2012-12-19

諦めた方が負け。

久しぶりに東京に戻りました。大変な負け方をしました。それなりの予想はしていましたが、まさか60議席に届かないとは驚きです。これだけ負ければ民主党の足腰は相当弱まります。今夏改選の参議院議員は2007年当選組です。29ある1人区の選挙区のうち23で勝利、複数区でほとんど2人が当選するという民主党大勝利の選挙。その再選なので現有議席を確保することは相当厳しい。返す返すも2010年参議院選挙での敗北が痛いのです。このまま我国の政党政治が政権交代のない政党政治に戻るか否かは、民主党の再生にかかっていますが、再び政権を担える政党にまで力を蓄えるには最低でも、これから数回の総選挙が必要でしょう。諦めた方が負けです。

1912年から始まった大正時代はデモクラシーの時代と言われています。その象徴的事件が翌1913年に起きました。立憲政友会の尾崎行雄と立憲国民党の犬養毅は手を組んで元老が支配する藩閥政治から、議会中心の政治を望む国民運動「第1次憲政擁護運動」を指導します。そして桂内閣を総辞職に追い込みます。政党が力を持って国民と動き出したのです。その5年後、立憲政友会の原敬の下で我国初の本格的政党内閣が誕生しました。その後政党はくっ付いたり離れたり、名前を変えたりしますが、政党政治は深化します。

1930年、民政党率いる濱口雄幸は首相となった時の演説で、「中国内政不干渉」と「ロンドン軍縮条約賛成」を明確に訴えます。そしてすぐ解散し総選挙を実施、民政党を圧勝に導きました。今のような普通選挙ではありませんが、当時の有権者は満州からの撤兵と軍縮を明確に選択したのです。国民の声が選挙を通じて反映され、濱口内閣は国民の声を背景に数々の困難を乗り越え、ロンドン軍縮条約を批准しました。政党政治が機能したのです。しかし一方の中国内政不干渉は、2度の軍部クーデターを経て国民の声が反映すること無く突っ込んでいくことになります。その後総選挙が実施されること無く、政権交代の無い大政翼賛会の時代が始まります。

その後、日本での本格的政権交代は、実に2009年まで待たなければなりません。80年前の一時の間、この日本に国民を信頼する政党政治が実現しました。しかしどうでしょう。現代で政権交代を果たした民主党野田政権は、総選挙をせずに消費税増税の道を選びました。これを「決めるべきときに決める政治」と言うのでしょうか。いや違います。多数を維持している間に決めてしまおうという国民を信頼しない官僚的政治です。国民を信頼しない政権は国民からも信頼されませんでした。80年前には失敗に終わった日本の政党政治。再び失敗に終わらせるわけにはいきません。

国民と政党が相互に信頼する関係を築く。民主党が目指すべき道です。国民に政権選択の権利を補償しなければなりません。諦めた方が負けです。政権交代の無い官僚政治を復活させてはならないのです。

2012-12-19 | Posted in 日記No Comments »