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新聞報道の怪

昨日の産経新聞の記事に驚く。見出しに「交付税6千億円減額 地方公務員給与の削減促進 政府、方針固める」とあり、以下の要旨の記事が続く。

政府が国家公務員の給与削減に併せ、地方公務員にも同程度の削減を促すため地方交付税を減額する方針を固めたことが11日、分かった。平成24年度以降、総額約17.4兆円の交付税から最大で年間約6千億円を減額する。・・・野田佳彦首相は、公務員給与削減を消費税増税に向けた「身を切る改革」の目玉としたい意向だが、国家公務員の給与削減で生み出される財源は年間3千億円程度。・・・約56万人の国家公務員だけではなく、約234万人に上る地方公務員の給与引き下げも行うことで国民の理解を得たい考えだ。

だそうだ。そして「今国会での予算調整が難しい場合、今秋の臨時国会に補正予算案を提出し、年度末までの数カ月分を減額する案も浮上している。」と今年秋の臨時国会の話にまで記事の内容は飛ぶ。そして当然、「自治労や日教組の支援を受ける民主党内には地方への波及に反対する意見も根強く、調整は難航しそうだ。」と自治労や日教組の反対も忘れず、抵抗勢力は誰かを説明する。結びには「自治体側からの強い反発も予想されるだけに」と自治体の反発を加え、最後は「先行きは不透明だ。」として記事内容そのものの信憑性の低さを自ら宣言して閉じる。

一体全体この記事の冒頭の主語である「政府」とは誰を指すのか?総理か閣僚の誰かだろうか?

労働基本権が不完全な状態の我が国公務員に対して、不完全の代償として法定されているのが人事院という機関の設置とそこが行う勧告制度である。この制度下において国家公務員の賃金水準は、地方交付税のうちの地方自治体の人件費相当部分の積算の根拠となっていた。しかし今回の国家公務員のマイナス7.8%の決定は違うレベルのもの。所謂政府と職員団体の協議によって決まったもの。この協議は公務員制度改革実現後の新たな労使関係成立によって効力を持つであろう労使協議の先取り的物。いわば非公式な政労協議と言える。それも国家公務員制度改革の法案とセットでの成立を条件に職員団体側が承認したものだ。そんな国の労使による決定が地方の裁量権を奪うことは許されない。地方のことは地方が決めるべきもの。地方分権の流れをこんなことで押し戻してはならない。それが道理であり制度でもある。これは削減という不利なことだからいっているのではない。仮に有利な決定であっても、地方が上意下達で国に従わされることはあってはならないのだ。

復興財源が必要であるならば、地方6団体が集まり協議し、それぞれができることを決めれば良い。国がそうしたから地方もならえでは、何時まで経っても国の傲慢な態度も改まらないし、地方の自主自律の精神も高まらない。

先の質問に戻るが、上記のような制度だからこそ記事のような内容の方針を固める「政府」はいるはずがない。もしそんな考えを持つ閣僚や官僚がいたならば、その人物は全くもって国と地方の現行法上の権利と義務の関係を知らないことになる。

案の定、総務省も財務省も記事の内容に驚いていているという情報である。一体誰がこんな謎に満ちた記事を書いたのか、書かせたのか。さすがに産経新聞だと思うが、新聞記事に「怪」が多い最近である。

日記57  東京は寒いです。

今日は東京ですが、皇居を走ろうと思ってベランダに出ると霧のような雨が降っています。宿舎南棟の向こうにホテルニューオータニの頭が白っぽく見えます。今日は一日中家の中ですかね、この天気じゃ。どこも寒いのでしょうか?

