2015-08

見えて来た安倍政権の限界。

 4月23日付の本ブログに「安倍政権の可能性」について書いた。
 それは、
「歴史修正主義のごり押しでは世界の中で日本は孤立するのは目に見えている。どんなに国内保守派が騒いでも国際的には理解は得られない」
「国の舵をにぎる最高責任者になれば、より現実的な路線へ舵を切り替えるしかない」
「これまで村山談話、河野談話など左翼やリベラルな政治家のそれは国内保守層(特に安倍総理のような政治家)から総批判を浴び、無意味な論争が延々と続いてきた」
「しかし今回(70年談話)は誰もが納得するもっとも右の歴史修正主義者である総理のそれである。安倍首相でさえ、そこまでしかできなかった、という現実が今後の日本の姿勢として定着する。安倍首相ができる可能性はそこにある」
といった内容だった。
 あえて「可能性」としたのは、無茶苦茶な安倍政権だがこの政権を後の人が歴史的に振り返るときのプラスとして評価するのは、このことぐらいだという意味だったが、予想はあたった。
 なるべく間接的な表現を使うなど苦慮している姿勢がありありだが、あれほど否定していた村山談話を引き継ぐ談話になってしまった。忸怩たる思いの何ものでもないだろうが、これは仕方がないこと。東アジアや国際社会の中で生きて行く以上どうあがいてもしようがないのだ。歴史修正主義の皆々も落胆の思いだろうが、おそらく面と向かって批判することはできないだろう。これからも国内でぶつぶつ言い続けるだろうが所詮それまでのこと。いずれ消えいく存在と見ていて間違いない。意気軒昂に安倍政権を誕生させたは良いが、結局そのことが自らの思想が社会的に葬られる時期を早めることになってしまった。
 しかしあきらめが悪すぎるとしか言いようがない。意に添わない談話だから15日の追悼式(村山談話はそうだった)ではなく14日に発表したのだろう。子等に謝らせ続けてはならないなどと頓珍漢なこともあえて言及する。この人は何もわかっていない。国民が謝り続ける責任はない。子どもらが謝り続ける責任などない。国際社会もそんなことは求めていはいない。個人の思想は自由である。問題は国の指導者や政治家の馬鹿な発言や行動なのだ。国の責任者等の場合は国家責任となる。だから国際社会は批判する。まるで子どもと自らの職責を同等とでも思っているかのようなだ。この人や取り巻きは何も理解していないことが、この一文をだけで見透かされてしまう。本当に情けない面々なのだ。

2015-08-18 | Posted in 日記No Comments » 

 

サッカーの話(2)

 前回のサッカーの話の続きです。後日談です。母校伝習館のサッカー部は5年に一度OB会を開いている。昼間試合をして夜は交流会となる。
 昼の試合で何と僕が得点を挙げた。気持ちの良かったこと。
 OB会といっても創部45周年なので還暦過ぎから今年卒業した青年までと年齢差は親と子以上だ。それなので還暦越えの超OBはその世代で1チームつくることになる。最初のその超OBチームの試合ではなく、次の若い世代の試合に出番が回ってきた。何人か老け顔がいたので歳を聞いたらそれでも46歳だった。後輩諸君は来年還暦の僕に「先輩。センターフォアードやって点とって」と気をきかせてくれた。早い話が僕らが動くから前でじっとしてていいですよ、ということである。
 それでもついつい頑張るのが僕の良いところ。自分なりに走り回っていると、右サイドをドリブルで駆け上がった例の46歳の福山くんが速いグラウンダーのパスを出す。ゴール前にいたもう一人の46歳の永尾くんがこれをなんとスルーする。僕の前にボールが転がってきた。もうやるしかありません。若者のディフェンダーより一瞬早く僕が蹴った。というかうまく右足に当たった。ボールはキーパーの左脇をすり抜け見事ゴール右隅に決まったのだ。この試合3対0で僕らのチームが勝った。もちろん得点を決めて気を良くしていた僕は20分間フル出場したの言うまでもない。
 さて試合はその後も続くが、グラウンドは夏の太陽が照りつけ、20分の試合をこなした還暦超えの皆々にとってはもう限界だ。
「この天気じゃもう一回だな」と先輩。それでもあと一回と思うところがサッカー好き。いくつになっても変わらない。
 年齢に配慮した10分の超短時間試合が始まった。相手もOBだが20歳代の若者主体のチームだから試合にならないことは先刻承知のこと。がしかしだ、まるでスローモーションだった。みんな懸命に頑張ってはいるが足がもつれ倒れるし、蹴ってもまともにボールが飛んでくれない。運動会の駆けっこで気持ちのように足が前に出ず、元気よくぶっ倒れるお父ちゃんたちのあの姿に通ずる。僕も同じなのだがやはり笑ってしまう。まあそれでも後輩の思いやりに助けられつつ何とか頑張ってみた10分間であった。
 夜の交流会ではOB会会長の木下さんのはからいで僕もあいさつをさせてもらった。人生最後の得点をお膳立てしてくれた二人にもお礼を言った。
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 スローモーションのような動きではあったがやっぱりサッカーは格闘技だった。試合時間はトータルたった30分だったのだが、翌日の体全身の痛みはたいへんだった。足の裏が筋肉痛なんて普通はありえないのです。やはり歳はわきまえなければなりません。

 

