2015-06-24

みるく世がやゆら・・・平和でしょうか

昨日は沖縄「慰霊の日」。追悼式で沖縄県立与勝高校三年生の知念捷(まさる)さんが、朗読した「みるく世(ゆ)がやゆら」という詩の全文が今日の東京新聞2面に掲載されていました。おもわず目頭が熱くなる感動を覚えました。

「みるく世がやゆら」

※「みるく世がやゆら」とは「平和でしょうか」という意味だそう。「みるく世」は「弥勒世(みろくよ)」

みるく世がやゆら

平和を願った古(いにしえ)の琉球人が詠んだ琉歌が 私へ訴える

「戦世(いくさゆ)や済(し)まら みるく世ややがて 嘆(なじ)くなよ臣下 命(ぬち)ど宝」

※「戦いの世は終わった。平和な弥勒世がやがて来る。嘆くなよ、おまえたち、命こそ宝」

七〇年前のあの日と同じように

今年もまたせみの鳴き声が梅雨の終わりを告げる

大地の恵みを受け 大きく育ったクワディーサー

※モモタマナの木。沖縄戦の死者名を刻む「平和の礎」の周りにも植えられ、広い葉が大きな緑陰をつくる。

の木々の間を

夏至南風(カーチーベー)の 湿った潮風が吹き抜ける

せみの声は微かに 風の中へと消えていく

クワディーサーの木々に触れ せみの声に耳を澄ます

みるく世がやゆら

「今は平和でしょうか」と 私は風に問う

花を愛し 踊りを愛し 私を孫のように愛してくれた 祖父の姉

戦後七〇年 再婚をせず戦争未亡人として生き抜いた 祖父の姉

九〇才を超えた 彼女の体は折れ曲がり ベッドへと横臥(おうが)する

一九四五年 沖縄戦 彼女は愛する夫を失った

一人 妻と乳飲み子を残し 二十二才の若い死

南部の戦跡へと 礎(いしじ)へと

夫の足跡を 夫のぬくもりを 求め探しまわった

彼女のもとには 戦死を報せる紙一枚

亀甲墓に納められた骨壺には 彼女が拾った小さな石

戦後七〇年を前にして 彼女は認知症を患った

愛する夫のことを 若い夫婦の幸せを奪った あの戦争を

すべての記憶が 漆黒の闇へと消えゆくのを前にして 彼女は歌う

愛する夫と戦争の記憶を呼び止めるかのように

あなたが笑ってお戻りになられることをお待ちしていますと

軍人節の歌に込め 何十回も 何百回も

無慈悲にも自然の摂理は 彼女の記憶を風の中へと消してゆく

七〇年の時を経て 彼女の哀しみが 刻まれた頬を涙がつたう

蒼天に飛び立つ鳩を 平和の象徴というのなら

彼女が戦争の惨めさを 戦争の風化の現状を 私へ物語る

みるく世がやゆら

彼女の夫の名が 二十四万もの犠牲者の名が

刻まれた礎に 私は問う

みるく世がやゆら

頭上を飛び交う戦闘機 クワディーサーの葉のたゆたい

六月二十三日の世界に 私は問う

みるく世がやゆら

戦争の恐ろしさを知らぬ私に 私は問う

気が重い 一層 戦争のことは風に流してしまいたい

しかし忘れてはならぬ 彼女の記憶を 戦争の惨めさを

伝えねばならぬ 彼女の哀しさを 平和の尊さを

みるく世がやゆら

せみよ 大きく鳴け 思うがままに

クワディーサーよ 大きく育て 燦燦と注ぐ光を浴びて

古のあの琉歌(うた)よ 時を超えて今 世界中を駆け巡れ

今が平和で これからも平和であり続けるために

みるく世がやゆら

潮風に吹かれ 私は彼女の記憶を心に留める

みるく世の素晴らしさを 未来へと繋ぐ       東京新聞6月24日朝刊より

2015-06-24 | Posted in 日記No Comments » 

 

沖縄の血涙思ふ仏桑華

6月24日の平和の句

前田 順一さん(69) 浜松市中区

金子 兜太 今次大戦の沖縄の被害は筆舌に絶する。しかもいま基地に苦しんでいる。沖縄の現状に平和などない。沖縄人の血涙を思え。

東京新聞より

仏桑華とはハイビスカスのことだそう。知りませんでした。沖縄では赤花とも呼ぶんだそう。こんな赤い花です。何となく、そうですね。

Unknown

2015-06-24 | Posted in 日記No Comments »