ると政府は対清政策の中で朝鮮への足がかりを強め、ついに94年に清と開戦する(日清戦争)、割譲された台湾を武力で統治し台湾占領、遼東半島を巡るロシアとの軋轢が1904年に日露戦争に発展。大陸進出を強化しつつ1914年に第一次世界大戦に参加する。1905年からの大正デモクラシーもあるが、戦争の道は拡大し国家滅亡の危機に直面し敗戦。常に戦禍の中にあり、男子は徴兵で戦争に駆り出され続けたのが戦前の70年だった。このことに思いを馳せば戦後70年がいかに奇跡に近いか。朝鮮戦争やベトナム戦争、湾岸、アフガン、イラク戦争等々、大戦後日本以外の国々は何らかの戦争に参加し、自国民や他国民の命を奪ってきた。敗戦国のドイツもイタリアもである。
 一国平和主義などと揶揄されてもきたが戦後70年の歴史は、「一国平和主義」と言われても「平和ボケ」と言われても紛れも無く日本人が貫いてきた真実一路の道なのである。これで良いと誇りを持って良い。

2015-09-15 | Posted in 日記No Comments » 
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