2015-03-12

「ありがとう。大好きだよ。」

涙の量が減ってきた。記憶が遠のいているせいなのか。

東日本大震災から4年がたつ。国立劇場で昨日開かれた追悼式に参加してのこと。
過去三回の式典と同じに次第が進み、岩手、宮城、福島の遺族代表の時間となる。

今年の代表は38歳、32歳、19歳といずれも若かった。
この時間になるといつも、私の眼は涙であふれていたはずだった。今年は違ったのだ。だから冒頭の言葉となる。

ところが今年の3人の遺族代表も涙で言葉に詰まることはあまりなかった。もちろん懸命に我慢してのこと。

唯一、ほんの少しそれを感じたのは、2人目の宮城県代表の菅原彩花(さやか)さんの時(写真)。彩花さんは三人の中で一番若い。

それは彼女がこう言う時だった。

「母のことを助けたいけれど、ここにいたら私も流されて死んでしまう。「行かないで」という母に私は「ありがとう、大好きだよ」と伝え、近くにあった小学校へと泳いで渡り、一夜を明かしました」

彩花さんは家族5人とともに津波に流される。無我夢中の中、運良くがれきの山の上に流れ着く。その時、足元から彼女の名前を呼ぶお母さんの姿に気づく。お母さんは、釘や木が刺さり足が折れた姿だった。

懸命に助けようとするが、どうにもできない。

すさまじい光景であったと思う。いや第三者が勝手に想像することさえはばかられる。

話さなくてもいいはずのこと。話さなかったら誰も知らないこと。

しかし彩花さんはそのことを今、全国に伝えている。
考えられないようなお母さんとの別れ。それも自らが生きるために決断しなければならなかった別れ。生きた彩花さんの悲しみ、後悔、懺悔・・・その葛藤はどれほどのものであったろう。

「震災で失ったものはもう戻ってくることはありません。被災した方々の心から震災の悲しみが消えることはありません。しかしながらこれから得ていくものは自分の行動や気持ち次第でいくらにでも増やしていけるものだと私は思います」

続ける彼女の言葉が胸に迫る。15歳の少女を襲った運命的な悲劇。その辛い悲しみは我々は想像するしかない。その深さは我々の想像をはるかに超えるだろう。

その彼女が自らに下したその悲劇を語ることの意味、勇気。しっかり受け止めたいと思った。

「悲しみ」そのものは消えることも薄らぐこともない。ただその上に積み重なる新たな記憶の量が涙の量を減らしてくれているのだ。そして前を向く力を与えてくれているのだ。3人の遺族代表がそのことを示しているように思う。

人が生きることの厳しさと喜びを19歳の彩花さんから教わった。

 

・・・ここで終わろうと思ったがやはり書くことにする。

式典で式辞を述べるためにステージにあがった安倍総理大臣。

背筋を伸ばし靴音をたてて大股で颯爽と歩く姿は羨ましいほど様になっていた。高揚感あるあの声もいつもと同じである。

しかし違和感を感じた。黙祷もし、悲しみも癒えない遺族も参加している。なぜそれほど颯爽っと振る舞える。なぜそれほど靴音をたてられる。陛下も含め他の登壇者からは感じることの無い場違いの雰囲気を感じた。

ひょっとしたら私の総理を見る色眼鏡のせいかもしれない。と思い黙っていたら、その夜の会合で同じ思いをした人がいた。やはり。

総理の今の勢いがなせるものか。もともとも持っている資質のせいか。分からないが、少々配慮にかける一挙手一投足であったと思うのだ。

 

 

 

 

 

2015-03-12 | Posted in 日記No Comments »