 

より良い社会を目指して②

より良い社会を目指して①からのつづきです。「生活経済政策研究所」の機関紙「生活経済政策」の今月号の神野「新自由主義の呪縛からの解放はあるか」から
「覇権国の延命措置」その2
しかも、この1973年には石油ショックが生じている。石油ショックは第二次世界大戦後の黄金の30年と言われる高度成長に終わりを告げる晩鐘となった。というよりも、石油ショックは高度成長を推進した自然資源多消費型の重化学工業化の行き詰まりを意味していた。その結果としてスタグフレーションが生じてしまう。
福祉国家を支えた政策思想であるケインズ主義からすれば、インフレーションのもとでの経済停滞というスタグフレーション減少は説明不可能な現象であった。そこで新自由主義は、ケインズ的福祉国家を根底から批判していく。つまり、新自由主義は民営化、規制緩和、行政政策による政府介入しない「自由」な市場に社会を委ねる最小国家(the minimal state)を提唱したのである。
もっとも、新自由主義の攻撃の対象は、「個人の選択の自由」の敵である「連帯」にも向けられる。つまり、労働組合の解体へと、攻撃の焦点が絞られていく。それによる賃金と社会保障給付の引き下げで、インフレーションを抑制することが図られる。
もちろん租税負担水準を引き上げることによって、インフレーションを抑制することは、「個人の選択の自由」を掲げる新自由主義からはありえない。そりよりも所得から消費への合言葉のもとに、逆進的租税負担構造を形成することで、経済停滞から抜けだそうとしたのである。
サッチャー政権を見ると、新自由主義はインフレーションの抑制という点から言えば成果はあったといえるかもしれない。しかし、それは技術革新の推進による積極的設備投資の拡大ではなく、消極的な減量経営の結果だったのである。
重化学工業を基軸とする産業構造が行き詰まり、そうした産業構造を前提に成り立っていた福祉国家もパクス・アメリカーナも動揺している。そうした歴史的転換期に、新自由主義はイノベーションによって新しい産業構造を形成することなく、低賃金と社会保障給付の引き下げによる減量経営を推進して既存産業の生き残りを図ろうとする。つまり、既存の強者を強者として振舞わせようとする。それは既存の強者としての覇権国アメリカを維持しようとする道ともなるからである。
しかし、産業構造の転換を図らなければならないときに、産業構造を転換する方向に投資が向かわなければ、バブルが生じてしまう。産業構造を転換しなければならないときに、チューリップの球根を買いまくれば、チューリップ恐慌が生じるようなものである。
1973年に石油ショックが生じ、ブレトン・ウッズ体制が解体すると、行き場のない過剰資金が次から次へとバブルを起こしてははじけさていく。ある時は中南米へ、ある時はアジアへと、旧来型の産業に投資をしてはバブルを起こさせる。さらには本来は政府が責任を負うべき領域に、市場を創設して旧来型産業を維持しようとする。
住宅はヨーロッパの先進諸国では、公共財あるいは準公共財として扱われている。つまり、社会保障として観念されている。ところが、アメリカでは住宅はあくまでも私的財産である。そこで低所得者に持ち家を奨励し、既存産業に市場を創りだそうとした結果がサブプライムローンの悲劇である。
1929年の世界恐慌がパクス・ブリタニカの最終的崩壊を告げたように、新自由主義を旗印にバブルを繰り返しながら延命を図ってきたパクス・アメリカーナも、2008年のリーマン・ショックが開演のベルを押された世界恐慌で、最終的崩壊期を迎えようとしている。この政界恐慌はアメリカやヨーロッパのソブリンリスクと呼ばれる財政危機から、第二幕が開演しようとしている。
しかし、この危機から脱出するために、新自由主義がパクス・アメリカーナを延命する役割をはたすことはできない。新自由主義は退場するか、生き残って破局への導きを役を果たすかである。
「日本は未来を拓けるか」その1
自由を操作しながら、アメリカの覇権を延命する手段を使命とした新自由主義は、支配的政策思想としては寿命は尽きたといって良い。とはいえ、新自由主義から抜け出せないとの実感が強まるのは、寿命の尽きた新自由主義に取って代わる支配的思想が形成されていないからだといってよい。
その大きな理由は、ヨーロッパの混乱にある。つまり、新自由主義のオルタナティブとして、福祉国家の行き詰まりを覚悟した上で、雇用と福祉を重視するという福祉国家のメリットを生かしながら、新しい状況のもとで、新しきヨーロッパ社会経済モデルを追求したヨーロッパが混乱しているからである。
新自由主義がもたらすグローバル化に対応すために、国民国家を超える超国家機関を形成しながら、国民生活を補償する責務を地方政府に委譲していくというモデルをヨーロッパは採用した。そのため福祉国家の現金給付による所得再分配は、地方政府によるサービス給付による再分配へとシフトしていったのである。(より良い社会を目指して③に続きます)

