2017-01-19

日独の政治力量の差。

 2017年の幕が開き、明日で20日目となる。奇しくも我が国の第193国会開会と米国新大統領の就任が同じ日となった。

 今年初めてのブログの論はこれから始めることにする。雑誌「月刊Journarism」1月号の巻末に、在独のジャーナリスト熊谷徹氏が「海外メディア報告」の欄に記事を載せている。

 内容は、明日就任するトランプ新大統領に対するメディアや政治家の批判とドイツの人権意識についてである。

 熊谷氏はトランプ氏当選後に贈った日独首相の祝辞を批評する。

 まず安倍首相。「トランプ次期大統領は、その類い稀なる能力により、ビジネスで大きな成功を収められ、米国経済に多大な貢献をされただけでなく、強いリーダーとして米国を導こうとされています」

「トランプ次期大統領と緊密に協力し、日米同盟の絆を一層強固にするとともに、アジア太平洋地域の平和と繁栄を確保するために、日米両国で主導的役割を果たしていくことを、心から楽しみにしています」

 熊谷氏は「安倍首相は、この時点でトランプがどのような日米関係を築こうとしているのか知らなかった。それにもかかわらず、日米同盟を「希望の同盟」と呼んだ。私の目には、この祝辞は外交辞令に満ちた、表面的な祝辞に見える」と記す。 その思いは熊谷氏だけではない。日本的に言えば「歯が浮くような」が枕詞に付く賛辞文である。誰もがそう思う。贈られた本人も同じだった。その証拠は2日後に露わになる。21日、トランプ氏は祝辞の返礼に「TPP離脱」の強烈なカウンターパンチを安倍首相に贈った。

 一方の独首相メルケルはどうであろう。熊谷氏が引用したのは次の部分だ。「ドイツにとって、EU以外の国の中で、米国ほど共通の価値によって緊密に結ばれている国はありません。その共通の価値とは、民主主義、自由、権利の尊重、全ての個人の尊厳を重んじることです。人権と尊厳は、出身地、肌の色、宗教、性別、性的な嗜好、政治思想を問わずに守られなくてはなりません」

「あなた(トランプ)がこれらの価値を我々と共有するという前提があるならば、私は協力する準備があります」

 メルケル首相は、日本の首相と違って無条件に(トランプ氏に)協力することを拒否したのである(熊谷氏)。もちろんメルケル首相が指摘したのは大統領選当時の数々のトランプ氏の言動があったればこそ。ではなぜ日本の首相にはそれがなく、「歯が浮くような」賛辞に終始したか。両方が先の大戦の敗戦国で周辺国に多大な犠牲を強いたことで共通してもいる。

 熊谷氏はナチス時代に世界に及ぼした被害に対する深い反省と、ナチスの暴虐に対する反動で生まれた強い人権意識があると指摘する。日独両国の戦後処理、あるいは敗戦後の両国政治家の考え、生き方の違いが、今の時代の両国首相の政治家としての度量、迫力の違いを産んでしまった。

 果たしてそれだけだろうか。明日から始まる第193回国会。その勢力図は両院で圧倒的な力を持つ自民党が際立つ。何を言っても通ってしまう。まるで「平家に非ずんば人にあらず」の時勢である。

 かつて「保革」という政治言葉があった。今ではその言葉さえ死語になる。いや死んだのは「革新」の方だけで、「保守」の方は、保守を表す政党としての自民党が保守そのものとして生き続けている。保守の政党が自民党ではなく、自民党=保守なのである。それ以上に日本の政党は自民党以外は無い、とでもいった状況が今なのである。その自民党の系譜は戦前の帝国議会時代から始まる。日本の政治の根幹は、大戦を挟んでも途切れることはなかった。戦前の政治の思想性は敗戦と日本国憲法の成立をしても生き続けてきたのである。

 明治政府が誕生し、しばらく薩長の藩閥政治が続いた。その批判の中で自由民権運動が起こり、政党政治が誕生する。時代は1920年代になっていた。考えてみれば今から100年足らずである。そう簡単に民主主義の条件とも言える政権交代可能な政党政治体制が確立することはないかもしれない。しかし明日の国会開会を前に何とかしなければと思う。

 安倍首相を頂くことが、日本の政党政治の現実である。たとえ首相が変わったとしても根幹の部分での変革がなければ、日独の政治力量の差は縮まらない。単なる民進党の勢力拡大だけで解決できない我が国政党政治の現実は、すぐれて国民的課題なのである。

 

 

 

2017-01-19 | Posted in 日記1 Comment »