日記

「表札を母は外さず七十年」

9月11日の平和の句

広瀬 昭和(のりかず)さん(76)  愛知県みよし市

いとうせいこう  亡くなったご主人の名を掲げ続けたのだろう。それは誇りでもあり、意地でもあったろうか。弔旗のごとき表札の、その光を思う。

東京新聞より

誇りでも意地でもあったろうが、戦争を憎み、平和を願う思いもあったに違いない。時の流れとともに無条件に戦争を憎み平和を願う思いが、「それで国は守れない」「兵器も売り物。市場に参入するのが当然」といった声に押されだす。お母さんは70年間闘っていたのだ。表札を掲げ。

2015-09-11 | Posted in 日記1 Comment » 

コメント1件

 ひろまま | 2015.09.15 11:13

長文お許し下さい。平和安全法に反対の者です。どうかどうか聞いて下さい。

衆議院でも参議院でもずっとですが、今回11日と14日の安保特別委員会でも安倍総理は「国民の命と平和な暮らしを守る為に平和安全法の成立を目指す」と答弁の度に繰り返しています。
このままでは最後まで安倍さんの土俵で戦うようなものです。
でも安倍政権が国民の命を守る義務を捨ててまで平和安全法案を成立させようとしているとしたら・・。

11日の安保特別委員会での中谷防衛相の答弁は、
日本有事の際、日本を攻撃しているA国の後方支援の為公海上で兵たん(武器弾薬の補給をする役目)をするB国に対して「B国は国際法上違法でない後方支援をしているので日本は反撃しない」というものでした。
武器弾薬の補給をしているB国があるからこそ日本が爆撃を受け続け国民の命が危機にさらされ続けるにもかかわらず「日本はB国に反撃しない」と何度も言い続けました。

有事であるのになぜ政権は国民を守ると言わないのでしょうか。安倍総理は毎日のように「国民を守る為に」と言っているのに・・
それは、B国に日本が攻撃すると言ったとたんに「集団的自衛権での米国の後方支援における日本の武力行使の安全性」(日本がB国の立場)すなわち政権が目指す「日本の集団的自衛権の合法化の前提」が崩れるからです。
有事の際に国民を守リ抜くことよりも集団的自衛権の成立を手に入れたい?

国民の命と引き換えに集団的自衛権など許せることではありませんし、これは政権が国民を守る為の切れ目のない対応なんか考えていないことの動かぬ証拠ではないでしょうか。
日本の防衛の一部欠損を放置してこの矛盾に満ちた集団的自衛権をこんなに急いで手にしたいのは何故なのでしょうか。

このような政権が本当に一途に国民を守ることを考えて苦渋の選択をしているとはどうしても考えられないのです。

「国民を守る為なら集団的自衛権もしょうがない・・」と思っている方々にこの法案が少なくとも国民を守る為に考えられたものではないと知っていただきたいのです。野党一体となって皆さんにこの事を広報して頂けないでしょうか。   

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