労働組合よ覚醒せよ。

神野論文を読んで思う。連合を中心とした日本の労働運動は今こそ覚醒し、公正な社会、より良き社会の実現のためにエネルギーを発生すべき時だと。戦後の社会主義革命を目指した労働運動を継続したグループと、それと袂を分かち対立から労使協調路線へと舵を切ったグループとが冷戦終了のころ再度統一した。そして新自由主義の資本主義の時代となり、格差、貧困の怨嗟が世界中を被い尽くす。リーマンショック後もその流れは変わってはいない。社会主義革命を目指した労働運動はもはや日本には無い。労使協調を目指した新自由主義以前の経営陣ももはやこの国には存在しない。あるのは牙をむき出しにし、さらに富を収奪しようとする新自由主義下の「資本」や「我欲」ではないか。かつてマルクスが指摘したとおりだとの声もある。しかし、マルクス主義を掲げ建設された社会主義国家は決して人々を幸福にはしなかった。もはやその思想には大衆は戻れない。だとすれば資本主義の中にあってもっと「より良い社会」を築くという、当たり前の運動を進めるしかないのだ。しかし、それが本来の労働運動ではないか。先人の労働者が、理不尽な経営者に抵抗し、もっと働きやすい職場を、もっと食える給料をと、要求して立ち上がったときも、きっともっと「より良いもの」を目指すという単純で分かりやすく、身近な運動だったはずだ。

今年になってユーロの危機が多く喧伝される。二度の大戦の惨禍の場所であるヨーロッパの人々は、労働組合を中心とした大衆運動中で社会主義革命とは一線を引いた福祉国家の建設を目指してきた。そしてそれが実現した矢先に冷戦が終わり、パクス・ブリタニカからパクス・アメリカーナと続く覇権国の経済的支配が、新自由主義、金融資本主義の皮をかぶって襲う。ギリシャやイタリアやスペインもその煽りを被っている。さながら金融というステージの第3次世界大戦だ。しかし、ヨーロッパ統合を目指し、集まった仲間たちはこの闘いに勝利すると思う。レジスタンスとなり平和を勝ち取った人々のDNAが彼の地の政治家や経営人にも流れているし、なにより福祉国家を建設した労働運動の伝統がある。

神野さんはそんなことも論文で触れている。翻って日本は。公務員組合も電力労組も集中的批判に晒される。連合も大企業中心の正規職員の労働組合だと批判される。戦後の労働運動が辿った道は、国民大衆の想いと相容れず、現実の社会の進展とも齟齬があったのではないか。高度成長の中で大企業のサラリーマンや公務員は成長の恩恵を受けてきた。自らの集団の中での福利厚生の充実を進めることに運動を費やし、社会全体をヨーロッパのような福祉国家にするという運動には至らなかった。今の社会の労組批判はそれ故の批判ではないだろうか。

労働組合よ今こそ覚醒すべきときだ。貧困と格差の怨嗟を払いのけ、「より良い社会」の建設に向け、人々とともに政治とともに労働組合が持つ組織的エネルギーを役立てるときが来ている。労働組合とは正に大衆運動でることを実践すべきときに来ている。労働組合が国民大衆とは別次元の悪者でもあるかのような社会の誤解をとくべきときに来ている。それがなければ日本は・・・。(了)

