2017-10

平成デモクラシー。

 戦前の一時期ですが、日本の政治でも二大政党制の時代がありました。1920年代後半のことです。
 立憲民政党と立憲政友会。どちらも「立憲」の言葉を冠していました。
 長い士農工商の身分制の時代から開放され、初めて近代憲法を手にした国民。その時代「立憲主義」は今とは比べ物にならないほど新しく、希望あふれる流行りの言葉であったのでしょうね。しかし第1回帝国議会開会からまだ半世紀足らずです。成熟しきっていない国の政党政治。希望あふれる立憲主義の時代は台頭する軍の力に押され、1932年の515事件、同年の満州事変により、余りにも短く終わります。36年の226事件で大政翼賛会がわが国政治の形となります。その後、国民が政治に関与できるようになるのは、まさに日本が焦土と化した終戦後の総選挙からでした。占領時代を経て自由民主党が生まれた1955年以降、政権交代のない政治が当たり前となります。
 戦前の二大政党は保守同士です。富国強兵政策と大陸への進出の時代背景は、資本主義体制の強化と経済成長が必須。今日いうリベラル的政党が勢力を拡大できる時代ではなかったのです。
 東西冷戦が終わり、市場原理主義の席巻が始まるころ日本ではバブルが崩壊します。右肩上がりの時代は終わります。経営側が日本社会の安定を支えてきた年功序列、終身雇用システムを競うように手放します。日本社会の底が抜ける。そんな時代の始まりです。格差、貧困が社会を被うと政権政党に対する批判は増します。政権交代可能な二大政党制の実現が政党政治の最大の課題となり、思想信条を度外視した政界再編が繰り返される。民主党が政党として急成長した1990年代後半から政権をとる2009年までの時代はそんな時代です。民主党政権の崩壊は政党の劣化をさらに進めます。
 民主主義、立憲主義、平和主義。ある意味戦後日本人が当たり前だと思っていたこと。これがいとも簡単に崩される。その現実に直面します。どんなに抵抗しても声をあげても無視され続ける。奢る与党と無力な野党。そんな政党が行う政治に対し、「信頼」、「誠実」という言葉はほとんど消えかけていました。
 そんな時です。立憲民主党が誕生したのは。
 帝国議会が始まり国づくりの最中で誕生した戦前の立憲民政党と立憲政友会の思想は戦後の自民党に引き継がれます。民主主義国家、経済大国、先進国と世界から評されるようになって久しい我が国です。そんな国の政党政治が、戦前ような保守同士の政権交代で国民の思いが政治に反映することはあり得ない。そう思います。
 無頼の保守政治で社会や生活や平和が壊される。何とか止めよう。政治の主役は私たちだ。それが民主主義であり、立憲主義だ。というその声が立憲民主党に集まり、熱狂が生まれています。
 かつて自由民権運動が燎原の火のように日本国中に広がり、大正デモクラシーと呼ばれる時代が誕生した国。
 枝野幸男立憲民主党代表の演説会場が熱狂に包まれています。発した声が、言葉が、進化したネットワークにのってあっという間に駆け巡ります。そして各地でそれぞれの声で、言葉でうったえる街頭演説の会場が熱狂に包まれます。
 まさに平成の自由民権運動です。平成デモクラシーを希求するうねりです。
 立憲民主党の立党は、まさに歴史の必然だったのです。

2017-10-15 | Posted in 日記1 Comment » 

 

いまだに「護憲派」で切り捨てる空疎な議論。

 民進党が希望の党へ統合されることになり、超あわただしい毎日が過ぎていきます。立憲民主党という新党も結成され、選挙戦も始まりました。僕は民進党の参議院議員です。でありながら、立憲民主党の結党と選挙対策にかかわるという非常に変なことになっています。
 その希望の党とのすったもんだの件で、リベラル派が切り捨てられただの、安保法反対派はいらないだの勝手にかまびすしいです。中でもいまだにリベラル=護憲といった古色蒼然たる論が多いのに唖然とするのは僕だけではないでしょう。安保法制に国民の半数以上が反対し国民的うねりとなった。あの時反対の声をあげた人たちは、すべてリベラル派や護憲派でしょうか。そうではないでしょう。声を上げたのは何々派なんて考えも自覚もしていない人。安倍さんが強行する集団的自衛権行使に素直に危機感を感じた人々です。今、自公政権に反対し、希望の党に忌避感を抱く人たちはそんな人たちなのです。リベラルや護憲派といった狭い範疇ではくくれなくなっているのが今の流れ。そういう流れをつくったのは安倍さん自身なのですが・・・。
 リベラルという概念を日本で説明するのは難しい。本来の「(寛容な)自由主義」とは別に左派的意味が加味されます。しかしそれだけでは説明つかない人々が声を上げているのが今なのです。
 特定秘密保護法、安保法、共謀罪、カジノ法。この間安倍政権が強行した法案に反対の声を上げた人たちには共通したキーワードがあります。平和、戦争、自由、貧困、格差、原発、辺野古などです。さらにこれらの言葉に共通するのは憲法の3原則「国民主権、平和主義、基本的人権の尊重」。
 反対する多くの国民の声を無視し採決や再稼働を強行し、沖縄県民の声を無視し工事を強行する政治。国民の県民の自己決定権を奪い続ける。国民主権の侵害です。それは平和主義をも侵害しつつあります。自民党候補者の4割が北朝鮮への軍事行動容認とはなんと驚くべき数字でしょう。
 拡大し続ける子どもとお年寄りの貧困。非正規社員の拡大をまともに解決しよとしない企業。富に左右される教育水準。基本的人権の尊重はどこへいったのですか。
 日本国憲法が国民に保障した権利を無視し続ける政治、政府に対する怒りが、立憲民主党の誕生を後押したといって過言ではないでしょう。希望の党の選別がリベラル、護憲派切りとする論評はそんな国民の怒りをまともに感じ取れない人々の空疎な論評でしかありません。

2017-10-10 | Posted in 日記No Comments »