サッカーの話。

 昨日で僕は満59歳になりました。来年還暦です。よくまあ生きてきたなあと思います。
 ところで「気持ちは若い時のままだよ」なんて良く言いますが、じゃあその若い時っていつのころなのか。良く考えたら良くわからない。小学生の時のままと言ったら変に思われるし、大学生のころとすればなんか魂胆ありそうと女性から警戒される。
 それで僕の結論ですが「若いころのまま」って特定の年代を指して使っているのではない。つまりぼや〜っと若いころなのです。昨日までの58年と365日の時間の積み重ねの記憶をぜ〜んぶひっくるめて、今の自分がそれを若いころと称している。とすると人間の脳ってすごい。そう思います。皆さんはどうでしょう。
 でも肉体はそうではない。歳を重ねたから足の筋肉が大きくなったなどということは絶対にない。良く考えれば当たり前のことなのだがこの現実を受け止めたがらない僕がいる。横断歩道を渡ってる途中で信号が点滅しだしてもすぐに走れないときの情けなさ。後ろ姿が写っている写真の頭頂部を見て、これは俺じゃないぞ認めたがらない自分がいる。
 若いころのままと思うことのできる心と確実に衰える体の内なる葛藤からくる心と体のずれ。どっちに責任があるか。これは人生の永遠のテーマです。
 以前シニアサッカーの試合に備えてアップしてるときに、ふくらはぎの筋肉をブチっと切ってしまったその時、心と肉体の誤差の結末の痛さを感じたのでした。
 さて明後日の14日には母校柳川の伝習館高校サッカー部のOB会に参加し、何と試合に出るつもりでいる。心と肉体の誤差は歳を重ねるごとに大きくなる。無理しないことが一番だが、ついついってこともあるな。用心用心と言い聞かせるのでした。猛暑日も続きます。皆さんご用心。

 

人勧にもの申すぞ。

 福岡県本部書記長時代は機関紙のコラムを担当していた。2005年の7月11日だからちょうど10年とひと月前に人事院勧告のことを書いている。出だしが「人事院勧告は早晩崩壊するだろう」だから相当過激です。結びは「地方公務員は間違いなく人勧に頼れなくなる」だからやっぱり過激です。
 そんで何を言いたいかというと、今年の人勧を見て10年前の不安は確実になってきたなということ。
 官民格差分の1,469円のうち1,156円というから約8割を地域手当の引き上げ分の前倒しに使うというのだ。東京の特別区は来年度以降は20%にすると決まっているから、今年は0.5%上げる分に使う。まさに大都市に厚くなのである。
 しかし東京23区と地方の賃金格差が2割も必要なのだろうか。
 そこで9年ばかり東京に暮らしての実感を少々書くことにする。
 まず交通費、公共交通が十分な東京では自動車は不要。免許すら持ってない人も多いし、私の秘書の鳥越くんなどは持っていた車を手放したほど。確かに運転も下手だったのでそのほうが良かったかなと思います。一方で公共交通が瀕死の地方では自動車は生活必需品であり、一家に一台を超え一人一台も特別ではない。維持費に加えガソリン代は生活費を直撃している。
 食費はどうか。消費者が多い東京では薄利多売が基本で昼のお弁当などは300円程度のものも無いわけではない。コンビニが主流だが、田舎と東京でおにぎりの値段が違うだろうか。むしろ東京の方が品揃えが多い。駅前商店街が残っているのも東京の特徴で良質の食料品が安く買えるとも言える。
 住宅事情が違うよとの声が聞こえてきそうですね。そりゃ便利なところに住んだら高い。でもちょっと無理して都心から離れたとこにすれば家族4人でもそこそこんとこに住める。親の代からの家やマンションがあればこれはもう言うことはない。
 最後に教育。これが大問題だ。地方から東京の大学に行かせようと思ったら一人稼ぎでは厳しい。その点自宅から通わせることができる東京の人は圧倒的に安くつく。少々高い住宅費でも十分元を取ってお釣りがくる。
 おまけに駅前には気の置けない焼き鳥屋や居酒屋が残っていて、結構安く飲めたりもする。
 東京に住むということは意外と安上がりだと思うのです。地方は安くつくという間違った固定観念のもとで地方の賃金を切り下げようとする国の施策の片棒を担ぐような人事院勧告はやはり時代から取り残される。まるで地方のための手当のように聞こえる地域手当という表現も問題。東京手当とか大都市手当と言った方がよほど合っている。この辺りが悪知恵働く官僚のやりそうなことである。
 いずれにしても人勧は最近東京一極集中を益々援護するものになってしまった。東京の人には悪いが作られた地域間格差が連帯感を希薄にしていく、そんな危惧を覚えるのは私だけだろうか。

2015-08-11 | Posted in 日記No Comments » 

 

「米兵の遺族も悲し終戦日」

8月11日の平和の句

宮司 孝男(64)さん  静岡県湖西市

金子 兜太  昔から言われてきた「汝の敵を愛せよ」には、戦争肯定の裏打ちが潜むが、この句の根は戦争反対。憎むべき戦争の犠牲故に。

東京新聞より

第二次大戦が終わってもアメリカの若者は、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争、テロとの戦い等々に駆り出され、多数犠牲になる。今も続く。ある意味世界一不幸な運命の若者かもしれない。そう思うと日本国憲法の重みが増す。

2015-08-11 | Posted in 日記No Comments »