より良い社会を目指して①

生活経済政策研究所」が、今月号の機関紙「生活経済政策」に「まだ新自由主義からぬけだせないのか」と題する特集を組んでいます。その中に、尊敬する神野直彦(東大名誉教授)さんが「新自由主義の呪縛からの解放はあるか」という題で論文を寄稿されていました。現状の世界を言い当て、3.11を経験した日本は何を基本にこれからの途を進むべきかを示唆するものです。生活経済政策研究所は決してメジャーではない研究機関(ごめんなさい)です。こんな良いことをやっている研究所なんです。そんな宣伝の意味も込めて神野論文の一部を無断転載します(お許しください)。機関紙購読に繋がれば幸いです。少々長いのでな分けて掲載します。

「新自由主義の呪縛からの解放はあるか」①( )は私が加筆した部分です。
「怒りと事前責任」の項は割愛し、「自由の操作」から。このあと「覇権国の延命措置」、「日本は未来を拓けるか」と続きます。
「自由の操作」
いかなる政治思想も、支配的政策思想として君臨しようとすれば、政策思想が人類にとっての普遍的価値を追求していると、社会の構成員に信じこませる必要がある。新自由主義ではそれは自由である。自由は人間の心を掴む。自由のためには人間は命をかけても闘う。「怒れ!」の著者であるエッセル (割愛した論文の冒頭部分に記載されている93歳のフランス人。ドゴールの呼びかけに応じてナチスと闘った戦士。彼が書いた「怒れ!」の小冊子がベストセラーになっている)も、ドゴールの呼びかけた自由フランスのために、自由の戦士として戦っている。
しかし、エッセルの自由への戦いは、ファシズムにもとづく戦争国家が奪った人間の自由を回復する戦いである。つまり、一握りの階層による独裁に対する民主主義を獲得する戦いだったのである。
ところが、同じ自由でも、新自由主義の自由は戦争国家への戦いの言葉ではなく、戦争国家を否定して形成された福祉国家への戦いの言葉である。つまり、新自由主義の自由とは、戦争国家の独裁と戦い、獲得した社会構成員による共同の意思決定に対する自由なのである。
福祉国家は戦争国家に戦いを挑んだ労働組合をはじめとして、国民大衆が手中にした民主主義を基盤にしているが故に、所得再分配国家として形成された。新自由主義は自由の名のもとに、労働組合と、財政による所得再分配を攻撃する。それは新自由主義における自由は、「社会構成員の共同の意思決定」を否定する「個人の選択の自由」だからである。
この「個人の選択の自由」は、市場における選択の自由とアナロジーで想定されている。市場には購買力に応じて、決定権を行使する。購買力の豊かな富裕者には多くの決定権が、購買力の乏しい貧者には僅かな決定権が配分されることになる。つまり、新自由主義の「個人の選択の自由」とは事実上、「強者の選択の自由」なのである。
新自由主義は強者の論理にもとづいている。そのため市場に、政府が介入することを、自由の名のもとに否定する。しかし、市場は政府が強制力でルールを設定しなければ動かない。新自由主義が否定する政府の介入とは、社会の構成員の共同意思決定にもとづいた市場ルールのことをいっているにすぎない。つまり、新自由主義の唱える市場のルールは、強者の都合の良いように、強者が決定したルールなのである。
とはいえ、新自由主義の政策思想が支配的政策思想として君臨した重要な理由は、自由という人類にとって普遍的価値を操作したからである。しかし、それが民主主義とは相容れないことは、すでに見ぬかれている。
世界中で巻き起こっている反貧困・反格差の運動では、民主主義つまりデモクラシーとは、デモスつまり民衆が、クラシーつまり権力を握っているというはずなのに、現在では権力を1%の富裕者が掌握していると抗議している。反貧困・反格差の運動は、人民に決定権限を与えよという民主主義の運動でもあるのだ。

