日記

60年安保と今。

7・30集会のメインスピーカーは作家の保坂正康さんだった。60年安保の岸信介に対する思いを語る。なぜあの時あれほどの人が声を上げたのか。

岸信介なる人物への「不信」「嫌悪」の思い。これが人々を突き動かしたと指摘する。戦前は背広組の最高責任者として戦争を指導し、敗戦後一転戦犯となる。冷戦が始まるとかつての敵国に命を救われ利用される道を選ぶ。少なくとも多くの国民はそんな岸の生き様から不信や嫌悪を皮膚感覚として感じ取っていたのだろう。

その彼が、米兵と同じように自衛隊も血を流すべきと双務的な日米同盟を結ぼうと企てている。ダメだと国民は立ち上がる。

今とよく似ている。日本の若者も血を流すべきと詭弁と嘘を繰り返し、強行する岸の孫。岸と同じ感覚を現代の国民に抱かせる。

当時と今、大きく違う点が一つあると保坂さんは言う。60年安保の時は総評や社会党が闘争の中核に座っていた。今はそんな労働団体も政党もない。

全国で声をあげ行動を起こしているのは、普通の人々。そこが違う。

集会で僕の前にいたサラリーマン風の男性。シュプレヒコールが始まったがじっと動かない。だがしばらくすると恥ずかしそうに手が小さく上がった。そしてついに一緒に拳を突き上げた。初めてなのだ。

保坂さんは、今のままでは死ねないとも話す。もうしばらく長生きして現代の妖怪を倒す運動を続けたいと。

同じ思いの普通の高齢者は多いに違いない。老若男女一緒に拳をあげる。

70年の戦後民主主義は伊達ではなかった。しっかりと根付いていた。普通の人々が行動を起こすことで思いを共有する。安倍なるものの不信感や嫌悪感を確認する。そしてそれはもっと伝播していく。必ず。

2015-07-31 | Posted in 日記No Comments » 
Comment





Comment