日記

「母の死は臀部爆創焼夷弾」

7月27日の平和の句

串田 弘(ひろむ、88)さん 三重県度会(わたらい)町

いとうせいこう 大阪市で空襲に遭い、焼夷弾により三日後に亡くなったそうだ。自身は赤道直下で収容され、半年間の食料不足。この経験を無駄にすまじ。

東京新聞より

「でんぶばくそうしょういだん」と読む。どんな症状なのだろう。痛みなのだろう。きつかっただろう。辛かっただろう。悔しかっただろう。

久しぶりの東京です。久しぶりの平和の句です。

2015-07-27 | Posted in 日記No Comments » 
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