「覇権国の延命措置」その1
新自由主義が「自由」という普遍的価値を操作しているというよりも、新自由主義がアメリカという覇権国が派遣を維持するための手段として促迫しているが故に、支配的政策思想として君臨しているのかもしれない。それは2つの「9.11」に象徴される。
第一の「9.11」は、チリの大統領サルバドール・アジェンデが惨殺された1973年の9月11日である。アジェンデ大統領を惨殺したピノチェトは。独裁政権を確立するや否や、「シカゴ・ボーイズ」と呼ばれた新自由主義者を政権に引きこんで、新自由主義の政策を遂行している。これが新自由主義が世界史の表舞台に登場した瞬間である。
第二の「9.11」は、2001年9月11日にニューヨークの天空で起きた航空機を使用したテロ事件である。この事件を口実にアメリカはイラクへの軍事力を証拠もなしに行使し、イラク政府に新自由主義政策を強要していくことになる。
覇権国アメリカが強要する新自由主義が、陰に陽にインパクトを世界に与えていく。もちろん、それはアメリカの覇権、つまり「パクス・アメリカーナ」を維持するためである。
第一の「9.11」が発生した1973年は、「パクス・アメリカーナ」を支えたブレントン・ウッズ体制が最終的に崩壊した年でもある。つまりブレトン・ウッズ体制の固定為替相場制が変動為替相場制へ転換した年なのである。(より良い社会を目指して②に続く)

臨場感の共有②

昨夜というか、今日未明というか、なんとか消費税率の改正を含む民主党税制改革案がまとまった。総会出席議員は80人程だから議員全員が了解したわけではないが、総会での了承という手順は年内に収まったことになる。前回のコラムで野田総理の持つ危機認識を議員と共有することが一番必要なことと書いた。昨夜の会議には総理が出席し、その思いを自信の言葉で語った。加えて若干の修正が加わったことで、総理の持つ臨場感を共有できたのだと思う。もうこの辺でいいだろうという大物議員の仲裁という手法ではなく、民主党的徹底した議論に総理も加わっての議論が、民主党の民主党たる政治決定のシステムを実践したように思う。これはこれで前進ではないだろうか。さて改革案の詳細は公式なHPに掲載したので、そっちを覗いて欲しい。

一番の修正は、実施時期を8%を2013年10月から2014年4月と半年ずらしたこと。増税するには少なくとも半年前に閣議決定する必要がある。13年10月だと現政権、つまり総選挙前(総選挙は任期満了の場合で2013年9月)に閣議決定することになる。これではマニフェスト違反となる。半年ずらしたことで総選挙を経た新政権の下での閣議決定が可能となった。仮に民主党が下野した場合は次の政権政党がその責任を担わなければならなくなる。これは自民党にとっても結構きついはず。

議員定数や公務員給与の削減は、これは増税前に必ず実現しなければならないことだったが、あえて文章化することで改めて決意を示した形となった。その他、これまでの課題であった例えば所得捕捉に欠かせない番号制度も2015年の運用開始を目指し、来年2月の法案提出を明記したし、地方にとって課題であった地方法人特別税と地方法人特別譲与税の抜本見直しも行うことになる。

まだまだ山あり谷ありだ。来年の通常国会の運営こそが主戦場になる。

臨場感の共有こそ

民主党の混乱が治まらない。ついに離党者が出た。顔見知りの議員が記者会見席に並んでいるのを見るとつらい。なぜこうなっていくのだろうか。一つ思い当たるのは執行部とそうでない議員との「臨場感」の違いなのかもしれないということだ。

もともとマニフェストでは消費税増税は次期衆議院選後としていた。現任期中に議論をし、次期衆議院選のマニフェストに消費税増税を明記して選挙を行う。このことには多くの民主党議員は納得していたはずだ。それが菅政権、野田政権と移るたびに増税論議が前倒しされ、野田総理は増税法案を野田政権で通して総選挙を迎えるとさらに踏み込んだ。

菅総理が参議院選挙前に突然消費税増税を言い出したのには背景がある。それは財務大臣となってG20などの会議に出席し、そこで世界の首脳の財政に対する危機意識を共有したことによる。ある財務官僚は突然だった話す。本当に突然、消費税増税法案の作成を命じられたという。結局、4月27日に東京第5検察審査会が、当時の小沢幹事長の「資金管理団体の政治資金規正法違反事件」を「起訴相当」議決したことにより法案はうやむやになってしまった。それらの経緯が総理大臣となってのいきなりの消費税発言に繋がる。

