2017-10-15

平成デモクラシー。

 戦前の一時期ですが、日本の政治でも二大政党制の時代がありました。1920年代後半のことです。
 立憲民政党と立憲政友会。どちらも「立憲」の言葉を冠していました。
 長い士農工商の身分制の時代から開放され、初めて近代憲法を手にした国民。その時代「立憲主義」は今とは比べ物にならないほど新しく、希望あふれる流行りの言葉であったのでしょうね。しかし第1回帝国議会開会からまだ半世紀足らずです。成熟しきっていない国の政党政治。希望あふれる立憲主義の時代は台頭する軍の力に押され、1932年の515事件、同年の満州事変により、余りにも短く終わります。36年の226事件で大政翼賛会がわが国政治の形となります。その後、国民が政治に関与できるようになるのは、まさに日本が焦土と化した終戦後の総選挙からでした。占領時代を経て自由民主党が生まれた1955年以降、政権交代のない政治が当たり前となります。
 戦前の二大政党は保守同士です。富国強兵政策と大陸への進出の時代背景は、資本主義体制の強化と経済成長が必須。今日いうリベラル的政党が勢力を拡大できる時代ではなかったのです。
 東西冷戦が終わり、市場原理主義の席巻が始まるころ日本ではバブルが崩壊します。右肩上がりの時代は終わります。経営側が日本社会の安定を支えてきた年功序列、終身雇用システムを競うように手放します。日本社会の底が抜ける。そんな時代の始まりです。格差、貧困が社会を被うと政権政党に対する批判は増します。政権交代可能な二大政党制の実現が政党政治の最大の課題となり、思想信条を度外視した政界再編が繰り返される。民主党が政党として急成長した1990年代後半から政権をとる2009年までの時代はそんな時代です。民主党政権の崩壊は政党の劣化をさらに進めます。
 民主主義、立憲主義、平和主義。ある意味戦後日本人が当たり前だと思っていたこと。これがいとも簡単に崩される。その現実に直面します。どんなに抵抗しても声をあげても無視され続ける。奢る与党と無力な野党。そんな政党が行う政治に対し、「信頼」、「誠実」という言葉はほとんど消えかけていました。
 そんな時です。立憲民主党が誕生したのは。
 帝国議会が始まり国づくりの最中で誕生した戦前の立憲民政党と立憲政友会の思想は戦後の自民党に引き継がれます。民主主義国家、経済大国、先進国と世界から評されるようになって久しい我が国です。そんな国の政党政治が、戦前ような保守同士の政権交代で国民の思いが政治に反映することはあり得ない。そう思います。
 無頼の保守政治で社会や生活や平和が壊される。何とか止めよう。政治の主役は私たちだ。それが民主主義であり、立憲主義だ。というその声が立憲民主党に集まり、熱狂が生まれています。
 かつて自由民権運動が燎原の火のように日本国中に広がり、大正デモクラシーと呼ばれる時代が誕生した国。
 枝野幸男立憲民主党代表の演説会場が熱狂に包まれています。発した声が、言葉が、進化したネットワークにのってあっという間に駆け巡ります。そして各地でそれぞれの声で、言葉でうったえる街頭演説の会場が熱狂に包まれます。
 まさに平成の自由民権運動です。平成デモクラシーを希求するうねりです。
 立憲民主党の立党は、まさに歴史の必然だったのです。

2017-10-15 | Posted in 日記1 Comment »