2015-07-21

市川房枝さんに入れんとでけん。

「市川さんにあがってもらわんと」。参議院選挙にまだ全国区があったころ、選挙の度に母が言っていた口癖。よく覚えている。

その後、私が仕事について選挙運動をするようになって、初めての参議院選挙でも、

「あんたが、どげん言うたっちゃ(なんと言っても)、わたしゃ市川さんに入れるけん」と話を聞いてくれなかった。

その市川房枝さんの弟子でもある私と同郷の紀平悌子さんが一昨日亡くなった。87歳だった。奇しくも市川さんと同じ歳。市川さんの後を次ぎ、日本婦人有権者同盟のなどの活動を進めた。参議院議員にもなり市川さんらとともに戦後の女性運動の草分け的存在である。

我が国の民主主義を語るとき、戦前と戦後で一番違うのが女性の参政権だと思う。日本国憲法のもと初めて保障された権利だが、男女同権とされながら未だ決して同権ではない。しかし市川さんや紀平さんたちの運動で、戦後、確実にその流れは積上って来た。

福岡の片田舎で育ち、そこから出ることもなかった我が母、美智子であるが、戦前を経験をしているだけに市川さんらの運動に共感を覚えていたのであろう。いや今思えば、様々な条件が許せばその運動に身を投じていたかもしれないと思う母である。

その息子である私が、参議院議員となった。立候補のときあまり母に相談しなかった。それが少し不満だったかもしれない。その母は今、施設に居る。ほとんど会話はできないが、目はしっかりしていると思う。だまって横に座っているだけでホッとするし、なんとなく暖かくなる。たまにお互い白髪になった頭をくっつけると母の気持ちが伝わってくる。気がする。

そんな母であるが、国会中継が放送されているとテレビをじっと見つめているそうだ。私を探しているのだろう。

市川さんや紀平さんの歳を一つ超えた母。一票を投じることで主張した静かな女性活動家でもあろう。そんな彼女に感謝する日々を大切にしたい。

ありがとう。

 

 

2015-07-21 | Posted in 日記No Comments » 

 

「戦時なら兄も誰かを殺すのか」

7月21日の平和の句
田中 明子(40)さん 愛知県名古屋市
金子 兜太 戦争になったら、あの優しい兄も人殺しになるのか。耐えられない。
いとうせいこう 胸をつく問いである。そして男女同権の時代であれば女性の作者も、だ。
東京新聞より
via PressSync

2015-07-21 | Posted in 日記No Comments »