野田総理は藤井、菅の両財務大臣時代の財務副大臣。菅財務大臣の時の先の動きは十分承知のはず。加えて菅政権となり晴れて財務大臣に昇格している。当然、国の財務体質や世界の国々の財政再建への強い意志などなどの臨場感は持ち合わせているはずである。

増税をするのは楽ではない。特に消費税となるとさらにだ。過去は、大平、中曽根両総理が失敗しているし、3%を実現した竹下政権もすぐに終る。5%に上げた橋本政権も同様の運命だった。しかしその頃は55年体制で自民党が政権を失うことは無かった。今はいつでも政権交代が可能な情勢にある。そうなると執行部の思いは・・・

「仮にマニフェスト通りに消費税増税を公約に総選挙をたたかっても民主党が勝つ保障は無い。さらに民主党が増税を公約にすれば自民党は増税慎重の立場で選挙をたたかうことになろう。仮にその自民党が勝ったら消費税増税はさらに先送りになる。そこまで国会財政はもたない。今の政権は「ねじれ」とはいえ衆議院では圧倒的多数を誇る。消費税増税に踏み込むにはまたとないチャンスだ。だったら私たちが法案を通して、選挙の審判を受けるしかない」・・・となるのは間違いない。

党の税制調査会と社会保障と税の一体改革調査会との合同総会では、延々と同じような議論を繰りかえしている。臨場感が違う者同士が議論しているから噛み合うはずが無い。TPPの議論経過と全く同じなのだ。それでもこのやり方が民主党のやり方である。民主主義は時間がかかる。少しずつだが税調案がまとまりつつある。昨日明らかになった内容は決して賛成できないものではない。増税の時期も現任期中は増税しないとし、2013年10月としている。それでもおそらく総会では議論はまとまらないだろう。今日の総会には野田総理が出席する。意見を押さえて突破しても法案提出、議決の時にさらに党内が混乱するのは目に見えている。

執行部がやるべきことは、執行部とそうでない多くの議員との「臨場感」の違いを解消することだ。なぜ3月までに現政権下で法案を提出し可決すべきなのかを野田総理の「臨場感」で語るべきなのだ。私も含め多くの民主党議員がその臨場感を共有したときに消費税を巡る党の混乱は治まるはずである。真摯に語れば必ず共有できる。国を思い、国民を思う同じ志をもった同志であることを忘れてはならない。

ダーバンの回想①

COPとはConference of Partiesの略。国連の条約を締約している国々の会議のことをいう。だからCOPの集まりは条約毎に開催される。日本では昨年、名古屋で開催されたCOP10の印象が強い。これは「生物の多様性に関する条約」の第10回目の締約国会議だった。今月南アフリカのダーバンで開催されたCOP17は「気候変動枠組条約」の第17回目の締約会議のことだ。この条約は地球温暖化を防止するために世界が努力することを目的に1992年にリオデジャネイロの会議で採択された。ちなみに今回問題となった「京都議定書(Kyoto Protocol)」が採択された1997年の京都会議はCOP3だった。1990年を基準に2008年から2012年の平均排出量を削減することを法的拘束力を持って各国に求めたことで画期的なことだった。主要国のEU各国が−8%、アメリカが−7%、日本はカナダと並んで−6%を約束した。

当時、京都での成功が世界的に話題になった。しかしことはそれからうまくは進んでいない。まずはアメリカがブッシュ政権になり企業側の意向を受けて、議定書からとっとと離脱する。もう一つは温暖化の最大の責任は、これまで好きなだけ温暖化ガスを垂れ流してきた先進国にあるとして、議定書の削減義務は先進国だけに課せられた。当時はまだ先進国の枠組みに入らなくても許された中国やインドだが、京都後の発展は凄まじく、排出量はいつの間にか中国が米国を抜きトップに、インドもロシア(露は京都議定書の枠組み国)に次ぐ第4位となってしまった。つまり京都議定書は、最大の排出国である中(2008年排出割合22.1%)、米(19.2%)、印(4.9)の三ヶ国が削減義務を負わないという歪な枠組みとなってしまっていた。現在の議定書枠組み国の総排出量は世界全体の排出量の20%強でしかない。

