昨夜遅く郷里に戻る。夜遅く馴染みの寿司屋のドアを開け連れ合いと二人でいつもの席に座る。お酒とつまみ、寿司を少々食して1時間ほどで辞す。最近少し飲み過ぎの感ありで今宵はほどほどである。
日が変わり今朝9時前、携帯の呼び出し音が鳴る。電話の表示は03から始まるので東京からだ。政界で何か動きがあったか。
TPPに関してはこの土日も議論されるし、慎重派主催の集会やデモもある。昨日の午前中の決起集会には参加した。会場の憲政会館に入る際には反対されているおそらく農業関係の皆さんだろう拍手で迎えられた。申し訳ないが以前からの約束ごとが今日福岡であるため土曜日の行動には参加できない。そのTPPで何かあったのか。
電話の先は民主党だった。内容は西岡参議院議長の死。昨夜亡くなられたとのこと。そして今日13時まで議長公邸で弔問を受付、その後議長は長崎に帰られる。そのお見送りができないか?と言う。それが適わないことを告げ電話を切った。西岡さんらしいと言えば西岡さんらしい逝きかたか。金曜日の夜静かに閉じ、土曜日のうちに郷里に帰る。普通の日であれば国会運営も含め参議院の方は大騒動ではなかったろうか。日頃から議会制民主主義の何たるかを訴え、議長になってもそのことを主張しておられた方だ。自らの死が極力迷惑をかけることのないようにと。
今年度の予算案の扱いを巡ってのこと。政府は野党の反対で成立が危ぶまれる公債特例法案などの歳入に関する予算関連法案と本予算案を分離して参議院に送りつけた。歳入の裏付けがない予算案などあり得ない。与野党逆転の参議院において予算案も関連法案も否決される可能性が高い。しかし予算案は憲法の規定により参議院が法案を受け取って30日を経過すれば衆議院の可決が優先し自動成立する。これによって歳入の裏付けの無い予算案が執行が始まる。しかし当座の手持ちのお金がなくなれば執行できない。ぎりぎりのところで臨時国会を開き再度関連法案を通すというのが政府のシナリオだった。参議院審議が政局で振り回されることとなった。
このやり方に西岡参議院議長が違を唱えた。参議院軽視であり議会制民主主義否定である。議長は案の受け取り拒否するという奇策にでる。予算案の成立は議長が案を受け取ってから30日。受け取らなければ時計は進まず、11年度予算案成立のタイムリミットは刻々と近づく。
ねじれ国会が続き、良識の府と言われた参議院が政局の主戦場となる。まっとうな議論ができなくなっている。このままでは参議院不要論が再び高まる。そんな思いが西岡議長の中で大きくなっていたのではないかと思う。その警鐘が受け取り拒否であった。これだけではない。議長の菅総理批判は辛辣だった。諫早湾汐留堤防の地元と一切話のないままの開門宣言。地元の保守政治家として忸怩たる思いだったにちがいない。
そんなこんなでわずか1年間のお付き合いしかないが、西岡議長の行動からいろいろ教わったような気がする。小柄な西岡さんだが、ゆっくり歩きゆったりした仕草は気品すら感じる立ち居振る舞いだった。
その議長の異変に気づいたのは前回の臨時国会からだ。声が出にくく、苦しそうな仕草を議席からたびたび拝見し、その都度隣の糸数参議と「苦しそうですね」「ご病気では」と話していた。そして今臨時国会からは一度も姿を議場に表すことは無かった。そして今朝の電話である。
西岡武夫。両親を政治家に持つ典型的な我が国の保守政治家。しかし母・ハルさんは吉田率いる自由党初の女性参議であり婦人参政権運動に力を注いだ政治家である。その血が彼にも流れる。僕的には河野洋平とともに自民党を出、新自由クラブを結成した西岡幹事長としての姿が印象に残っている。
国を思う一人の現職の保守政治家が逝った。今の政治の混乱を見つめつつ忸怩たる思いで逝かれた。その死に接することでこの1年の西岡議長の言動が国会議員の心に蘇ることだろう。そのことが今の政治の変革に少しでも繋がれば議長は本望ではないだろうか。その中の一人として責任を肝に命じるのである。
西岡議長、安らかにお眠りください。ありがとうございました。合掌。