2015-03
「ありがとう。大好きだよ。」
涙の量が減ってきた。記憶が遠のいているせいなのか。
東日本大震災から4年がたつ。国立劇場で昨日開かれた追悼式に参加してのこと。
過去三回の式典と同じに次第が進み、岩手、宮城、福島の遺族代表の時間となる。
今年の代表は38歳、32歳、19歳といずれも若かった。
この時間になるといつも、私の眼は涙であふれていたはずだった。今年は違ったのだ。だから冒頭の言葉となる。
ところが今年の3人の遺族代表も涙で言葉に詰まることはあまりなかった。もちろん懸命に我慢してのこと。
唯一、ほんの少しそれを感じたのは、2人目の宮城県代表の菅原彩花(さやか)さんの時(写真)。彩花さんは三人の中で一番若い。
それは彼女がこう言う時だった。
「母のことを助けたいけれど、ここにいたら私も流されて死んでしまう。「行かないで」という母に私は「ありがとう、大好きだよ」と伝え、近くにあった小学校へと泳いで渡り、一夜を明かしました」
彩花さんは家族5人とともに津波に流される。無我夢中の中、運良くがれきの山の上に流れ着く。その時、足元から彼女の名前を呼ぶお母さんの姿に気づく。お母さんは、釘や木が刺さり足が折れた姿だった。
懸命に助けようとするが、どうにもできない。
すさまじい光景であったと思う。いや第三者が勝手に想像することさえはばかられる。
話さなくてもいいはずのこと。話さなかったら誰も知らないこと。
しかし彩花さんはそのことを今、全国に伝えている。
考えられないようなお母さんとの別れ。それも自らが生きるために決断しなければならなかった別れ。生きた彩花さんの悲しみ、後悔、懺悔・・・その葛藤はどれほどのものであったろう。
「震災で失ったものはもう戻ってくることはありません。被災した方々の心から震災の悲しみが消えることはありません。しかしながらこれから得ていくものは自分の行動や気持ち次第でいくらにでも増やしていけるものだと私は思います」
続ける彼女の言葉が胸に迫る。15歳の少女を襲った運命的な悲劇。その辛い悲しみは我々は想像するしかない。その深さは我々の想像をはるかに超えるだろう。
その彼女が自らに下したその悲劇を語ることの意味、勇気。しっかり受け止めたいと思った。
「悲しみ」そのものは消えることも薄らぐこともない。ただその上に積み重なる新たな記憶の量が涙の量を減らしてくれているのだ。そして前を向く力を与えてくれているのだ。3人の遺族代表がそのことを示しているように思う。
人が生きることの厳しさと喜びを19歳の彩花さんから教わった。
・・・ここで終わろうと思ったがやはり書くことにする。
式典で式辞を述べるためにステージにあがった安倍総理大臣。
背筋を伸ばし靴音をたてて大股で颯爽と歩く姿は羨ましいほど様になっていた。高揚感あるあの声もいつもと同じである。
しかし違和感を感じた。黙祷もし、悲しみも癒えない遺族も参加している。なぜそれほど颯爽っと振る舞える。なぜそれほど靴音をたてられる。陛下も含め他の登壇者からは感じることの無い場違いの雰囲気を感じた。
ひょっとしたら私の総理を見る色眼鏡のせいかもしれない。と思い黙っていたら、その夜の会合で同じ思いをした人がいた。やはり。
総理の今の勢いがなせるものか。もともとも持っている資質のせいか。分からないが、少々配慮にかける一挙手一投足であったと思うのだ。
神楽坂毘沙門天の思い出
東京にあるJR飯田橋駅の西口を出て右に行くとすぐに外堀通りに出る。ここが神楽坂下の交差点。
有名な神楽坂はここから始まる。だらだらとした坂を登り詰めると左手に善國寺毘沙門天がある。
2月のとある日の夕刻。柄にもなくこの毘沙門天にお詣りした。
その2時間ほど前は九段下のホテルグランドパレスの喫茶に居た。岡部自治労本部委員長(当時)に呼び出されていた。
岡部さんの話は「2010年参議院選挙に自治労組織内候補として立候補しろ」というものだった。明日までに返事しなくてはならない。
岡部さんと別れ、様々なこと、例えば「外堀は埋められている」「断ればどうなる」などを考えながらとぼとぼ歩いたことを思い出す。
その日の夜は自治労本部労働局の仲間と夕食を神楽坂ですることにしていた。足は自然に神楽坂に向かったのだろう、どこをどう歩いたのかはわからないが、気づけば毘沙門天の前に立っていた。
あの年の大河ドラマは「天地人」。阿部寛演じる上杉謙信はことあるごとに洞窟内の毘沙門天にお参りしていた。ふとそのことを思い出し、悩める思いを神楽坂の毘沙門天に打ち明けたのだった。
あれから6年がたった。仕事も環境も一変したが、なんとか今の立ち位置で頑張っている。これも毘沙門天様のおかげか。
思えばあれ以来、神楽坂の毘沙門天には行っていないようだ。少々罰当たりだった。再びの推薦を得た身。初心に帰る思いで近々お参りしようと思う。
空からの報告 絶景写真を2枚
飛行機の離着陸時に電子機器の電源を切らなくて良くなったので、これまで撮れなかった写真が撮れるようになった。
佐賀空港着陸の場合、大分県の国東半島あたりから九州に侵入する時がある。飛行機は阿蘇山を眼下に九州を横断する。外輪山を過ぎると間もなく有明海が見えてくる。以外と雲仙は近い。これだけでも天気が良い日は圧巻だ。
加えて、降下を始めると海面に碁盤の目のような規則正しい正方形の紋様があるのに気づく。海苔養殖用の竹竿(昔は竹だった。)がつくるこの風景はまさに故郷ならではのもの。
穏やか有明海は陽を浴びた海面を鏡のように光らせる。そこに海苔畑へ行き交う舟がつくる長く広がる波模様が加わる。
舟がつくる波は以外と消えない。無限とも思えるほど広がる。そのことを知ったのはこの風景を初めて見た時だった。
幾つかの舟がつくる波模様はそれぞれが重なり合い、複雑な波形を海面に残す。
海苔養殖の時季の有明海(夏場は竿は取り除かれる。)の日が沈みかけた頃しか見れない風景だ。
この前撮ったのが下の写真。もっと時間が経ち夕陽になればさらに綺麗になる。この日は遠くに霞んで雲仙が見えた。
佐賀空港からの帰りだった。空港はあいにくの雨。
この日は全国的に雨マークがついていた。もちろん帰り着いた東京も雨である。
全国的に雨ということは国中を大きな雨雲が覆っているということ。その裏返しは雲の上に出ると、眼下はどこまでも雲が広がっているということ。
この日はずーっとこんな景色が飛行機の窓から見えていた。
雨降る灰色の下界の上にはこんな鮮やかな青と白の世界が広がっている。不思議な感覚になった。