法的拘束力を持つ京都議定書の効力は2012年で終了する。その後の枠組みをどうするかがここ数年の2009年、11年のCOPの最大の課題であったが、各国の主張がぶつかりあってポスト京都議定書の絵が描けずにダーバン会議、COP17に突入したのであった。

訃報 

昨夜遅く郷里に戻る。夜遅く馴染みの寿司屋のドアを開け連れ合いと二人でいつもの席に座る。お酒とつまみ、寿司を少々食して1時間ほどで辞す。最近少し飲み過ぎの感ありで今宵はほどほどである。

日が変わり今朝9時前、携帯の呼び出し音が鳴る。電話の表示は03から始まるので東京からだ。政界で何か動きがあったか。

TPPに関してはこの土日も議論されるし、慎重派主催の集会やデモもある。昨日の午前中の決起集会には参加した。会場の憲政会館に入る際には反対されているおそらく農業関係の皆さんだろう拍手で迎えられた。申し訳ないが以前からの約束ごとが今日福岡であるため土曜日の行動には参加できない。そのTPPで何かあったのか。

電話の先は民主党だった。内容は西岡参議院議長の死。昨夜亡くなられたとのこと。そして今日13時まで議長公邸で弔問を受付、その後議長は長崎に帰られる。そのお見送りができないか?と言う。それが適わないことを告げ電話を切った。西岡さんらしいと言えば西岡さんらしい逝きかたか。金曜日の夜静かに閉じ、土曜日のうちに郷里に帰る。普通の日であれば国会運営も含め参議院の方は大騒動ではなかったろうか。日頃から議会制民主主義の何たるかを訴え、議長になってもそのことを主張しておられた方だ。自らの死が極力迷惑をかけることのないようにと。

今年度の予算案の扱いを巡ってのこと。政府は野党の反対で成立が危ぶまれる公債特例法案などの歳入に関する予算関連法案と本予算案を分離して参議院に送りつけた。歳入の裏付けがない予算案などあり得ない。与野党逆転の参議院において予算案も関連法案も否決される可能性が高い。しかし予算案は憲法の規定により参議院が法案を受け取って30日を経過すれば衆議院の可決が優先し自動成立する。これによって歳入の裏付けの無い予算案が執行が始まる。しかし当座の手持ちのお金がなくなれば執行できない。ぎりぎりのところで臨時国会を開き再度関連法案を通すというのが政府のシナリオだった。参議院審議が政局で振り回されることとなった。

このやり方に西岡参議院議長が違を唱えた。参議院軽視であり議会制民主主義否定である。議長は案の受け取り拒否するという奇策にでる。予算案の成立は議長が案を受け取ってから30日。受け取らなければ時計は進まず、11年度予算案成立のタイムリミットは刻々と近づく。

ねじれ国会が続き、良識の府と言われた参議院が政局の主戦場となる。まっとうな議論ができなくなっている。このままでは参議院不要論が再び高まる。そんな思いが西岡議長の中で大きくなっていたのではないかと思う。その警鐘が受け取り拒否であった。これだけではない。議長の菅総理批判は辛辣だった。諫早湾汐留堤防の地元と一切話のないままの開門宣言。地元の保守政治家として忸怩たる思いだったにちがいない。

そんなこんなでわずか1年間のお付き合いしかないが、西岡議長の行動からいろいろ教わったような気がする。小柄な西岡さんだが、ゆっくり歩きゆったりした仕草は気品すら感じる立ち居振る舞いだった。

その議長の異変に気づいたのは前回の臨時国会からだ。声が出にくく、苦しそうな仕草を議席からたびたび拝見し、その都度隣の糸数参議と「苦しそうですね」「ご病気では」と話していた。そして今臨時国会からは一度も姿を議場に表すことは無かった。そして今朝の電話である。

西岡武夫。両親を政治家に持つ典型的な我が国の保守政治家。しかし母・ハルさんは吉田率いる自由党初の女性参議であり婦人参政権運動に力を注いだ政治家である。その血が彼にも流れる。僕的には河野洋平とともに自民党を出、新自由クラブを結成した西岡幹事長としての姿が印象に残っている。

国を思う一人の現職の保守政治家が逝った。今の政治の混乱を見つめつつ忸怩たる思いで逝かれた。その死に接することでこの1年の西岡議長の言動が国会議員の心に蘇ることだろう。そのことが今の政治の変革に少しでも繋がれば議長は本望ではないだろうか。その中の一人として責任を肝に命じるのである。

西岡議長、安らかにお眠りください。ありがとうございました。合掌。

言葉

18日の午後から福島県二本松市で参議院民主党会派の学習会が開かれた。その席で震災の報告を平野大臣が行った。わずか30分の時間であったが復興に携わる大臣ならでは内容のある報告が聞けた。

どれをとっても凄まじい震災であったがそれでも幸いだった点が2点ある。それは①真冬ではなかったこと②真夜中ではなかったこと、だ。真冬であれば体温低下で死亡する人がもっと増えたであろうし、真夜中であれば停電だったので避難の遅れや混乱は計り知れず、津波の被害はさらに拡大したではないか。

津波の高さは最高で16.7㍍、遡上高では40㍍近くまで達している。これはもちろん後の調査でわかったこと。発災直後、津波の高さの第1報は岩手県で3㍍、宮城県で6㍍だった。これを岩手県が6㍍に修正したのが30分後、宮城県が10㍍に修正したのが1時間後だった。しかし実際は第1報をはるかに超える津波が地震後25分で岩手県沿岸に、1時間で宮城県沿岸に到達している。「なぜこんなに警報が遅れたのか(あるいは現実と違ったのか)しっかり検証しなければならない。当然逃げなかった人もいるはずだ」と平野大臣の話は続いた。そしてこの脈絡の中で「私の友人でも逃げなかった馬鹿がいた」と大臣は半ば断腸の思いで逃げなかった親友への思いを語った。参加していた僕はその友への鎮魂の言葉のようにも聞こえた。おそらくあの場にいた人の多くはそう捉えたのではないか。ほんの一瞬のことだった。

その後も大臣は被災地で実際に会った漁師の言葉なども交えて、復興担当大臣としての責任と熱い思い語る。津波で全てを失くしたその漁師は、「俺たち漁師は海に取られた全てを取りかえすには海からしかないんだ」と失意のどん底から立ち上がる思いを大臣に語った。その言葉に大臣は感動したという。そして復興への決意を新たにしただろうことは想像に難くない。

しかし残念ながら、その時感じたほんの僅かな不安が翌朝現実のものとなった。平野大臣の「逃げなかった馬鹿な友人」発言がその部分だけ抜き取られて朝刊の紙面を踊る。野党議員の不適切だという取材もしっかり行なわれていた。書いた記者はいったいどんな思いで記事にしたのだろうか。

日本人は「馬鹿」という言葉を本来の意味だけでなくいろんな状況で使う。大臣の発言は決して使い方を間違っていたとは思わないが、その記者は被害者全体への侮蔑ととっただろうか。だとしたら余りにも杓子定規ではないか。あるいは言葉尻を捉えての意図的な攻撃か。だとしたら余りにもフェアではなさすぎる。

今日の議員総会の席で輿石幹事長がこのことで珍しく厳しくマスコミに叱責した。種々の発言で揺れる国会である。さすがに今回のことがこれ以上エスカレートすれば、マスコミに対する議員発言はさらに萎縮するのを憂いてのことだ。幸い複数の全国紙がこの記事について批判的な論説を載せ得たことはせめてもの救いである。

罵り合うのではなく豊富な語彙や知見を駆使しての論戦が国会に望まれる。その時、時として不適切な発言も少々あるかもしれない。その際も単純な言葉尻を捉えての批判ではなく、発言者の真意を慮った配慮が求められる。国会論戦が深化するためにも自由闊達な議論のやり取りが必要である。それぞれがそれぞれの立場で努力するしかないのだ。我々だけでなく、その努力はマスコミにも求められている。(了)